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残業を終えて居酒屋で適当に夕食を済ませホテルへ帰ると、リュウが浴衣姿でひとりポツンとベッ
ドの上で胡坐をかいて座っていた。
「おかえり」
「ただいま〜」
部屋を見回すとダックスがいない。紗枝も帰っていないようだ。
「紗枝とダックスは?」
「今日は自分ちで寝るって。ダックスも一緒に」
疲れて帰ってきてダックスに会えないことにがっかりすると同時に、紗枝は大丈夫だろうか、いや
ちょっと待てよ、ってことは? と心配と疑問が同時に湧き上がった。
これじゃあ、なんだか意識してしまうじゃないか。リュウが「安全そう」とはいえ、せめてダック
スがいてくれたら。それとも、ふたりっきりってだけで意識しすぎてる?
今まで意識していなかったのは女二人男一人犬一匹だったからなのだ。リュウが、まったく意識せ
ずにすむ相手というわけではなかったのだ。
改めて思うとなおさら緊張した。それによくよく考えたら、互いに事情を知っていても素性は知ら
ないのだ。
リュウはこの状況をどう思っているんだろうと、私は彼を見た。彼は疲れていてそれどころではな
いのかそれとも酔っているのか、ぼうっと宙を見詰めていた。そして両手で顔を覆い「あ〜もう、い
ろいろ何が何だか、わかんねぇよ」とそのままベッドに寝転んでしまった。
この状況のことなのか。それとも他のことか。いろいろってことは……。
私は立ち尽くしたまま、その言葉の意味をしばし考えていた。
「どうかした? 今日、何かいろいろあったの?」
声を掛けるとリュウは小声で「いや、なんでも」と呟き、むくりと起き上った。
「それより、大丈夫?」
「ダイジョウブ?」
「あぁ、いや。昨日のあれで今朝も疲れてたみたいだったから。大丈夫かなぁと」
昨日のあれと言われ、私はそのことをお昼休みからずっと忘れていたことに気がついた。
そうだ。私。昨日、フラレたんだった。それで大泣きして、ここに帰ってきてまた泣いて。それで
今朝もすっきりしないままここを出たんだった。
そんなショッキングな出来事をたったの一日で忘れていた自分にショックを受けていた。
午前中は、そのことを考えないようにすることで精一杯だったはずなのに。もしかしたら、私はも
のすごく薄情な人間なのかもしれない。嫌な出来事を都合よく簡単に抹消できてしまう単純なヒトな
のかもしれない。
「亜樹?」
リュウの呼ぶ声で我に返った。
「残業で疲れちゃった。お風呂、入ってくるね」
慌ててベッドにバッグを置いてジャケットを脱ぎブーツからスリッパへ履き替えた。
バスルームから戻るとリュウはベッドに胡坐をかいたまま腕を組み目を閉じていた。じっとして動
かない。眠っているらしい。横から肩を叩いて起こそうと手を伸ばすと、彼はぱっと目を開けた。
「寝てるのかと思った」
「あぁ。ちょっとウトウトしてたかも」
「なにそれ」
私が笑うとリュウも笑った。
「眠いには眠いんだけどさ、いろいろと考えちゃって」
「眠れない?」
「そう」
リュウは組んでいた両腕を解いて大きく伸びをした。私は中央のベッドに腰を下ろした。
「聞こうか」
「……些細なことだから」
少し考えてそう答えたリュウに私は訊ねた。
「仕事の、話せないようなこと?」
「いや、人間関係なんだけどさ。こんなことで考え込んでるなんて、ってゆう」
「塵も積もれば、っていうでしょ。悩み事とか不満とかもそうじゃない? 些細なことのうちにかた
づけないと山になっちゃうよ」
リュウは驚いたように私を見た。
「昨日、そう思った」
私が言うとリュウはこちらを向いて座りなおし、会社での出来事を話し始めた。
「本人のこと知らないから何とも言えないけど。それって女なら割と無意識にやっちゃってることなん
じゃないの」
「そうなの? 亜樹もやる?」
「他人の手柄は奪ったりしないけど。でもまぁ誰にも害がなければちゃっかりってことは、ね」
正直なところ、こういう話は女の手の内を明かすみたいで落ち着かない。
私は苦笑いをした。リュウは腕を組み首を傾げていた。
「あー、それなら、分かる。分かるんだけど、う〜ん」
リュウの言いたいことは漠然と理解できる。
「そのコってさ、可愛いから誤解されやすいんじゃないかなあ。だから『自分は何もやってません』って
言っても、そのコをイイコだと思ってる人たちが『謙遜しちゃって』って勝手に持ち上げちゃう。そ
のコもどうしたらいいのか分からないのかも」
「だったら違うって言い通せばいいのに。にこにこ笑ってたら謙遜だと思っちゃうんだよ、男は」
リュウは悔しげに膝を叩いて俯いた。
「それはそのコがイイコちゃんだからさ、笑う以外できないのかもね」
「?」
「好くとればってことだけど。嫌われたくないとか、可愛い顔しか見せたくないとか。そのコなりの
にこにこしてる理由があるんじゃないのかな」
リュウは納得したようなしていないような顔をして「なるほどね」と頷いている。
「待てよ。でもそれって、結局は人よりも自分……」
指摘されて、私も初めて気付く。
「そっか、そうなるね。自己愛が強すぎて、他人に気付いてない」
「好くとっても、それかあ」
「そんな理由なら可愛いもんなんじゃないかな。誰でもそういう部分ってあるじゃない」
「そうだけど。なら、悪くとったら?」
「リュウが思ってたとおりでしょ」
「ああ、そうか」
「でも知らないヒトのことなんで。私はまったく分かりません」
私がニカリと笑うと、リュウは「なんだよそれ。亜樹の言うこと理解しようと今、一生懸命、考え
てたのに」と肩を落としてあきれていた。
その様子がかわいらしく思えて私はハハハと笑った。この部屋に帰ってきた時の緊張も消え去って
いた。
「いろんな捉え方があるよっていう話」
「それはそれで、なおさら解決しにくそうだなぁ」
映画やドラマでそのコが主人公なら、なんだかんだ言いながらもリュウが彼女を放っておけなくなっ
て最後には付き合い始めるのだろう。しかしその為には彼女が自分の至らなさに気付き変わらなけれ
ばならない。もし彼女が変わったら、彼は彼女を好きになるんだろうか。
そんなことを黙って考えているとリュウが「なに?」と訊くのでそのままを言うと、うえぇっとの
けぞり「やめてくれ」と心底イヤそうに呟いた。そんな顔をした彼も何故だかかわいらしかった。こ
の人はどんな顔をしても何をしても、無意識に好意的に思わせてしまう人なのかもしれない。
もし映画のヒロインみたいに彼女が成長したら。その法則が現実でも正しければ。
「私も成長できたら、いいヒトに出会えるのかなぁ」
「え?」
リュウに聞き返されて、声にしていたことに気が付いた。
「なんでもない。それはそうと、聞いてよ」
私は誤魔化すように今日のお昼休みの出来事を話した。
「それってチャンスじゃない」
「うん。異動できるかやってみないと分かんないけど、なんかすごくわくわくしてる」
「わくわくしてるわりにはビミョーな、硬い顔してるけど」
意外と鋭い。軽くイタイところを突くヤツだ。
「それがさぁ、いや、えぇっと」
私は何故言いよどんでいるんだろう。
「このことで舞い上がっちゃって、昨日フラれたこと、さっきまで忘れてたんだよね」
思い切って打ち明けるとリュウは一瞬間をおき、上を向いて豪快に笑い始めた。
「自分の薄情さにあきれて、なんかショックで」
恥ずかしさをこらえて言うと、リュウはさらに笑った。
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