墓守たちが夢のあと

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徳川慶久の墓と並んで建立されている實枝子の墓

 「徳川慶喜家」の二代目である川慶久の妻・徳川實枝子(とくがわ みえこ)は、皇族・有栖川宮最後の王女です。
 有栖川宮は、四親王家の一つで、江戸時代初期の寛永2 (1625) 年に後陽成天皇の皇子・好仁親王が高松宮と称したのが始祖。一時継嗣を絶ちますが,寛文7 (67) 年に後西天皇の皇子幸仁親王が継承し有栖川宮と改称しています。戊辰戦争のときは,實枝子の伯父で、皇女和宮の元婚約者であった九代・有栖川宮熾仁親王が東征大総督として活躍しています。
 なお、慶久の祖母、つまり慶喜の母で水戸藩主・徳川斉昭の正室である吉子女王も有栖川宮家出身です。
 實枝子は、明治24年(1891)、十代・有栖川宮威仁親王と旧加賀藩主・前田慶寧の次女・慰子妃との間に生まれます。なお、前田慶寧の母方の祖父は、第11代将軍徳川家斉で、實枝子のいとこには内閣総理大臣を務めた近衛文麿がいます。
 實枝子は、明治41年(1908)に徳川慶喜の嫡男・慶久に降嫁、華族の身分となり、慶子、喜久子、慶光の三人の子をもうけています。
 一方で実家の有栖川宮家は、明治41年(1908)に兄の栽仁王が20歳の若さで亡くなり、大正2年(1913)には父の威仁親王が亡くなったことから、旧皇室典範の規定により絶家となっています。
 大正天皇は,伝統ある名門宮家の廃絶を憂慮。後に第三皇子・宣仁親王が、有栖川宮がかつて名乗っていた高松宮を創設。有栖川宮の祭祀を継承し、實枝子の娘・喜久子と結婚しています。
 書道・歌道の師範を務めた有栖川宮では、霊元天皇の書風を受け継いだ「有栖川流」と呼ばれる書道の流派を継承してきましたが、その唯一の継承者となった實枝子は、流派を絶やさないために親王妃となる喜久子に伝授。現皇室においては喜久子により秋篠宮文仁親王と常陸宮華子妃へ伝授され、継承されているそうです。
 徳川實枝子は、昭和8年(1933)に結腸癌により、42歳で逝去。その死により娘の喜久子は癌の撲滅に関わるようになり「高松宮妃癌研究基金」が創設されています。


東京都台東区谷中 谷中霊園

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