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私は一年前からデキシー、スイング・ジャズなどを軽やかなステップで踊る“スイング・ダンス”を習っている。教えて頂く先生は、あるご縁で知己となった、このスイング・ダンスの草分け的存在、といっても若々しい御夫妻である。あちこちのダンス・イベントで大変多忙な御夫妻なのに、わざわざ当店においで頂いてご指導を仰いでいる。このお二人は当然ジャズにも造詣が深い。数日前、奥様先生から、白人社会が中心のスイング・ジャズ時代において、デューク・エリントン、チック・ウェッブ、フレッチャー・ヘンダーソン、キャブ・キャロウェイなどの黒人ビッグバンドはどういう位置付けをされているのか、どのように見られ、また呼ばれていたのか、これらはスイング・ジャズの範疇に入るのか、という質問をメールで頂いた。流石によく勉強されている。そこで、私なりに当時の状況を説明し、そしてついでながら、ジャズ史の大きな流れを簡潔にまとめて書き上げ、返信したのであった。

ジャズファンの中で、レコードに執心する人達は、結構ジャズの歴史に強い人が多いのだが、ライヴ中心で、しかもあるミュージシャンの追っかけだけのファンの中には、ジャズ史にまるっきり無知な方が多くみられる。それはそれでいいことだし、なにをかいわんやである。だが、もし歴史に興味がある方の為に、いつか私なりに分かり易くまとめて日記にでも書こうと思っていたので、このメールの返信文をそのまま載せることを思いついた。わざわざ書き直すのも厄介なのは確かだが、手紙型式の文面の方が読み易いかも知れぬと、当店の物書きのプロ、Rashisu君のアドバイスもあり、そのまま掲載することとなった。
以下がその返信文である。


Y先生、M先生、お元気ですか?
神戸ジャズ・ストリートはいかがでしたか。きっと颯爽と踊られて観衆の目を釘付けにしたことでしょう。
さて、メール拝見しました。ご質問の件ですが、一寸長くなりますが私なりに大雑把ながら説明させて頂きます。

1920年代の社会現象となったデキシーランド・ジャズ中心によるダンス・ミュージック活況時代から、突然米国社会は世界恐慌の震源地となりどん底の経済破綻に陥りました。
Roaring Twenties のランチキ騒ぎはどこへやら、白人大衆は自然とスィート・ミュージックの方に傾いていきます。これに歩調を合わせて白人ジャズメンたちはデキシー・スタイルからスイート・ミュージック・オーケストラなどにやむなく転身しなければなりませんでした。
1935年頃、ようやく回復の兆しを見せてきた白人社会中心の米国は、前途に明るい希望を見出したかのように今度は溌剌とした音楽を求めたのです。
ガイ・ロンバート楽団の後釜を襲って失敗を繰り返していたベニー・グッドマン楽団が、尾羽打ち枯らして最後の契約先、ロスのパロマー・ボールルームで楽旅最後の演奏をした時、ラジオ放送の電波に乗って全米に流れ、これが予期せぬ大成功。一夜にしてスイング・ジャズ時代が到来したのです。
奇跡の“スイング・ジャズ一夜説”は真実だったのです。
さぁ、それからはダンス・ミュージックとしてのスイング・ジャズ、華のアレンジャーとビッグバンドの全盛時代となりました。
そんなビッグバンド全盛の中、コンボはどうしていたかというと、それらは主に人気ビッグバンドのリーダーが、自楽団の中から腕達者を選び出したスモール・コンボを持って全米を席巻します。
ベニー・グッドマン=トリオ、カルテット 
トミー・ドーシー=クランベイク7 
アーティ・ショウ=グラマシー5 
デューク・エリントン=エリントニアンズ、デュークスメン 
カウント・ベィシー=カンサスシティ7 
チック・ウェッブ=リトル・チックス 
ボブ・クロスビー=ボブキャッツ などなど。
これらがスイング・ジャズの名コンボとして時代をリードしました。
しかし、米国白人大衆は、スイング・ミュージックは白人が始めた新しいジャズだと思い込んでいました。従って黒人のビッグバンドは異端の目で見られていたのです。
デューク・エリントン楽団の白人辣腕マネージャーであるアーヴィング・ミルズは、スイング・ジャズの先覚者は1932年に“スイングしなけりゃ意味ないね”を作曲したデューク・エリントンであると世間に声を張り上げたが、なかなか理解しては貰えなかったのです。

ここで、Y先生の質問に答えます。
当時の白人社会が認めようが、認めまいが、デューク・エリントンや、ジミー・ランスフォード、キャブ・キャロウェイ楽団などはれっきとしたスイング・ミュージックであります。また、チック・ウェッブ、フレッチャー・ヘンダーソンもスイング・ジャズ全盛期の恩恵はあまり受けなかったとしても、スイング・ジャズにまたがる存在として明記されます。チック・ウェッブはあらゆるスイング・ドラマーに影響を与えた偉大な演奏家ですし、彼の死後、秘蔵っ子のエラ・フィッツジェラルドが立派に後を継いで楽団を維持しました。フレッチャー・ヘンダーソンは、最強自楽団を解散してベニー・グッドマンに編曲を売り渡した後も、専属アレンジャーとしてスイング時代にも名を残しました。但し、例外としてスイング・ジャズなどの狭いカテゴリーには収まらないジャズの巨人たちがいます。
ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、カウント・ベィシー、ベニー・カーターたちです。特にジャズの王様ルイ・アームストロング、ジャズの神様デューク・エリントンは別格です。
実際デューク・エリントンの音楽は、勿論スイング・ジャズでもあるし、今でも時代の先端をいくモダン・ジャズでもあるからです。
ルイ・アームストロングに至っては、彼そのものがジャズであり、魂であります。デキシーやスイング・ジャズの概念を超えた“サッチモ・ワールド・ミュージック”と言えましょう。
                      
                     (続く)

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