重箱の隅

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近年、キャブ・キャロウェイがホスト役でハーレム時代の彼の回顧映画「Minnie the Moocher And Many Many More(1981)」が世間に出て、我々古いファンを狂喜させた。これはマニー・ピットソンがTV放映のために制作したキャブのドキュメンタリー映画である。キャブが関わったミュージシャン達が、次々にその時代のフィルムの中から生き生きと登場してくる、誠に楽しい映画であった。が、しかし、これを書き出すと益々長くなるので、これもまたいずれの機会にするとしよう。
もう一つ、フランシス・フォード・コッポラ監督作品「コットン・クラブ(1984)」では、劇中「ミニー・ザ・ムーチャー」をキャブ・キャロウェイ役に扮したラリー・マーシャルが、ズート・スーツを着て長い指揮棒を手にくねくね踊り、達者なところを見せてくれたが、やはり本物には遠く及ぶところではない。しかしこれを言っては身も蓋もないので、ラリー・マーシャルはよく演じていたと褒め称えておこう。
最後に、ジョン・ベルーシとダン・アクロイドの二人が主演した「The Blues Brothers=ブルース・ブラザース(1980)」のことも書かずばなるまい。この映画、シカゴを舞台にゲスト・シンガーが出るは出るは、ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、レイ・チャールズ、ルイ・ジョーダン、ビリー・ジョエル、ファッツ・ドミノ、などなど、そして我らがキャブ・キャロウェイ。劇中ロック・ビートにアレンジされた「ミニー・ザ・ムーチャー」を歌って踊って、その健在振りを見せつけた。若い人達が「ブルース・ブラザースのキャブって凄いし、結構面白いね」と言うことをよく耳にするが、ロックではなく元のジャズ、本物を知らない世代なので私は黙している。それに「ブルース・ブラザース」のロック調は、まったく別種類のものであると私は解釈している。こんなことにとやかく言うと「昔は良かった、みんな良かった」とそればかり言う爺さんの世迷い言にとられるのでやめておこう。もうこの辺で、古き良き時代の懐古物として片づけられるよりは、新しい時代の若い世代に、キャブの評価を委ねようではないか。

いやぁ、“重箱の隅”とはよく付けたものだ。隅をつついて、つついて書き出すいやな性格はもう直らないであろう。しかしこれらはひとえに、私自身の備忘録なのだからご容赦願いたい。
さぁ、「ミニー・ザ・ムーチャー」の歌詞を載せておきます。皆さんもご一緒に歌って下さい。

♪ ハイディ ハイディ ハイディホー ♪

Minnie the Moocher
------Cab Calloway

Folks, now here's the story 'bout Minnie the Moocher,
She was a red-hot hootchie-cootcher,
She was the roughest, toughest frail,
But Minnie had a heart as big as a whale.

[Call and response scat chorus differs every time. The following is simplified:]
Hi-de-hi-de-hi-di-hi!
Ho-de-ho-de-ho-de-ho!
He-de-he-de-he-de-he!
Ho-de-ho-de-ho!

Now, she messed around with a bloke named Smoky,
She loved him though he was cokie,
He took her down to Chinatown,
He showed her how to kick the gong around.

Now, she had a dream about the king of Sweden,
He gave her things that she was needin',
He gave her a home built of gold and steel,
A diamond car with a platinum wheel.

Now, he gave her his townhouse and his racing horses,
Each meal she ate was a dozen courses;
She had a million dollars worth of nickels and dimes,
And she sat around and counted them all a billion times.

Poor Min, poor Min, poor Min.


Another version
----------------------
Folks, now here's the story 'bout Minnie the Moocher,
She was a red-hot hootchie-cootcher,
She was the roughest, toughest frail,
But Minnie had a heart as big as a whale.

[Call and response scat chorus differs every time.]
Hi-de-hi-de-hi-di-hi!
Ho-de-ho-de-ho-de-ho!
He-de-he-de-he-de-he!
Ho-de-ho-de-ho!

She messed around with a bloke named Smoky,
She loved him though he was cokie,
He took her down to Chinatown,
And he showed her how to kick the gong around.

She had a dream about the king of Sweden,
He gave her things that she was needin',
He gave her a home built of gold and steel,
A diamond car with a platinum wheel.

He gave her his townhouse and his racing horses,
Each meal she ate was a dozen courses;
She had a million dollars worth of nickels and dimes,
She sat around and counted them all a million times.

Poor Min, poor Min, poor Min.


Version 3
--------------------
Now, here's a story 'bout Minnie the Moocher,
She was a low-down hoochie-coocher,
She was the roughest, toughest frail,
But Minnie had a heart as big as a whale.

Ho-de-ho-de-ho
Ho-de-ho-de-ho
Hi-de-hi-de-hi
Hi-de-hi-de-hi
Bodoo-la-doo-la-doo-ba-doo
Bodoo-la-doo-la-doo-la-doo
Ho-de-ho-de-ho
Ho-de-ho-de-ho

She messed around with a bloke named Smokey,
She loved him though he was cokey.
He took her down to Chinatown,
And showed her how to kick the gong around.

Oh, the gong around!
Oh, the gong around!
Wit-da-slow-joe-vi
Wit-da-slow-joe-vi
Bod-de-doden-boddle-oh
Bod-de-doden-boddle-oh
Ho-de-ho-ho-ho-ho
Ho-de-ho-ho-ho-ho

She had a dream 'bout the king of Sweden,
He gave her things that she was needing,
He gave her a home built of gold and steel,
A platinum car with diamond studded wheels.

Hi-de-hi-de-hey!
Hi-de-hi-de-hey!
O-de-bot-doo-doo!
O-de-bot-doo-doo!
Ba-doo-ba-doo-ba-doo-bottle!
Ba-doo-ba-doo-ba-doo-bottle!
La-Minnie had a heart as big as a whale.

Poor Min, dead Min, oh, Minnie-Min.


(終)

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さて、前置きが長くなったが、本題の「ミニー・ザ・ムーチャー」について語ろう。1931年にレコーディングしたブランズウィック盤が大ヒット。数あるキャブのレコードの中で最大のヒットであり、彼の十八番中の十八番である。この大ヒットを機にキャブ楽団のテーマ曲となり、彼のトレードマーク・ソングとなった。作詞・作曲にはキャブ・キャロウェイ、そして案の定アーヴィング・ミルズ、驚いたことにもう一人、なんとエリントニアンの名クラリネット奏者、バーニー・ビガードが合作者として名を連ねているではないか。「重箱の隅(20)聖ジェームス病院」の時にも書いたが、この時代、バンドのメンバーが作った詞や曲は、そのバンドのリーダー、バンド・オーナーが共作者と登録できる特権を持っていた。今では考えられないことだが、これは事実でいくらでも例がある。このようにアーヴィング・ミルズはマネージャー兼バンド・オーナーとして、デューク・エリントンの曲に歌詞を付けたり、共作者として名を連ねたり、自分の名を冠した楽団(実際はエリントン楽団)でレコーディングしたりして、たんまり印税を稼いで財を成した男であった。
この「ミニー・ザ・ムーチャー」は日本では戦前SP盤で発売となり、邦題は「お嬢ミニー」である。お嬢といっても美空ひばりのそれを連想してはいけない。多分、歌舞伎・三人吉三の盗賊の一人“お嬢吉三”あたりから付けられたものであろう。Minnie=は女の名前、Mooch=は物乞いをする。盗む。ぶらつく。Moocher=は乞食。借りる。たかる。その意味から言うと“護摩の灰ミニー”、でもそれではあんまりなので“ちゃっかりミニー”と言っておこう。尚、デューク・エリントンの名曲「The Mooche=ザ・ムーチー」は、コンゴーグラインドというアフリカの踊りから取ったダンス・ステップ、振り付けに対する名称であって、このMoocherの意味とは無関係であることを付記しておく。気になる曲の内容だが、

♪ ミニーは鉄火肌のべっぴん、そのハートは鯨のよう。ミニーの情夫スモーキーはジャンキー(シャブ中)。
二人でチャイナタウンの阿片窟に行き、どっぷりヤク漬け。
スモーキーは稼いだ悪銭で、ミニーに高級車、大邸宅、競走馬まで買い与え、すっかり“おねだりミニー”に吸い取られている。
ミニーはスモーキーからかすめた100万ドルを悦に入って勘定している。 
ハイディ ハイディ ハイディホー ♪

いやはや、ナンセンスソングのはしりである。リフレインの後半、♪ハイディホー がバンド・メンバーとのコール&レスポンス・スタイルを取る。なんてことはない、掛け合いである。これが大いに当たり「Mr.ハイディホー」と渾名が付けられ、彼のトレードマークとなった。予め申し上げるが、これらの歌詞をまともに訳してはいけない。なぜなら、これらの言葉のひとつひとつが、ニューヨークを中心に黒人たちの間に広まった、スラングで綴られているからである。遥かアフリカから奴隷として新大陸に連れてこられた黒人たちは、やがて彼らの伝統的言葉遊び、ダズン(気の利いた悪口を言い合って戦う遊び)を発展させたジャイヴ・トークを創り出し、白人には理解できぬスラングとして、言わば彼ら独特の陰語で語り合う風習が出来上がっていた。つまり「ミニー・ザ・ムーチャー」はこの黒人流のイカした喋り方で歌われているからである。
ジャイヴ・トークについては、キャブ・キャロウェイ自身が1944年にジャイヴ・トークの解説辞書を出版している。「Mr. Hepster's Jive Talk Dictionary」=邦題「ヘップスター辞典」。誠に馬鹿馬鹿しい限りだがご参考までに。
翌1932年、この大ヒットで気を良くしたのか、ハロルド・アーレン作曲、テッド・コーラー作詞のコンビで、アンサーソングというより続編が出た。それが「ミニー・ザ・ムーチャーズ・ウェディング・デイ」である。これがまた大ヒットしたのだ。内容は同じように馬鹿馬鹿しいものだが、ミニーと情夫スモーキーの事の顛末を綴っている。続編の方も取るに足らぬ内容の歌詞なので解説するまでもなく、ここは二番煎じの愚は避けるとしよう。

さて、次なるは「ミニー・ザ・ムーチャー」の映像版である。キャブは後年、映画俳優として多くの映画に出演している。彼の映画デビュー作品は、短編漫画映画のベティ・ブープ・シリーズ「Minnie the Moocher・ベティの家出(1932)」であった。当時、一世を風靡したコミカルな歌手へレン・ケーンをモデルにしたベティ・プープは、マックス・フライシャーが制作した漫画映画の主人公である。ベティちゃんとして日本でも昔からファンが多いキャラクターである。マックスの弟・ディヴ・フライシャーは、キャブが大変お気に入りであったため、キャブに音楽を担当させていくつかのベティ・ブープ短編漫画映画(アニメ)を作っている。因みにベティの声の役は主にメー・ケストルである。彼女は別のアニメ、ポパイの恋人オリーブ・オイルの声でも有名。日本のベティの声は、マリリン・モンローの声優でお馴染みの向井真理子が担当している。マリリン・モンローといえば映画「Some Like It Hot・お熱いのがお好き(1959)」の中で♪ I Wanna Be Loved By You ブッ プッ ピ ドゥ ♪とセクシーに歌っているが、あれの元はベティちゃんで、そして元祖はヘレン・ケーンの得意の歌であった。話がそれたが「Minnie the Moocher・ベティの家出」は、父親と口喧嘩して愛犬ビンボーと家出したベティが、不思議な洞窟でセイウチのお化けと出会う。このセイウチのお化けが「ミニー・ザ・ムーチャー」を歌い、踊るのである。声は勿論キャブ・キャロウェイ、恐くなったベティとビンボーは、命からがら家に逃げ帰るというお話。このアニメの冒頭に実写のキャブが登場する。その時の流れ出るバックの曲は「聖ジェームス病院」である。バンドの演奏に乗って長い指揮棒を振り振り、全身でくねくね踊る、これが彼の記念すべき映画デビューとなった。
マックス&ディヴ・フライシャー兄弟は余程キャブが気に入ったとみえて、このあと「Snow White・ベティの白雪姫(1933)」を制作。そこでは実写ではなくアニメとなったキャブにもう一度「聖ジェームス病院」を歌わせている。他にキャブがアニメで出演したベティ・ブープ・シリーズには「The Old Man of The Mountain・ベティの山男退治(1933)」もあり、他に2本、計5本、制作されている。これもついでながら、ベティ・ブープ・アニメに出演した他のジャズ関係者にも触れておこう。「ベティの You Rascal You 」にはルイ・アームストロングが出てきて「ユー・ラスカル・ユー」を歌っているのは有名。ルディ・ヴァリー、ドン・レッドマンはサウンドトラックとして両楽団がいくつか出ている。大物歌手エセル・マーマンも何作か出演している。また別作品のアニメにはファッツ・ウォーラーのもあるが、それはまた別の機会に。

映像としての「ミニー・ザ・ムーチャー」の最高傑作は、なんといっても1942年に制作されたサウンディーズ(映像版ジューク・ボックス)であろう。キャブは歌も踊りも絶頂期にあり、生き生きしとして素晴らしいの一語に尽きる。バックに映し出される楽団メンバー=ジョナ・ジョーンズ(tp)、ベニー・ペイン(p)、ミルト・ヒントン(b)、コージー・コール(ds)の顔もはっきりとその映像から見てとれる。
彼はやがてミュージカルの舞台俳優を経て映画界に飛び込み、ちょい役も含めて沢山の映画に出演するようになっていく。代表的作品ではミュージカル映画「ストーミー・ウェザー(1943)」がある。そしてジョージ・ガーシュウインのミュージカル「ポーギーとベス(1935初演)」では舞台俳優として出演、のちに映画化されるが、悪役“スポーティン・ライフ”は彼の俳優としての素質が開花し、ミュージカル俳優として名声を勝ち得たものとなった。余談だが、ジョージ・ガーシュウインは“スポーティン・ライフ”役を、キャブを想起して書き上げたという。そう言われてみれば、キャブは生まれながらの個性に満ちた役者であり、芸人だったのであろう。


                    (続く)

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キャブ・キャロウェイは黒人エンターティンメントの最高峰である。
彼は偉大な歌手であり、優れたバンド・リーダーであり、ダンサー、コメディアン、そして映画界における貴重な性格俳優でもあった。おまけにズート・スーツなる奇抜ないでたちでファッション界に一大旋風を巻き起こし、はたまた怪しげなジャイヴ・トークの先駆者でもあり、時代を超えた異色の芸人であった。

キャブことキャベル・キャロウェイは、1907年ニューヨークで生まれ、ボルティモアで育つ。クレイン大学を出ているということは当時の黒人としてはインテリ層の出自といえよう。音楽家としての経歴はニューヨークで、ロックウッド・ルイスのザ・ミズーリアンズのヴォーカル&ドラマーとして入団したのが始まりである。後にジ・アラバミアンズに移り、司会などを担当。その楽団がサヴォイ・ボールルームをやめる時、再びザ・ミズーリアンズに復帰。その後、ちゃっかりバンド・リーダーに納まり、バンド名をキャブ・キャロウェイ・オーケストラに変えてしまった。どうやらこの辺りから、白人凄腕マネージャー=アーヴィング・ミルズの陰が見え隠れする。暗黒街に少々顔が利くアーヴィング・ミルズは、デューク・エリントン楽団の専属マネージャーとなって、同楽団をハーレムで有名な「コットン・クラブ」に専属楽団として出演させたり、レコーディングしたりと、その辣腕振りを遺憾なく発揮していた。そのエリントン楽団が映画「ブラック&タン(1930年)」の撮影のため同クラブを休演することとなり、その後釜としてキャブ・キャロウェイ楽団がコットン・クラブの専属になることが決まった。遣り手のアーヴィング・ミルズはこの時すでにデューク・エリントン楽団とキャブ・キャロウェイ楽団の両方のマネージャーをしていたので、クラブとの専属契約話はすんなりついたのである。因みにコットン・クラブは、お客は全て白人、レビューは全て黒人、という特殊な高級ナイトクラブであった。
このコットン・クラブでの出演をきっかけに、キャブ・キャロウェイは一躍ハーレムの人気の頂点に立つことになる。ステージ上での彼は、例のズート・スーツなるいでたち、膝まである長い上着に、その裾から金メッキの鎖をだらりとはみ出すように垂らし、だぶだぶのズボンは裾下が先細りになって湾曲し幾重にも下がるという奇抜この上ないステージ衣装であった。ハンサムですらりとした長身のキャブは長い指揮棒を振るい、オーケストラを指揮するというより、踊り狂っているようである。くねくねと身体を揺すり、アクロバティックで奇妙な振り付け、これまでに誰も目にしたこともない、それはそれは変わったアクの強いショーダンスであった。なによりキャブは容姿に優れ、美声の持ち主であり、そのバリトン・ヴォイスは張りがあって艶っぽく、高く澄んだ歌声で聴衆を魅了する堂々たるヴォーカリトであった。響き渡る声で朗々と歌ったかと思うと一変、今度は機関銃のような早口で迸り出るスキャット、軽妙なダンス・ステップ、オーケストラをぐんぐんリードして観衆を魅了する、正にエンターティンメントの真髄がそこにあった。このコットン・クラブでの成功でキャブ・キャロウェイの名声は轟き亘り、人気バンド・リーダーとしての地位は確立されたのである。
これまで、我国のジャズ評論界におけるキャブ・キャロウェイという人物の評価は、極めて低く、ジャズマンというより異端な芸人という括りに片づけられて、まるでゲテモノ、キワモノを見る様な扱いを受けてきた。それでも戦前では、キャブ・キャロウェイ楽団は一流であると認められていたのだ。それが戦後になって芸術性を重視するモダン・ジャズ一辺倒の風潮と、その信奉者たちによる歪んだ視点により、キャブの音楽性はまったく受け入れられず、無視され続けてきた。この時期のジャズ界は、黒人の奇をてらったように見えるエンターティナー性を異常なほど忌み嫌い、潔癖のあまり拒絶反応を示したのは、ジャズ・ジャーナリズムの誤った偏向によるものである。キャブがこれまで不遇を託ってきたのは、我国ジャズ界の汚点としか言いようのない、正に痛恨の極みである。当時1930〜40年代のジャズ・オーケストラというと、デューク・エリントン、フレッチャー・ヘンダーソン、はたまたカウント・ベイシーたちカンサス・シティのいくつかのフルバンドがざっと挙げられるが、キャブ・キャロウェイ楽団が語られることは殆んどなく、過小評価もいいところである。この時期、キャブ楽団は音楽の上品さ、質の高さ、楽団員の顔ぶれからみればデューク・エリントン楽団には及ばずとも、人気ではデュークを遥かに凌いでいた。キャブ楽団が、1930年代のあらゆるバンドよりギャラが高かったことがそれを立証している。彼は、ジャズの精神を歌と踊りで視覚化させた最初の巨人であり、ルイ・アームストロング、ファッツ・ウォーラーに勝るとも劣らぬ最高のジャズ・エンターティナーであった。
栄光のキャブ・キャロウェイ楽団には、枚挙に暇がないほど多くの名手たちが在籍した。去来した名人ジャズ・ミュージシャンたちをざっと挙げても、
ピアノ=クライド・ハート、ベニー・ペイン、
トランペット=ドク・チータム、ジョナ・ジョーンズ、
クラリネット=エディ・ベアフィールド、
トロンボーン=クロード・ジョーンズ、
テナー・サックス他=ベン・ウェブスター、イリノイ・ジャケー、ウォルター・トーマス、サム・テイラー、
ギター=ダニー・バーカー、
ベース=ミルト・ヒントン、
ドラム=コージー・コール、
特筆すべきは、夭折の天才テナー・サックス奏者=レオン“チュー”ベリーや、モダン・ジャズの先駆者=トランペットのディジー・ガレスピーたちも在団したのである。ついでながらアレンジャー陣にも、ベニー・カーターを筆頭にドン・レッドマン、バスター・ハーディング、アンディ・ギブソンなどの大物、一流どころが起用されているのだ。これを以ってしても彼は一介の歌って踊る指揮者ではなく、超大物のオーケストラ・リーダーであり、黒人エンターティナーの最高峰だったのである。

最初に彼の歌と演奏を有名にしたのは「St.James Infirmary Blues=聖ジェームス病院」と「Minnie the Moocher=ミニー・ザ・ムーチャー」の2曲に尽きる。「聖ジェームス病院」は南部に昔からあったトラディショナル16小節変型ブルースを、先に述べた白人マネージャーのアーヴィング・ミルズが“ジョー・プリムローズ”の偽名で作詞、作曲者として登録し、デューク・エリントン楽団とキャブ・キャロウェイ楽団の両方に録音させ、同時期にレコードとして世に出した大ヒット曲である。黒人の精神病院の悲哀を歌った曲と後世に語られるが、真実はアイルランド民謡「The Unfortunate Rake」であり、詞文中にSt.James Hospitalとして病院名が出てくるがInfirmary(診療所)ではない。放蕩の末、女に殺された男が遺体となって話す内容の歌である。これがアメリカに渡って西部の「ラレード通り」、南部の「聖ジェームス病院」と分かれて浸透し、歌い継がれた曲である。このことは以前「重箱の隅(20)聖ジェームス病院」に細かく書いているので御参照願いたい。

                    (続く)

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時々気が向くと書いているブログ・シリーズ「重箱の隅」だが、気がついてみれば通常のジャズ・ナンバーとは逸脱していることが多い。ま、しかし、ジャズ屋のオヤジの気晴らしなのであまり固いことは考えず、今回も“陰のスタンダード”ということで笑ってお見過ごし願いたい。
 
カントリーミュージックの名曲をトラッド・ジャズ、ことにニューオリンズ・ジャズ系のミュージシャンが好んで取り上げるのは、米国音楽史上、西部、南部の共通音楽の関係から良くあること、つまり当たり前のことである。その一つに「谷間のともしび」がある、当店でもご多分に洩れずニューオリンズ・ジャズバンドが時折演奏している。御年配のお客様の中には「故郷の我家」と憶えておられる方がしばしば見られる。そこで気になったので今回はいつもの長文にならずにさらっとおさらいしてみよう。

原曲「When It's Lamp Lightin' Time in the Valley」
作詞・作曲:J. Lyons, S. C. Hart and The Vagabonds 1932年

ジョー・ライオンズ、サム・ハートと無名のコーラスグループ「ザ・ヴァガボンズ」の合作とあるが、米国開拓時代のアパラチア地方か中西部で歌われていた元歌があるという記述がある。現在でも、カントリー・ミュージックやブルーグラス・ナンバーとしてよく演奏される。因みにブルーグラスとは、ケンタッキー州を中心とした山岳地帯の民謡から1940年代に派生したカントリー・ミュージックで、バンジョー、マンドリン、ギター、バイオリンなどの楽器で演奏される。

When It's Lamp Lightin' Time in the Valley

1. There's a lamp burning bright in a cabin
In a window it's shining for me
And I know that my mother is praying
For her boy she is longing to see
(1st chorus:)
When it's lamp lighting time in the valley
Then in dreams I go back to my home
I can see that old light in the window
It will guide me where ever I roam

2. In the lamp-light each night I can see her
As she rocks in her chair to and fro
Though she prays that I'll come back to see her
Still I know that I never can go
(2nd chorus:)
When it's lamp lighting time in the valley
Then in dreams I go back to my home
But I've sinned against my home and my loved ones
And now I must evermore roam

3. So she lights up the lamp and keeps waiting
For she knows not the crime I have done
But I'll change all my ways and I'll meet her
Up in Heaven when life's race is run
(repeat 1st chorus:)


「谷間のともしび」(正式邦題) 和訳詞・西原武三 歌・東海林太郎

黄昏に我家の灯 窓にうつりしとき
わが子帰る日祈る 老いし母の姿
谷間灯ともしごろ いつも夢にみるは
あの日あの窓こいし ふるさとの我が家
谷間灯ともしごろ いつも夢にみるは
なつかしき母のまつ ふるさとの我が家
(繰りかえす)

日本では昭和9年(1934)(ポリドール)東海林太郎の歌で大ヒット。巷のダンスホールでもよく演奏され一世を風靡した。私の所持しているボロボロのSP盤では、紙袋の表には手書きで「故郷の我家」と書かれているが、中身のレーベルにはちゃんと「谷間のともしび」となっている。邦訳は故郷を懐かしむ内容であるが、原詞では2番のコーラス部分と3番にあるように、罪を犯して逃亡中の男が、故郷の母を偲ぶ切実な内容となっている。
御存知の如く、東海林太郎は我国歌謡界の草分けであり、昭和初期の大スターである。ふさふさとした髪にロイドめがね、燕尾服を着て直立不動で歌う姿は日本歌謡界の鑑、張りのあるテノールは今聴いても色褪せることのない不滅の名歌手である。あざといコブシなど一切捨てた、けれん味のない歌い口、高潔で淡々と歌うこの「谷間のともしび」を、是非、機会があれば御一聴をお奨めするものである。

                      (終)

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