Never give up!

Never too late!どんなことがあっても、遅すぎるなんてことはないのだから、決してあきらめないで!

アメリカでガンになった

[ リスト | 詳細 ]

2006年の1月に姉をガンで亡くした。自分がガンになったとき、不思議とすんなりと受け止められた。ところがガンだと知っていながら、手術をする医者の予約さえもなかなか取れないもどかしさ、日本とアメリカの医療の違い、そして驚き、ほんの4ヶ月の間に4度の入院をアメリカで経験してしまった。
記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

一年

今日でちょうど一年。去年の3月16日にガンの手術をした。この一年がものすごく長かったようでもあり、ものすごく短かったようでもある。でも、振り返ってみると、やっぱりいろんなことがあった。未だにお腹の手術縫合の部分は腫れている感じ、外側がこうなのだから、内側はもっと治癒が遅いのではないだろうかと思ってしまう。

今日は気持ちの良い青空。

青い空を見上げ、生きていることに感謝。手術当日も、その後もいつも助けてくれた友人が、「一年前の今日、本当に怖かった」と言ってHugしてくれた。
ガンの手術からもうすぐ一年がたつ。直腸を切り取ったせいかと思うが、未だに便通が悪い。手術をする前までは毎朝快便だっただけに、あの爽快感を懐かしく思う。手術後はずっとゴムの入ったパンツ(日本で言うところのスラックスです)しか穿けなかった。この一年でかつてないくらいのスウェットパンツを購入した。今週に入ってから、すっかりと春らしい陽気になり、何を着ようかとちょっと迷ってしまった。もうゴムのスウェットパンツはうんざりしてしまっている。今日は衣装箱から一年間眠っていたジーンズを引っ張り出して、片っ端から穿いてみた。そのうちのかなり穿きなれた古いジーパンのファスナーをちょっとこわごわと引っ張り上げてみたら「痛くない!」。手術から約11ヶ月後にやっとジーパンが穿けた。

母に言えない

ガンになったことも手術をしたこともまったく母には言っていない。いつか日本へ帰国して会った時に話そうと考えているのだけれど、今すぐに帰ることが出来ず、毎週の電話のたびに元気だよとうそをつき続けている。死を意識したときは、思わず言ってしまおうかとさえ思ったけれど、結局電話口の母の声を聞いて言えなかった。

母は今年74歳になった。今年の日本の夏はとても厳しかったそうで、電話の声を聞いたときに、このまま二度と会えないのではないかとかなり落ち込んだ。母が亡くなってしまったら、私には家族と呼べる人が誰もいなくなってしまう。いつかやってくるだろうその日を考えるたびに悲しくて泣きたくなる。

子宮ガンの手術で下っ腹を一文字に切った。女性は子宮でものを考えるなんて蔑視した言葉を聞いたことがあるが、まんざらうそではないかもしれない。何故ならば、手術の後ずーっと私は泣くことを許されなかったのだ。泣きたくても下腹が許してくれなかった。ものすごく悲しく思ってぐわーんと気持ちが押し寄せて来ても、その気持ちを開放させてあげることが出来ないことが辛かった。

そこで思ったのが、私のこの子宮ガンはもしかしたら、深い悲しみと、多くの悩み苦しみがもたらしたものではないかと言うこと。長い間苦しいことが立て続けにあって、とうとうその重たいものが形となって身体に住み着いちゃったのかもしれない。

おとといの夜、私は泣いた。あぁ傷が癒えてきているんだなぁと思った。

Getting better

自宅で約一ヶ月間一日3度の抗生物質を服用した。昨日Colonoscopy(腸のカメラ検査)の結果、少しずつ穴がふさがっているので、3ヶ月後にまたクリニックの予約を入れるようにとのこと。

おなかの腫れは毎日少しずつひいているように思う。再度大きな手術をしないで済んだことに感謝の気持ち。ほんとうによかった。毎日家でゴロゴロ、テレビを見て過ごすこともまんざら悪くない。9月の末からまた学校が始まる。それまでこのグーたらな生活を満喫しようと思う。

私が死を意識していたときに、友人のひとりが言ってくれた言葉。人間の身体は計り知れない力を秘めている。絶対に良くなるのだと信じることが必要だと。そう言ってくれたその友人は、生まれつきの不治の病を持っている。子供の頃はほとんど入院生活を強いられたそうだ。医者には35歳まで生きられないと言われ、今は45歳。35歳の当時は毎晩車の事故で死ぬ夢を一年間も見続けたそうだ。その友人の言葉は、深く私の心に響いた。

多くの励ましと、助けてくれた友人たちに、ありがとうの気持ち。

2ヵ月後に執刀医の予約が朝の9時に入っていた。かなり早めに病院に着き、私以外誰も待っていなかったにもかかわらず、それから2時間後ようやく名前が呼ばれ、診察室へと向かう。やって来た医師は、私がおなかが痛いと言えば、あぁまだ2ヶ月だからと答え、子宮頚管が痛いと言えば、3ヵ月後に検査をしようと言う。便通が悪いと訴えたら、直診検査(指を肛門に入れる)をし、その痛みで私は泣いた。医者は多分肛門が狭まっているのだろうから、ちょっと簡単な広げる処置をしたほうが良いと言う。後ほど婦人科医(ガンを宣告した医師)から連絡があるから、と言われた。

その後、かかってきた電話で婦人科医に教えられた胃腸科の病院へ予約を要れた。なんと1ヶ月以上も先しか予約がとれない。執刀医に直診検査をされた後、どんどんと痛みが増し、少し出血も見られた。再度胃腸科の医師へ電話を要れ、なんとか早めに会うことは出来ないかと尋ねたが、結局だめだった。

ようやく会った胃腸科の医師は中国人のお医者さんだった。彼も第二外国語の人間で、日本にも滞在経験があると言っていた。彼はひと目私のおなかを見たとたん、これは何かおかしいと言い緊急で血液検査とCTを受ける手配をしてくれた。その金曜日の午後5時過ぎに、たぶん腸に穴が開いているので、翌週の月曜日に腸のバリウム検査を受けるよう電話が入り、日曜日からまたおなかを空っぽにするための下剤を1ガロン飲んだ。今度は処方箋で出された緩やかな薬だったので、前回ほどの苦痛は味わわずに済んだ。

月曜日の午後、胃腸科の医師から電話がかかってきて、手術で縫合した腸の部分がleakingしているので、すぐにERへ行くようにと言われた。それからまた入院が始まった。何も食べられない状態で、翌日の早朝、医師が穴にクリップを止める簡単な手術を行った。6個のクリップはその後の便通で2個すぐに落ちた。その後また腸のカメラ検査のため、1ガロンの下剤を飲んだ。後日今度は当初の執刀医と胃腸科の医師が二人そろってやって来て、結局そのまま手術室へ送られた。またあの執刀医が手術をすると知った時は正直とても不安を覚えた。これは後で知ったのだが、胃腸科の医師は手術はしない医者なのだそうだ。

意識はまったくなかったが、多分30分か一時間程度の手術だったのだろうと思う。メタルグルーを入れたと言われた。その後の出血と痛みはさらに私を不安にさせた。そしてその翌日、また別の医師がやって来て、君は何をしたのか?と聞かれびっくり。執刀医は今日退院しても良いといっているがどうするかと言われた。私は前回の経験から、もう一泊することにした。でも、やはり退院時に抗生物質は処方されなかった。

その翌日胃腸科の医師に予約を入れた。一週間後に会う予約となったのに、その翌日電話がかかってきた。私のメッセージを病院で受けなかったのか?と言う。私はまったく何も受け取らなかった。

一週間後に胃腸科の医師に会い、またバリウム検査の予約。一ガロンの下剤の後、やはりまだ穴が開いている。今度は抗生物質を処方され、スタンフォード大学病院へ転送されることとなった。ところが、突然翌日に子宮摘出時の執刀医から電話があり、明日の9時半に彼のクリニックに来てほしいと言われた。彼は胃腸科の先生とは別の医師を紹介されたが、私はスタンフォードの転送手続きを待った。

転送の手続きに数日かかると言われ、毎日確認の電話を入れたが、3日後にようやく転送手続きの担当者がと電話で話すことが出来たら、なんと保険会社に私の保険がスタンフォードもカバーするか確認せよと言われた。その間も私の腸は漏れ続けているというのに、、、、確認後、再度転送のコーディネーターに電話を入れたが、留守電でつかまらない。ようやく医師のナースがFaxで転送手続きを済ませてくれ、今度は自分で予約を入れる。ところが、すでにオフィスはしまっていて翌日に持ち越し、、、まるでドラマの世界。いつからLeakingが始まっていたのか、まったく分からない。ぱんぱんに腫れたおなかを眺めながら、このまま死んでしまうことをとても意識した。

二人のアメリカ人の友人が、二人ともまったく同じ助言をしてくれた。もしも本当にシリアスだと思ったら、何度も何度もそれを訴えなければいけない。しつこくすると嫌がられるかもしれないが、そういうタイプの人間こそが長生きするのだと。アメリカのことわざで The squeaky wheel gets the oil 、キーキーと音を立てる車輪はオイルを得ることが出来るというのが直訳だが、実際は大騒ぎするほど注目を集めると言うらしい。私はそれに習って、必死に訴えた。

予約までに前回までの検査写真を取り寄せなければならないと言われ、車で胃腸科の医師が居る病院へ向かっていたところ、今すぐスタンフォードの医者が会えるが来れるか?と言われた。奇跡が起こったように感じた。すぐに家に戻り私が持っているデータのコピーを持ち、スタンフォード大学病院へと向かった。

会った医師が私のおなかを診て、2つの選択肢を伝えた。一つは再度開腹手術をして、一度縫合した部分の腸を切り取りもう一度つなぎ合わせる。もう一つは、便をおなかの袋に集めて数ヶ月Leakingしている部分が癒えるのを待つ。どちらにしてもこのまま入院を勧めると言われ、家に帰らずにそのまま入院となった。

スタンフォードの入院の手続きは日本とあまり変わらなかった。その後、自分で指示された病室へと向かう。なんと地下だった。とは言っても、くぼみに建っている建物の窓からはちゃんと空が見れる。もしかしたら、入り口が2階であそこは地下ではなく1階だったのかもしれない。

病室は二人部屋。それでも窓際のベッドが取れてラッキー。扉は常時開けっ放し、ナースステーションは目の前、夜中も大きな声が聞こえてくる。そして3交替制はここも同じ。Group担当医師がやって来て、細かくいろいろと質問する。CTをするのでそれまで何も食べちゃ駄目、飲んじゃ駄目状態。翌日の朝に一人の女医が3人の医師を引き連れて回診。まるでドラマの「白い巨塔」のようだった。

翌日の午前中にCTを受けたが、前日の昼まで食事をとって下剤を飲んでいないのに腸に液体を入れて検査すると言う。検査の後は便と検査の液体でどろどろ。病室に戻ったとたんシャワーを浴びたいとナースに頼んだ。

シャワーを浴びて友人に持ってきてもらった歯ブラシで一日半ぶりでようやく歯を磨いていたところへ、先日会った医師がやってきた。CTの結果、穴はとても小さいものなので、抗生物質を家で服用し、二週間後に予約を入れるようにと言われた。そう、家に帰ってよいのだそうだ。正直、手術はけっして免れないと思っていた私はこのまま家に帰って本当に良いのだろうかと不安な気持ちと、突然思いもかけずに退院だと言われ、ポカンとした状態。あまりの突然のことで、質問すべきこともそのときには頭に浮かんでこなかった。

退院の手続きはなかなか進まず、結局家にたどり着いた時は金曜日から土曜日に日付が変わっていた。月曜日を待ち二週間後の予約を入れた。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事