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祈り
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オーストラリアで流れるニュースを見ながら、 この地震や津波の被害をどのように受け止めていいか戸惑い、すぐに祈ることができなかった。 津波が家やビル、車を押し流す光景、燃えたきる工場、家屋から白いハンカチをふって助けを求める人たち、そして、原子炉の問題、、、 アメリカ映画を見ている錯覚に襲われるのだが、この災害が、自分の母国、日本で起きている。 金曜日の時点で、死亡者は、一人ということだったが、土曜日の朝起きると、千人となっていた。 一人でも多くの人の命が救われること、家族や友人を失った方がたの心の癒しと慰め、そして、亡くなった方たちの霊にも、神様が救いの御手を伸ばしてくださることをお祈りした。 やがて、報道をみているうちに、被災した方やそのご家族はもちろんのこと、今まで経験したことのない大きな地震を経験され、余震が来るたびに恐怖を感じておられる日本の皆さんのことを思うと、信仰もすっとんでいってしまい、すっかり気が滅入ってしまった。 ところが、新しい映像やレポートが入ってくるたびに、私にはあることが見えるようになった。 知らない者同士が慰めあって、抱き合う光景、 たまたま新幹線に乗っていた外国人記者が、新幹線の中でもi-phoneや i-padを持った若者たちが同じ車両の人々に情報を提供するなどして、互いに助け合っている姿をリポートしていた。 人々が互いに手を組んで寄り添うように非難する姿、 他国では、災害時には、パニックが起きて、食料品を確保するために、スーパーなどのものを無断で盗んでいくような姿が報道されるが、日本では、この非常事態でも、列を作って並んで買い物をしている姿が映っていた。 また、日本からレポートする外国人記者たちは、地震国に住む日本人が互いに助け合いながらこの非常事態に落ち着いて望んでいるとコメントしている人が多かった。 他国のリーダーたちは、総理大臣の要請があればすぐにでも日本のために動くと話していた。 これまで、世界のいたるところで災害や問題があれば、惜しみなく援助してきた日本に対して、世界じゅうが日本のために何かをしたいと望んでくれている。 そう、そこに見えたのは、「愛」である。 「愛するものたち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。」(ヨハネの手紙4:7) 「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。 もし私たちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(ヨハネの手紙4:12) 普段はあまり会っていない友人さえも、テキストをくれて、日本の家族の安否を気遣い、クリスチャンではないのに、神様にお祈りしていると優しい言葉をかけてくれた。 日本の皆さんは、この災害の渦中にいて、そんなふうには思えないかもしれない。 でも、私は、昨晩、こんなことを思っていた。 「人間は、すぐ自分を造った神様から離れて自己中心的に生きてしまう罪深いものだ。 でも、人間も捨てたもんじゃない。 だって、私たち一人一人は、神様が造られた作品なのだから。 私たちには、互いに愛し合い、労わりあう優しい心も与えられているんだ。」とそう思った。 「神は人をご自分のかたちとして創造された。」(創世記1:27) 互いに助け合い、気にかけあう日本人の姿を見て、愛おしい、、、そう思った。 今朝、祈りのうちに導かれた御言葉。 「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。 それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。 おとめイスラエルよ。 わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。 再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。」(エレミヤ31:4) 「くずすのに時があり、建てるのに時がある。」(伝道者3:3) 旧約聖書の中で神様が悔い改めない街をその怒りを持って滅ぼされる話が出てくるが、私は、神様が怒りをもってこの地震や天災を起こしているとは思わない。 神を無視して生きてきた人類の罪に対する罰は、イエスキリストの十字架によって完結しているからだ。 自然災害は、いつの時代にも起きた。今に始まったことではない。 もちろん、頻度が多くなったという事実は否めない。人類が、地球を痛めつけたからだ。 ただ、神様は、この世に起きてくる自然災害や苦難さえも用いて、人類の心を建て直すチャンスに変えてくださるお方だと信じている。 日本に起きたこのことが、日本ばかりか、世界中のどれだけ多くの人に「生きるということ」「死ぬということ」「生きている意味」について考えさせているかわからない。 私たちは、神によって造られた。 そして、私たちには、神の元に帰り、永遠のいのちを持って、神の国に生きる道が与えられている。 そのような神様との交わりがあったにも関わらず、正直、ルカ12章の礼拝のメッセージを聞いているうちに、心が乱され、礼拝中ずっと泣いてしまった。 「鳥やゆりの花、草よりも私たちを大事だと言っておきながら、どうして、あなたはこのことが起こるのを黙って見ておられたのですか。」 津波に流される家々や車、そして、その中にうづもれて亡くなっていった人々の姿が私の頭の中をぐるぐる回っていた。 礼拝の後も、さんざん泣いて悪態をついたが、友達に慰められるうちに、神様の計画はあまりに大きすぎて私たちにはわかりえないのだということがわかった。 そして、神様は、私にしてくださったように、大きな愛と憐れみと恵みを持って日本や日本人の心を建て直してくださると今は信じている。 犠牲者の命を決して無駄にしてはいけない。 今こそ、日本は霊的にも、社会的にも、政治的にも、変えられるチャンスを与えられている。 「砂」の上に建てた国ではなく、「愛」の土台の上にもう一度日本が建て直されることを祈る。 PS: 皆さん、元気を出しましょう!神様がついています。 特に鬱病などのメンタルヘルスの問題を抱えている方にとっては、本当に大きなストレスになっていることと思います。 体調を崩さないように、心配や不安が襲ってきたときは、頭の中でぐるぐるやらずに、神様に自分の想いを正直に伝えて、お祈りし、心を落ち着けて聖書を読んでみてください。 神様が必ず、私たちの心に語りかけてくださいます。 私も、がっつりやられてしまったので、自分の想いを神様にゆだねていきたいと思います。 引き続き、日本のため、皆さんのためにお祈りします。 また、今回の記事は、クリスチャンの私が個人的な見解を書いたものですが、不安や悲しみにくれている方がたを傷つけるようなことを書いていないか心配です。もし、気に障ることが書いてあったら、ごめんなさい。
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神の御手の跡はバックミラーに映るように見える、と常々思います。なぜこの家に住んでいるのか。あの人やこの人、あれやこれやの状況が、私の人生に入って来たり、出て行ったりしたのはなぜか。困難や痛みを体験したのは、あの場所に行ったのは、あの仕事が与えられたのはなぜか。人生を振り返って考えると、それらの理由が分かることがあります。 神の「御手のわざ」(詩92:4)によって、私の人生の旅路がどのように管理されてきたかを顧みるなら、神の愛と知恵によってまさに導かれてきたのだと、かなりはっきり分かります(とは言っても、完全にではありません。それは天国に行ってからのお楽しみです)。神は、本当によく私を助け、導き、管理してくださいました。私も詩篇の作者と同じようにうれしくなります。心の中で、喜びの声を上げたくなります(詩111篇)。 しかし、この先の人生を考えるなら、すべてを見通せるわけではありません。明日への道は曲がりくねり、霧がかかり、恐ろしくて、たじろいでしまうこともあるでしょう。来年を迎える前に一度立ち止まって、今年の一年が映ったバックミラーをのぞいて見ましょう。そして、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」とは、神が本気で語られたみことばなのだと、喜びとともに再確認しましょう。そうすれば、私たちは「主は私の助け手です。私は恐れません」(ヘブ13:5-6)と大胆に宣言することができます。 さあ、神のご臨在と助けの約束を胸に、堂々と自信満々で2011年に踏み出しましょう。 過去に神の導きを経験していれば、それが未来への確信につながる
デイリーブレッドより抜粋
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ADVENT LITANY 全能の神よ、私たちの切なる祈りをお聞きください。 主よ、お聞きください。 日ごとに暗さを増し、夜ごとに疲れていく世界に 主よ、おいでください。 繰り返す罪により、荒廃と没落に向かう社会に 主よ、おいでください。 愛と平安と信頼を失いかけている私たちの人生に 主よ、おいでください。 あなたが望まれた正義と和解とをもたらすために 主よ、おいでください。 苦しむ隣人と共に生きるために闘う者たちの所に 主よ、おいでください。 真理の灯が暗くなりかかっている教会の中に 主よ、おいでください。 私たちは信じて待っています 主よ、おいでください。 永遠の神の御言葉は人となり 主は、再び来られます。 マラナ・タ!罪の赦しと平和の支配を完成し、御国は到来し、 主は、再び来られます。 御名が崇められますように、天に栄光がありますように。 アーメン ※マラナ・タ=イエス・キリストの時代の言語「アラム語」で「私たちの主よ来てください」の意味
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