一晩中、嵐でした。こちら横浜は、今朝も暴風雨状態です。
これじゃ、どこにも出かけられません。
幸いに今日は仕事がオフです。
昨日、教会で一冊の本が目にとまりました。
それは、横浜で活躍した宣教師達の伝記です。
中でも、「ヘボン式ローマ字」で有名な「ヘボン」の生涯について興味を惹かれました。
彼の本名は、James Curtis Hepburn ジェームス・カーチス・ヘップバーン です。
ヘップバーンが、当時の日本人には「ヘボン」と聞き取れてしまったのでしょうね。
彼は、横浜で、医療を施して有名になりました。
瞬く間にその噂は広がり、遠く江戸からも彼に病気を診てもらおうとたくさんの人が横浜の
彼の住居に訪れました。
当時の幕府は、彼がキリスト教を広めるのではないかと案じ、(当時はキリスト教は禁制でした)
活動をストップさせました。
しかし、彼のような西洋医学を施す医者が日本にはまだいなかったので、幕府も庶民の声に
負けて、横浜を一種の、長崎の出島のような場所にしたのです。
横浜は、出島と同じように、外国人が活躍できる場所となったわけです。
ヘボンが行ったのは医療だけではありません。
1867年に上海で印刷され、最初の和英辞典となった
「和英語林集成 A Japanese and English Dictionary」はヘボンが編纂したものです
日本で最初の和英辞典を編纂したのが彼です。
そして、聖書の日本語訳も行いました。
キリスト教の伝道にも力を注ぎ、現在の桜木町にある、「指路教会」を設立、建設したのも
彼の仕事でした。
また、彼を慕って多くの人が学問を学びに集まりました、「ヘボン塾」と言われる学びの場を
提供しました。これが後に現在の「明治学院大学」になったそうです。
彼は明治学院大学の初代院長です。
ヘボン先生は日本語を愛し、その発音が忠実に再現されるようにローマ字も作りました。
これが現在でも使用されている「ヘボン式ローマ字」であります。
彼の他にも、たくさんの宣教師達が、明治維新をきっかけにキリスト教の布教が許された日本に
やってきました。その本拠地が横浜であったのです。
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