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YMCA(Young Men's Christian Association)は、1844年に産業革命下のイギリス、ロンドンで、同世代の仲間の人格的成長や生活改善を願う20歳代前半の12人の青年たちによって組織されました。
18世紀の半ばから、19世紀の半ばにかけて、イギリスでおこった産業革命とその後の資本主義の発達は、大量の賃金労働者を生み、人々の生活を大きく変化させました。YMCA創立者の一人、ジョージ・ウイリアムズ(1821〜1905)は、イギリス南部の農園から14歳で都市に出て徒弟として呉服商で働いていました。その頃の呉服商の店員の労働条件は、労働時間が1日平均14時間、週6日勤務という苛酷なものでした。同僚たちの多くが、勤務時間後に強い酒を飲んだり不道徳なことをして時を過ごすのを見ていたジョージは、極度の疲労は人の心・精神をも弱くするということを痛感していました。ジョージは、人が自らの力で内側から環境を良くするには何が必要かということを真剣に考え、キリストへの信仰による愛と勇気が必要であるという思いにたどり着きました。そして、熱心な祈りをもって、自分の勤めている店の中を中心として祈りのグループをつくりました。それが1844年6月6日、YMCAの結成につながりました。 日本YMCA基本原則 私たち日本のYMCAは、 イエス・キリストにおいて示された愛と奉仕の生き方に学びつつ、 世界のYMCAとのつながりのなかで、次の使命を担います。 私たちは、 すべての人びとが生涯をとおして全人的に成長することを願い、 すべてのいのちをかけがえのないものとして守り育てます。 私たちは、 一人ひとりの人権を守り、正義と公平を求め、 喜びを共にし痛みを分かちあう社会をめざします。 私たちは、 アジア・太平洋地域の人びとへの歴史的責任を認識しつつ、 世界の人びとと共に平和の実現に努めます。 (1996年6月15日第106回日本YMCA同盟委員会採択) |
キリスト教入門
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つたない知識の範囲でキリスト教を少しでも多くの方に知っていただこうと開設した書庫です。聖画なども載せています。
ナザレに住んでからの、その後のイエスについは聖書にくわしくは書かれていない。ただ、12歳になった時の逸話がルカに書かれている。 両親は毎年、過越際(すぎこしさい)にエルサレムへ旅をした。祭りが終わって帰路についたとき、12歳の少年イエスはエルサレムに残っていたが、両親はそれに気づかなかった。 探し回ったが、見つからなかったので、エルサレムに引き返した。三日後、エルサレムの神殿の境内で、少年イエスが学者たちの真中に座り、話を聞いたり質問をしたりしているのを見つけた。周りの者はみな、イエスの賢さに驚いていた。 母はイエスに向かって言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 するとイエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」と言った。 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 聖書に書かれたイエスの生涯で生まれてから30才になるまでの記述がすっぽり抜けている。
唯一、12才の少年イエスの行いがあるが、それ以外は謎である。 30才から33才までのたった3年間の活動が2000年経った今でも語り継げられているということがとても奇跡的である。 母マリア、父ヨセフの元で信仰を深めていったことは想像できるが、大工のせがれとして、平凡に人生を送っていたイエスの充電期間だったのかもしれない。 |
使徒言行録 2章1節〜 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 ペンテコステとは、ギリシア語の「50」という意味で、イースターから50日目です。しかし、その背景にあるユダヤ教の暦によれば過越の祭から50日目すなわち「五旬節」「七週祭」の日です。
なぜ50日目が特別な日なのかというと、一週を7日と考え、さらにその週が7回繰り返されるからです。聖書の数についての象徴的な意味づけの中では、7は聖なる数、神に属する数あるいは完全を示す数字と考えられているので、7の7倍の49日が経過して、その次の日という意味で、「50日」という区切りに一つの意味を置いています。 さらにこの日はクリスマス、イースターと共に、キリスト教的生活の中の一つの区切りを示す季節的な祭としても親しまれるようになりましたから、特にキリスト教が中部および北部のヨーロッパに伝えられるようになるとそこでは、いわゆる遅い春から夏に向かう喜ばしい緑の季節の祭としての意味を、民間習俗などの中にもたらすことになりました。 それは、すでにキリスト教以前から行われていた夏の到来を喜ぶ風習、「緑の祭」と結びついて各地、各民族においてさまざまな習慣や、行事を生み出したということです。そして逆にそのような事柄は、多くの地方で見られました。そこから「緑のクリスマス」という呼び方も生まれました。 クリスマスに、神の御子イエス・キリストがこの世にきてくださったことに対応して、いま、神の聖霊がこの世に来てくださって、私たちと共にいてくださるという聖書の理解がそこに込められているということができるでしょう。 |
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レンブラント 「よきサマリア人」 ルカによる福音書 10章25節〜37節 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。 「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 イエスが、 「律法にはなんと書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるのか」 と言われると彼は答えた。 「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい、また 隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 イエスは言われた。 「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 しかし、彼は自分を正当化しようとして、 「では、わたしの隣人とは誰ですか。」と言った。イエスはお答えになった。 「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服を はぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その 人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやってきたが、その人を 見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、 その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油と葡萄酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連 れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して 言った。『この人介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなた はこの三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」 そこで、イエスは言われた。 「行って、あなたも同じようにしなさい。」 補足 ※当時の通貨デナリオンは銀貨で一日の労働の報酬と同額程度と考えられます。従って、サマリア 人が宿屋に置いて行った金額はおよそ、2万円程度と推測できます。
※当時、ユダヤ人とサマリア人は宗教上の理由から対立していました。 |
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