マルコによる福音書16章14節〜 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。 「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」 主イエスは弟子達に話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子達は出かけて行って至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。 |
キリスト教入門
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つたない知識の範囲でキリスト教を少しでも多くの方に知っていただこうと開設した書庫です。聖画なども載せています。
マタイによる福音書28章1節〜 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわき転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人達に言った。 「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられな い。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それ から、急いでいって弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そしてあなたが たより先にがリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かにあなたがたに伝えました。」 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。 「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会 うことになる。」今日はイースターです。 |
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最後の晩餐「Last Supper」レオナルド・ダヴィンチ ルカによる福音書21章14節〜 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。 「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、私は切に願っていた。言っておく が、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。 「これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国がくるまで、わたしは今後ぶどうの実か ら作ったものを飲むことは決してあるまい。」 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。 「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさ い。」 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。 「この杯はあなたがたのために流される、わたしの血による契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る 者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子 を裏切るその者は不幸だ。」 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。 最後の晩餐とはイエス・キリストが磔刑の前夜に12人の弟子とともにした晩餐を指し、「主の晩餐」とも呼ばれているものです。新約聖書の「マルコによる福音書」14:17-26 や「ルカによる福音書」22:14-23に記述されており、イエスは裏切者を指摘するとともに、パンとブドウ酒をとって自らの体であり血であると言う場面です。つまり、「裏切りの予言」と「ミサの制定」です。
この「最後の晩餐」(Last Supper)が行われたのが木曜日、金曜日には十字架に磔られ、日曜日に復活するという実にあわただしい1週間を記念するのが受難週です。今週はその「受難週」にあたります。 |
【レント】 イエスキリストの十字架の意味をテーマにして礼拝を守る特別な期間があります。 それはいろいろな呼び方で呼ばれていますが、「四旬節」とか「復活前節」とか「大斎節」などがそれです。内容的に一番わかりやすいのが「受難節」です。「キリストが苦難を受けたことを想い起こして礼拝を守る期節」という言い方が一般化しています。 しかし、日本語でも教派によっていろいろな呼び方があるので、今では「レント(Lent)」(本来は単に「春」という意味)という呼び方で、お互いに理解し合えるような場合が多くなってきています。 この語は本来「長くなる」(Lengthen)という意味で、日が長くなる季節のことです。 【灰の水曜日】 キリストの苦しみと十字架の死を記念する季節は、日曜日を含んで46日間、日曜日を別にすると40日間です。しがたってイースターの6週間前の日曜日のさらに数日前、つまり毎年水曜日から始まることになります。その水曜日は昔から「灰の水曜日(Ash Wendnesday)」と呼び慣わされていたわけですが、聖書の中に出てくる灰の象徴的な意味を理解することが必要になります。 灰というのは、一つは人間が最後は灰(死)になるということ、さらにはその懺悔や悲しみの象徴として灰が出てきます。 灰の水曜日は今年は3月1日です。深い悔い改めや悲しみを表現する灰でしるしを付けます。さらに神の前で真剣に祈り、懺悔や悲しみの訴えをする時、長い時間をかけて祈り続けると、祈っている人の頭や肩に塵が降り積もるほどであったという理解があって、深い真剣な懺悔を表すために、塵ないしは灰をかぶって祈るというような風習も一部にはあったと言われています。 昨日が灰の水曜日でした。これからイースターまでの長い期間、教会はいくつかの特徴のある変化を持たせて、この期節の特別の意味を象徴的に表し、意識するための工夫がありました。 例えば、この日から始まるレントにおいては教会の装飾の色、典礼の色は紫色に変える。あるいはこの期間には、喜ばしい内容を表す讃美歌、「ハレルヤ」というような歌詞のあるものは歌わないとか、あるいは教会の鐘をならさないとか、礼拝の中では普段使う伴奏楽器、オルガンを使わないで、アカペラ(「修道院付属聖堂風に」という意味)で歌うとか、さらには聖壇に花を飾らないとか、この間に、結婚式を挙げないとか、今でもそのような伝統が生きている教会もあります。 レントはイエスキリストの受難(PASSION)を時を超えて想い起こす時です。 こんな風に考えてみてください。
もしも神様から「あなたに特効薬をプレゼントしよう。それはどんな病でも癒せるものだ。しかし、効くのは1回限り、他の人を治せば、その人の病はあなたが背負うことになる」と言われたら、どうしますか。おそらく自分より愛している人のために使うでしょう。これこそ、イエスが私たちのためにしてくださった選択なのです。 |
元々一つの宗派だったキリスト教が、最初に分裂したのはカトリックと正教です。 地中海沿岸を支配したローマ帝国が395年に東西に分裂します。 西はバチカン、東はコンスタンチノーブルです。 以後この二つの宗派は独自性を保って共存しますが1054年に お互いを破門しあう形で決裂します。カトリックとギリシャ正教です。 次の分裂がカトリックとプロテスタントです。封建社会の中で 腐敗が進んだカトリックに対しマルティンルターがドイツで宗教改革 を起こします。カトリックに抗議(プロテスト)した事から この一派をプロテスタントと呼ぶようになりました。 以上が三派分裂の歴史です。 |




