マタイによる福音書28章1節〜 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわき転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人達に言った。 「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられな い。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それ から、急いでいって弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そしてあなたが たより先にがリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かにあなたがたに伝えました。」 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。 「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会 うことになる。」 |
キリスト教入門
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つたない知識の範囲でキリスト教を少しでも多くの方に知っていただこうと開設した書庫です。聖画なども載せています。
受難節(レント、四旬節)の初日の水曜日を「灰の水曜日」(Ash Wednesday)と呼びます。この日は復活祭(イースター)から数えて46日前に当たりますが、復活祭が毎年移動するので、最も早い年では2月4日、最も遅い年では3月10日が灰の水曜日となります。 聖書では、灰はしばしば「悔い改め」や「清め」のシンボルとして登場します(マタイ11:21など)。カトリック教会などではこの日行われるミサで、出席者は司祭から額に灰で十字を描いてもらい、日没まで顔を洗いません。この日使われる灰は、前年のシュロの主日に祝福されたシュロの木(あるいはそれにかわる木)や葉っぱを燃やしたものですが、そのままだと額にくっつかないので、オリーヴ油を定着剤としてまぜるのだそうです。こうした習慣は11世紀末から続いています。 灰の水曜日からいよいよ受難節。カトリック圏では前日のマルディ・グラ(肉食い火曜日=受難節に入る前に肉をたらふく食っておこう、つーことですね)で盛り上がった謝肉祭(カーニヴァル)も終わり、信徒たちは復活祭まで、「灰」に象徴される悔い改めと節制の生活に入ります。 |
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イザヤ書53章1〜6節 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は主の前に立った。 見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。 彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が担ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 彼の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。 そのわたしたちの罪のすべて 主は彼に負わせられた。 旧約聖書は、イエス・キリストが生まれるずっと前に書かれた書物です。
イザヤ書は、イエスが生まれる700年ほど前に書かれた書物なのです。。 この53章が、語っている『彼』とは、いったい誰のことをさしているのでしょうか。 イザヤは預言者と呼ばれています。予言と預言の違いに着目してください。 予言は、将来の出来事を予め言い当てるという意味ですね。 それに対して『預言』とは、神様から御言葉を預かったという意味があります。 イザヤもその一人、聖霊の力を受けて言葉を預かり、弟子達に広めたのです。 イザヤが言う『彼』とは、明らかに700年後のイエス・キリストをさしているのです。 旧約聖書の預言が成就される形で、イエス・キリストが生まれ、そして死にました。 新約聖書は、そのイエス・キリストの教えを書物にしたものです。 ですから、わたしたちキリスト教徒は、旧約聖書も読む必要があります。 新約聖書に書かれた『救い』とは、旧約で約束された出来事だったというわけです。 今日、わたしは、イザヤ書の53章の御言葉を与えられました。 みなさんにも、聖書のことを少しでも知っていただけたらと思い、与えられた聖書の箇所を ブログの記事にしました。 イエス・キリストの愛が、何百年も前に預言者達によって語られていた事実を心に留めて 罪の赦しと、救いについて、共に考えようではありませんか。 |
マリアの賛歌 ルカによる福音書1章46節〜56節 そこでマリアは言った。 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低いこの主のはしためにも目を留めてくださったからです。 今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。 その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし 身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹まま追い返されます。 その僕イスラエルを受け入れて憐れみをお忘れになりません、 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」 マリアは、三ヶ月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。 アドヴェントクランツに三つの光が灯されました。
今から2008年前の出来事を聖書は語ります。 乙女マリアに天使が現れ、受胎告知をします。 マリアは信仰深い人でした。神様は特別にマリアを選んだのです。 それは身分でもなく、富でもなく、むしろ、身分の低い貧しい娘を選んだのです。 そして、イエス誕生の出来事はその後2000年以上の時を超えて、いまだに世界中で語られています。 わたしたちはこの事実を受け止める素直さを今こそ持つべきです。 聖書は当時の預言者によって書かれましたが、それは聖霊の働きによるものでした。 神様は人間の言葉を使って私たちに救いのしるしを残されたのです。 今年もクリスマスがやってきます。 世界中の人々が祈りに包まれます。来週のクリスマスには世界中が「愛」で包まれるのです。 「マリア」という映画が封切りになりました。 イエス誕生までの出来事を歴史的な事実になぞらえながら描かれた美しい映画です。 みなさんも機会があったら観てくださいね。 クリスマスは、誰の元にもやってきます。 それは救いのメッセージなのです。 |
救い主イエス・キリストの降誕を祝う祭日で、英語においては”キリストのミサ”という意味を持っています。正確な日は不明で、4世紀より古代教会で降誕を祝う祭日が生まれました。 ローマでは、当時盛んであった太陽神崇拝のミトラス教が、ローマ暦で冬至にあたる12月25日を不滅の太陽神の誕生日としていましたが、教会ではキリストこそ真の正義の太陽であるとの 考えから、この日を主の降誕の日として祝うようになりました。 祭壇の前にイエス・キリスト誕生の場面を模した馬小屋の伝統は、アッシジのフランチェスコ以来のもので、クリスマスツリーやリース、ヒイラギなどは,もともとキリスト教以前のヨーロッパの冬至祭に由来し、もみの木のクリスマスツリーは、17世紀以降に飾られるようになりました。 クリスマスの4週間前の日曜日からアドヴェント(待降節)が始まります。
4本のローソクに毎週一本ずつ点灯していき、4本目の日曜日がクリスマスの特別な礼拝を持つ日曜日になります。 今週は第2アドヴェントでした。二本のローソクに火が灯り賛美の特別な礼拝が行われました。 キリストは、また来臨されます。その日を待ち望むクリスチャンたちが今もひたむきに祈りを捧げています。 イエス・キリストは十字架に架かって死に、3日目に復活されました。 そして再びこの世にやってくると聖書は語ります。 その日は近いと思います。 世界は今破綻しようとしています。この世は全て焼き尽くされ、神様の計画は実行に移されます。 主よどうか、来てください。私たちの救いの為にもう一度来てください。 アーメン |





