神様へのメール

【クリスチャンのつぶやき】この祈り 君に届け

キリスト教入門

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つたない知識の範囲でキリスト教を少しでも多くの方に知っていただこうと開設した書庫です。聖画なども載せています。
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エル・グレコ「盲人を癒すイエス」

フランス自然主義文学の先駆者である「フローベル」という作家の短編にこういう話があります。
 冬の寒い日に聖人が道を歩いていた。すると、そこにらい病を患った乞食がいた。寒いのでその
 乞食は聖人に、あなたのマントをくれと言った。聖人がマントを与えると、その乞食は服もくれ
 と言う。服をやると、今度は下着もくれというわけで、聖人はとうとう裸になってしまったのです。
 ところが、そのらい病を患った乞食は、それでも寒いと言って、おまえの体で温めてくれと要求する
 そこで、聖人が抱きしめてやると、もっと強く抱きしめい、と言い出した。聖人が強く強く抱きしめて
 いると、その乞食が、いつも間にか変じて、イエスになった。
イエスは、醜いもの、面白くないものを、生涯決して棄てることはありませんでした。
このお話に出てくる「らい病」とは、私たちの人生そのものではないでしょうか。
人生というのは、膿が出たり汚らしいことが多く、もともとらい病みたいなものなのです。
その汚いものを棄てずに抱きしめておけ、そうすれば、それが光を放つもの、イエスというもの
イエスというのは愛ということですから、愛というものになりますよ、とこの短編は教えているのです。
きれいなもの心惹かれると言う感情、これは情熱です。しかし、愛というのは「棄てない」ということ
ではないでしょうか。自らの選んだパートナーや、自ら生きている人生を途中で棄てるような人は、
愛がないということになるのではないでしょうか。

※遠藤周作「私のイエス」より引用

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The Temptation of Christ

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      ルカによる福音書4章1節〜
さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を「霊」によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。
「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界の全ての国々を魅せた。そして悪魔は言った。
「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」
イエスはお答えになった。
「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」
そこで悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。
「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのはこう書いてあるからだ『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』また『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

サタンの誘惑についての記述は、マタイ、マルコ、ルカのそれぞれの福音書に書かれている。
マタイの記述によると、悪魔が去った後、天使たちが来てイエスに仕えた。と書かれている。
サタン(悪魔)という言葉は旧約聖書にもしばしば登場し、敵する者を表す普通名詞で個人または国家への敵対者を指していた。
新約聖書では洗礼を受けたイエスを試すために現れ、「神の教えの成長を妨げる者」「偽り」「殺人の扇動者」「絶えず人を神から離反させようとする者」の象徴として何度も登場する。
私たちの生活において、サタンの存在とはいったいどのような者を指すのでしょう。
「主の祈り」では、『我らを試みにあわせず、悪より救い出し給え』という一節があります。すなわち、サタンは私たちを絶えず試そうとする存在であるのです。それは人間の弱さにつけいる「誘惑」という名の悪魔です。お金や権力、男女関係、贅沢な生活、あらゆる場面でサタンは私たちを試します。
マタイは、『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と記述しました。この一節はとても大事なことを私たちに教えてくれます。
パンは人が生きる為に必要な基本的な欲求を象徴しています。衣食住は特に必要です。しかし、それが足りていれば生きていけるのでしょうか。生物としての人間は確かにそれで生きることができます。聖書が語る「生きる」とは、単に呼吸している生物の状態を示しているわけではありません。人は神の口から出る一つ一つの言葉、すなわち、聖書に書かれている神の言葉によって生活することこそが真に「生きる」という意味を教えてくれているのです。
サタンの誘惑は今日も繰り返し私たちを襲います。神の言葉によって生きていない人間はその弱さ故に
誘惑に負け、悪魔の虜になってしまいます。報道されている暗いニュースを見ていると、それが人間の愚かさを感じさせられずにはおれません。
神はあなたと共におられます。そしてサタンもしかりあなたの傍らで今日もあなたを試そうとするのです。神に祈るという行為なしに、サタンに打ち勝つことはおそらくできないでしょう。

クリスマスは12日間

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クリスマスは12月25日、町の飾りはみんな取り払われてしまいましたが。教会のクリスマスは
来年の1月6日の公現祭(エピファニー)と呼ばれる特別な日(エピファニア【Epiphanias】とは
「輝き出る」という意味のギリシャ語です。)までの12日間続きます。
メリークリスマスという挨拶はこの期間ずっと交わされていくわけです。
従って、クリスマスの飾りである、ドアリースやクリスマスツリー、クリッペなどは1月6日にしまう
のが正しいのです。
みなさん、メリークリスマス!あなたに平和がありますように。

アドヴェント第四主日

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     ルカによる福音書 2章21節
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から
示された名である。
4本のローソクに灯りが灯りました。
今日はクリスマスイブ、
世界中がこの夜、祈りに包まれます。
地球規模の祈りです。
みなさんは、何を祈りますか。
地球は今、急速に「愛の星」に向かっています。
「愛」こそ地球を救う唯一の手段です。

イエスキリストは、十字架に架かるためにこの世に生まれました。
誕生物語はそのまま、死の物語へと繋がっているのです。
クリスマスの色、緑と赤は、命と血を意味していると思います。
イエスキリストの生と死を想起しましょう。
そして祈りましょう。
世界の平和を
家族の平安を
クリスマスおめでとう。
救いの主は生まれたもう。

アドヴェント第三主日

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いよいよアドヴェントクランツに3本のローソクが灯りました。

1ヶ月間待ちに待ったクリスマスを迎える週がやってきたのです。

「待つ」ということについて考えてみましょう。

人と待ち合わせをして相手が遅れた場合、

私たちは時間が来たからと行ってすぐにそこを立ち去ることなく

しばらく「待つ」はずです。

なぜなら相手が必ず「やってくる」と信じているからです。

相手に対する信頼が前提にあって「待つ」ことができるのです。

そしてその裏には相手との「約束」があるからです。

「待つ」とは「約束」と「信頼」の上になりたつ行為なのです。

キリストは必ずやってくる。これは神との約束でした。

だから人々は「待ち」続けたのです。

♪久しく待ちにし 救いの主来たり
 
 とらわれの民を 解き放ちたまえ
  
 喜べ インマヌエル 来たりて 救いたもう♪   
   
   讃美歌21 231番

※ インマヌエル=ヘブル語で「神 我らと共にいます」という意味

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