神様へのメール

【クリスチャンのつぶやき】この祈り 君に届け

心に響く言葉

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皆さんにも是非知っていただきたい心に響く言葉達を紹介しています。
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ルターの言葉

「私はここに立っている。それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ」

                            マルチン・ルター


神様を信じるって、理屈じゃないんだろうな。
ルターの言葉はそれをよく言い表している。
必要なものは、全て与えられてきたし
全て失う経験もした
恵と試練
これは表裏一体なのだと思う。
祈りはいつも聴かれてきたし
全ての祈りを叶えてくださったわけでもない
しかし、神は、そうやって導いてこられた
是か非か。その判断は神にしかできない
私たちはただ、恵に拠って生きることしかできないのだ
神を信じるとは、与えられた全てのことに
ただ感謝することなのだと思う。

友なるイエス

わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。
―ヨハネ15:14


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フェイスブック・ドットコムは、2004年に始まった大学生同士のつながりを目的としたウェブサイトです。今ではすべての年代が利用でき、ユーザーの数は現在のところ、4億人にのぼるとされています。各ユーザーは各々自分のページを持ち、そこに「友だち」が見ることのできる写真や個人情報を公開しています。誰かを「友だち」にするとは、自分が誰で、どこに行き、何をするかという情報を相互に流させることです。フェイスブック内の人間関係は、軽くても深くてもかまいませんが、まず「友だち」になりましょうと「招待」されなくてはなりません。

イエスが十字架にかかる直前、イエスは弟子たちにこう言われました。「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです」(ヨハ15:14-15)。
 

自分ではなく相手を優先させる、目的が一致している、揺るがない信頼があるというのは、真の友情のしるしです。これは特に、神との関係においてそうです。キリストは率先して私たちのためにご自分のいのちをささげ、キリストを知り、キリストに従うようにと、私たちを招かれました。

主イエスの「友だち」になろうという「招待」を、あなたは自分をオープンにして受け入れましたか。

(David McCasland)

イエスは私たちの友だちになることを強く望んでおられる。



デイリーブレッドより引用



讃美歌に、♪いつくしみ深いともなるイエスは  愛のみ手により支え導く 世の友われらを
捨て去るときも 祈りにこたえて なぐさめられる♪(讃美歌21 493番3節)
この歌の歌詞は、まさにイエス様が私たちの友達になろうとしてくださるという内容になっています。
小学校の音楽の時間には、「星の世界」という題名でこの歌のメロディを習います。
人間の友は自分を捨て去ることもある。しかしイエス様は、決して私たちを見捨てない。
そのことを信じている人は最も強くされると思います。
そう言えば、FACEBOOKに先日登録しました。
まだ日本での利用者は少ないようなので、友達はいませんが。

心の優しい人

怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す。
―箴言29:22


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噴火しました。周囲のものをなめ尽くし、爆風は核爆発並みです…とまで言うのは違うかもしれませんが、それでも、怒りの炸裂は、特に家族に向けられた怒りは、火山の噴火のように激しいことがあります。怒りの爆発は、一瞬で終わるかもしれません。しかし、その後に残るのは、感情のもつれや、何とも言えない後味の悪さでしょう。

悲しいことですが、私たちのとげとげしい言葉のターゲットとなるのは、大抵の場合、私たちの最愛の人たちです。腹の立つことはありますが、自分の応答は自分で選択しなくてはなりません。つまり、怒りに任せて応答するか、優しく応答するかです。
 

聖書は、怒りや敵意を自分から追い出して「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」と教えています(エペ4:32)。

怒りっぽいために良い人間関係が築けなくて苦しんでいるのなら、それは感情面の弱さです。あなたの弱さを、キリストの強さに支配していただきましょう(ピリ4:13)。短気な自分を赦してくださいと祈りましょう。そして、気性が優しくなる方法を示していただき、人を敬うすべを教えていただきましょう(ロマ12:10)。激しい感情を適切に処理する方法が学べる道を、誰かに助けてもらって探しましょう。

人を熱心に愛し、神を喜ばせようとするなら、私たちは火山の噴火のような激しい怒りに、打ち勝つことができます。

(Cindy Hess Kasper)

怒りをぶちまけても、怒りが去るわけではない。


  デイリーブレッドより引用




「己に厳しく、他人に優しく」  
これは、昔、教え子達にいつも伝えてきた言葉です。
他人に対して優しく接していくことって子ども達にはとても難しい。
大人になる過程で、自己中心的な世界を持っているのが子どもです。
そんな難しい時期に、自分に厳しく、他人に優しくなんて困難極まりない言葉です。
それでも、この言葉は生きている。
昨日、そう思った。
子ども達に心の中に、ちゃんと浸透しているんだって。
みんなとにかく優しい。
その優しさの中にいると心地よかった。
いつもでもそこにいたいと思った。
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
―ローマ12:15


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ゴルダ・メイアは人生の苦難も成功も両方経験しました。建国して20年そこそこのイスラエルの首相となり、多くの紛争や敗北を体験しましたが、同時に、いくつかの成功と勝利の喜びを味わった時期もありました。彼女は、喜びと悲しみについて、「心の底から泣くすべを知らない人は、笑うすべも知らない」と語りました。

使徒パウロは、泣いたり笑ったりする人生を送りましょうと呼びかけていますが、ひとひねりされています。私たちに向けたパウロからのチャレンジは、ローマ人への手紙に記されています。「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ロマ12:15)。彼は自分たちの外にも目を向けて、他の人の必要に目を留めなさいと語っています。
 

力ある主は、ご自身の御心を他の人たちの内に、またその人たちを通しても、成そうと願っておられます。ですから、もし私たちが自分の勝利を喜ぶだけならば、神の力を喜び賛美する素晴らしいチャンスを逃してしまったのです。また、もし私たちが自分の失敗や損失だけしか悲しまないなら、私たちは、痛んでいる人たちに寄り添って共に悲しむチャンスを逸したのです。

人生は、喜びと悲しみ、また勝利と敗北、という両極端の体験に満ち溢れています。しかし、私たちは人々の人生に関わって、神の恵みが現れる現場に立ち会う特権をいただいています。その特別なチャンスを逃さないようにしましょう。

(Bill Crowder)

他の人の必要に目を向けることは、キリストを敬うことだ。




  デイリーブレッドより引用



寄り添うということを実践したければ
聖書が言うように、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」ことだと思います。
その人の痛みを真に理解するならば、思わず涙がこぼれるし
その人の歓喜が理解できるならば、思わず笑顔になるでしょう。
このような寄り添いを「共感」と言います。
共に感じる
感情を共有する
そんな存在が自分にとって欲しいですよね。
誰でもがそれを欲しいと思う。
聖書は、そういう存在に自分がなりなさいと勧めています。
自分がして欲しいことを他者にしてあげること。
これが「愛」なのかもしれません

狭い門

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
―マタイ7:14


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あるアジアの大都市を訪れたときのことです。あまりに多くの人が路上にあふれているので、目を見張りました。人々は、歩くのもままならないほどの人ごみの中を、驚くほど早足で通り過ぎていきます。

そんな中、あるトランペット吹きが「おどろくばかりの恵みなりき」を、やさしく物悲しげに演奏していました。多くの通行人は音楽にも演奏者にも気づかないようでしたが、それでもトランペット吹きは、神の愛のメッセージを奏で続けていました。道行く人の中には、その曲を知っていて、歌詞に思いを巡らせる人があったかもしれません。
 

この体験を思い出すとき、まるで寓話のようだと感じます。彼の音楽は、キリストについて行きましょうという招待状のようです。福音のメッセージを受けて、ある人たちは、神のおどろくばかりの恵みを信じて狭い道を選んでいきます。一方、別の人たちは、神の恵みを無視して広い道を選び、永遠の滅びに向かっていきます。イエスは言われました。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(マタ7:13-14)。

イエスは十字架で死なれました。それは、イエスの御名を「呼び求めるものはだれでも」(ロマ10:13)、神の恵みによって赦されるためです。

(Bill Crowder)

キリストを信じる者は、救いを受ける


デイリーブレッドより引用


この世には「誘惑」が渦巻いています。
それはとても広い門で、誰でもがそこに魅力を感じ、容易に入り込めます。
そのような門から入ると、「滅び」に至るのだとイエスは言いました。
狭い門。それを探し当てるのは容易ではありません。
自分は狭い門を選んできただろうか。
そう振り返るとそうとは言えません。
容易く手に入る誘惑達に負けて生きてきました。
イエスが言っている言葉に耳を傾けることもしないで。
命に通じる門は狭い。
肝に銘じておかなければ。

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