「私はここに立っている。それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ」
マルチン・ルター
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心に響く言葉
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皆さんにも是非知っていただきたい心に響く言葉達を紹介しています。
わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。 ―ヨハネ15:14 -------------------------------------------------------------------------------- フェイスブック・ドットコムは、2004年に始まった大学生同士のつながりを目的としたウェブサイトです。今ではすべての年代が利用でき、ユーザーの数は現在のところ、4億人にのぼるとされています。各ユーザーは各々自分のページを持ち、そこに「友だち」が見ることのできる写真や個人情報を公開しています。誰かを「友だち」にするとは、自分が誰で、どこに行き、何をするかという情報を相互に流させることです。フェイスブック内の人間関係は、軽くても深くてもかまいませんが、まず「友だち」になりましょうと「招待」されなくてはなりません。 イエスが十字架にかかる直前、イエスは弟子たちにこう言われました。「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです」(ヨハ15:14-15)。 自分ではなく相手を優先させる、目的が一致している、揺るがない信頼があるというのは、真の友情のしるしです。これは特に、神との関係においてそうです。キリストは率先して私たちのためにご自分のいのちをささげ、キリストを知り、キリストに従うようにと、私たちを招かれました。 主イエスの「友だち」になろうという「招待」を、あなたは自分をオープンにして受け入れましたか。 (David McCasland) イエスは私たちの友だちになることを強く望んでおられる。
デイリーブレッドより引用
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怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す。 ―箴言29:22 -------------------------------------------------------------------------------- 噴火しました。周囲のものをなめ尽くし、爆風は核爆発並みです…とまで言うのは違うかもしれませんが、それでも、怒りの炸裂は、特に家族に向けられた怒りは、火山の噴火のように激しいことがあります。怒りの爆発は、一瞬で終わるかもしれません。しかし、その後に残るのは、感情のもつれや、何とも言えない後味の悪さでしょう。 悲しいことですが、私たちのとげとげしい言葉のターゲットとなるのは、大抵の場合、私たちの最愛の人たちです。腹の立つことはありますが、自分の応答は自分で選択しなくてはなりません。つまり、怒りに任せて応答するか、優しく応答するかです。 聖書は、怒りや敵意を自分から追い出して「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」と教えています(エペ4:32)。 怒りっぽいために良い人間関係が築けなくて苦しんでいるのなら、それは感情面の弱さです。あなたの弱さを、キリストの強さに支配していただきましょう(ピリ4:13)。短気な自分を赦してくださいと祈りましょう。そして、気性が優しくなる方法を示していただき、人を敬うすべを教えていただきましょう(ロマ12:10)。激しい感情を適切に処理する方法が学べる道を、誰かに助けてもらって探しましょう。 人を熱心に愛し、神を喜ばせようとするなら、私たちは火山の噴火のような激しい怒りに、打ち勝つことができます。 (Cindy Hess Kasper) 怒りをぶちまけても、怒りが去るわけではない。 デイリーブレッドより引用 |
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 ―ローマ12:15 -------------------------------------------------------------------------------- ゴルダ・メイアは人生の苦難も成功も両方経験しました。建国して20年そこそこのイスラエルの首相となり、多くの紛争や敗北を体験しましたが、同時に、いくつかの成功と勝利の喜びを味わった時期もありました。彼女は、喜びと悲しみについて、「心の底から泣くすべを知らない人は、笑うすべも知らない」と語りました。 使徒パウロは、泣いたり笑ったりする人生を送りましょうと呼びかけていますが、ひとひねりされています。私たちに向けたパウロからのチャレンジは、ローマ人への手紙に記されています。「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ロマ12:15)。彼は自分たちの外にも目を向けて、他の人の必要に目を留めなさいと語っています。 力ある主は、ご自身の御心を他の人たちの内に、またその人たちを通しても、成そうと願っておられます。ですから、もし私たちが自分の勝利を喜ぶだけならば、神の力を喜び賛美する素晴らしいチャンスを逃してしまったのです。また、もし私たちが自分の失敗や損失だけしか悲しまないなら、私たちは、痛んでいる人たちに寄り添って共に悲しむチャンスを逸したのです。 人生は、喜びと悲しみ、また勝利と敗北、という両極端の体験に満ち溢れています。しかし、私たちは人々の人生に関わって、神の恵みが現れる現場に立ち会う特権をいただいています。その特別なチャンスを逃さないようにしましょう。 (Bill Crowder) 他の人の必要に目を向けることは、キリストを敬うことだ。 デイリーブレッドより引用 |
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。 ―マタイ7:14 -------------------------------------------------------------------------------- あるアジアの大都市を訪れたときのことです。あまりに多くの人が路上にあふれているので、目を見張りました。人々は、歩くのもままならないほどの人ごみの中を、驚くほど早足で通り過ぎていきます。 そんな中、あるトランペット吹きが「おどろくばかりの恵みなりき」を、やさしく物悲しげに演奏していました。多くの通行人は音楽にも演奏者にも気づかないようでしたが、それでもトランペット吹きは、神の愛のメッセージを奏で続けていました。道行く人の中には、その曲を知っていて、歌詞に思いを巡らせる人があったかもしれません。 この体験を思い出すとき、まるで寓話のようだと感じます。彼の音楽は、キリストについて行きましょうという招待状のようです。福音のメッセージを受けて、ある人たちは、神のおどろくばかりの恵みを信じて狭い道を選んでいきます。一方、別の人たちは、神の恵みを無視して広い道を選び、永遠の滅びに向かっていきます。イエスは言われました。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(マタ7:13-14)。 イエスは十字架で死なれました。それは、イエスの御名を「呼び求めるものはだれでも」(ロマ10:13)、神の恵みによって赦されるためです。 (Bill Crowder) キリストを信じる者は、救いを受ける
デイリーブレッドより引用
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