個人 古美術館 夢想館 真贋不明

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茂本ヒデキチ 墨絵集大成展「墨流」 Black  Flow

(大阪阿倍野区) アベノハルカス24階 大阪芸術大学スカイキャンバス 
  〜2017 7 2
* NHK 関西のニュースにて紹介されていました
東京オリンピック、パラリンピック応援看板が、羽田空港国内線ボーディングブリッジに全81面が掲げられているそうです
劇画作家さいとうたかお風?の水墨画のように感じました
生き生きしてダイナミックです!

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・↓ ポストカードにサインをしてくれました! (画面左下のサインです)

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・ ↓ 風景画です
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・ 写真撮影可でしたので、画像ご利用希望の方はコピーして使用可です
川西市立黒川小学校(休校中)・・・川西市最古の小学校

 <川西市立黒川小学校>・・・川西市内最古の小学校 ⇒ウィキペディアより
また、川西市内及び兵庫県内最東端の小学校である
1873年(明治6年)に黒川、国崎、横路の住民の運動によって、甘露寺の建物の一角を借りて開校した
創立当時の児童数は16人、教職員は1人だった
第二次世界大戦が始まると、大阪市神戸市などの都会からそう遠くない事もあって、疎開する児童が増加
1945年に初めて児童数が100人を超えたため、1947年に南校舎を増築
終戦直後が児童数のピークだった
しかし、場所が非常に不便だった事や川西市制開始による都市化の進行に伴い、過疎化が進行
加えて1968年一庫ダムの建設計画が持ち上がって、校区の一部が水没し、地区外へ移転する世帯が出ることが決定された
そして1977(昭和52年)年3月31日を以て休校となり、最後の児童19人は東谷小学校に編入された
廃校閉校の措置を取らず休校にしたのは、「いつか子どもが増えたときは再開してほしい」という地元住民の意思を、川西市側が尊重した結果だった
休校後は、黒川公民館として一般に開放
貴重な木造校舎で、使い込まれたイス教材[3]が残されている事もあって、観光地としての地位も確立している
 なお川西市は2017年現在も廃校としていない

* 兵庫県川西市に住んで45年になりますがこんな小学校があるとは知りませんでした

* 川西市黒川地区は日本一の里山であると地元の人達は自慢しています
平安時代から菊炭の生産地として有名でしたが、今は上記説明通り、生産地区はダムの底に沈んでしまいました
この地区の周囲にはキャンプ地やバーベキュウ広場などがあり、広範囲にわたって観光スポットになっています

・ ↓ 南側校舎入口

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・ ↓ 北側校舎入口 立派な造りです

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・ ↓ 南側校舎入口 
入ってすぐ左側が教職員室?のようです

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・ ↓ 北側校舎の廊下 教室は3室

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・ ↓ 北側校舎教室

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・ ↓ 南側校舎のトイレ

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・ ↓ 校庭 40x50 m位の小さな感じの校庭

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・ ↓ 校門
休校中となっています
右側の石柱には黒川公民館と書かれた板が下がっています

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歴史探訪その1 産業遺跡 神子畑(みこはた)選鉱場 兵庫県朝来市
 哀愁と郷愁の美を求めて!

* 「絶景」というタイトルの雑誌を見ていましたら、廃墟(産業遺跡、遺構とかの別の言い方もあると思いますが・・ここでは産業遺跡としました)の美としての記事が出ていました
こういう光景に心が揺さぶられる自分としては、すぐに行ってみよう!となりました

* 調べてみると、古くは織田、豊臣、徳川時代から日本の貴金属の生産に大いに貢献してきた鉱山であることが分かります

・ 内容についてはインターネット記事を参考にしています

・<神子畑選鉱場>
 国内有数の巨大産業遺構である神子畑選鉱場は、養父市大屋町の明延(あけのべ)鉱山から産出される鉱石を選鉱する場所として栄えていました
 神子畑選鉱場は、1919年(大正8年)年に建設され、山の斜面を利用した施設は22の階層があり、幅110m、長さ170m、高低差75mの建物は東洋一と言われていましたが、2004年(平成15年)に撤去され、今は基層だけが残っています

 神子畑では15世紀ごろ神子畑鉱山としてを採掘する鉱山でしたが、近くの生野鉱山の方が採掘しやすかったため、長く休鉱状態が続いていました
 1878年(明治11年)になって有望な鉱脈が再発見され、翌年から採鉱が始まり、当時は加盛山と呼ばれ、生野鉱山の支山として稼動していました
明治後期、神子畑鉱山には約3000人の作業員がいたとされます
しかし、明治末には次第に産出量が減少してきたため、、生野鉱山が三菱合資会社に払い下げられた後の1917年(大正6年)に閉山しました

その2年後、神子畑鉱山は選鉱場に変更され、明延鉱山の鉱石をスズ、銅、亜鉛などに分け、全国の製錬所に送っていましたが、1987年明延鉱山閉山とともに操業停止しました
 神子畑選鉱場も明延鉱山の閉山に伴いその役目を終え、廃墟と化していましたが、2004年に神子畑選鉱場が取り壊され、今ではその姿を見ることはできなくなっています

 兵庫県教育委員会、明延(養父市大屋町)、神子畑(朝来市朝来町)、生野(朝来市生野町)は、三町に残る鉱山跡の「鉱石の道」事業の中で、神子畑選鉱場で使われてきた道具や設備、トロッコ軌道跡を保存し、当時の名残をとどめています
神子畑ではかつて鉱山の事務所や診療所として使われていた洋館「ムーセ旧居」が修復され、鉱山や神子畑選鉱場の写真を展示し鉱山資料館「ムーセハウス写真館、ムーセ旧居資料館」として公開しています


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・ ↓ 選鉱場の最下部に位置するシックナー(鉱石を選別する装置)の跡
中には当時使用していた機械や階段がそのまま残されています

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・ ↓ 神子畑インクラインの線路
選鉱場跡の左端にあり山に向かって伸びています

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・ ↓ 神子畑小学校
神子畑選鉱場の隣に位置する神子畑小学校跡です
現在は閉め切られた体育館と、シーソー、ブランコ、そしてジャングルジム等の遊具が残っています
しかし、錆びついた遊具を見ていると、ふと懐かしい気持ちになり、校庭を走りまわっていた小学生の頃の自分を思い出します

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・ ↓ セーム旧居
写真、資料館

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・ ↓ 一円電車
明延(あけのべ)鉱山の鉱石を神子畑選鉱場に運ぶ電車
後に働く人なども乗せる電車も連結し、1円の料金であったので、一円電車ともよばれました
15人乗りの小さな車両でした

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・ ↓ 鋳鉄橋
神子畑選鉱場で選別された鉱石は専用の運搬道路を通って生野へと下って行きました
その道路の面影は現在も国道429号線の傍に残っています
運搬道路の見どころは、やはり日本最古の鋳鉄橋である神子畑鋳鉄橋と説明されています

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・ ↓ 取り壊す前の選鉱場

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・ ↓ 現在の生野銀山 
観光スポットとして保存管理され、日頃賑わっています 

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サロメ (新約聖書の一節から)
えっ!と思われる方も多いと思いますが・・・

澤田文一は聖書に題材を求めた作品が多いのですが、この作品もその中の1作品です
何でも絵の対象にする澤田文一ですが、このような作品はそうは無いと思います
オークションに似たような作品が出品されていましたので、敢えてブログUPしてみました
日本でも西洋でも200〜300年前までは普通のことだったのでしょうね・・・
現代でもある?独裁者は似たようなことをしているようにも思えますが・・・

* 新約聖書の魔性の悪女の一人であるサロメ
彼女は母の言いつけで「洗礼者ヨハネの首が欲しい」と義父に頼みます
義父は衛兵に斬首させるよう命じ、ヨハネの首はお盆に乗せられて、サロメに渡されたとされています

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サロメは、1世紀頃の古代パレスチナに実在した女性
義理の父は古代パレスチナの領主ヘロデ・アンティパス、実母はその妃ヘロディア

古代イスラエルの著述家フラウィウス・ヨセフスが著した『ユダヤ古代誌』や、『新約聖書』の「福音書」などに伝わる
イエス洗礼を授けた洗礼者ヨハネの首を求めた人物として、キリスト教世界では古くから名が知られ、その異常性などから多くの芸術作品のモティーフとなってきた
新約聖書では、「サロメ」の名を伝えていないことから、学問上は単にヘロディアの娘と呼ぶことが多い

* 家内の説明では、「サロメの実母ヘロディアの結婚に反対したヨハネに憎しみを持っていたヘロデ大王の妻、ヘロディアが娘のサロメにヨハネの首をとるように頼みなさい」と言うことから起きたことだそうです
ある時、サロメは踊りを上手に舞い、その褒美としてヨハネの首を所望したのだそうです

九尺藤 五大山白毫寺(びゃくごうじ) (兵庫県丹波市)

* アリスさんのブログ写真に触発され、五大山登山を兼ねて白毫寺の九尺藤を見に行きました
今が盛りで、大変な人出でした

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* 境内に孔雀がいて、12時の鐘が鳴ると羽を開くのだそうです
丁度12時に傍にいたものですから、シャッターチャンスに恵まれました!

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・ 後ろ姿です
右側が頭の方です

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