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朝鮮唐津徳利
胴径 最大7 高さ 9 cm
* 桃山〜江戸初期と思います
小ぶりの所謂お預け徳利と言われるサイズです
ブログの材料も良いものはないし・・・で休憩していました・・・😢 |
唐津
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古絵唐津茶碗
武雄系 小峠窯
口径 11.5〜12 cm
* 5つの陶片の呼継ぎです
高台は1つの陶片に収まっていますのでまーまーかなと思うのですが、共色直ししせいか地味に見えます
やはり金継ぎが引き立つようです・・・
口縁は皮鯨、文様は草文と思います
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古唐津三島小服茶碗 古椎の峰窯
口径 9〜10 高さ 5 cm
* ぐい呑みにしては大きいし、茶碗にしては小さいし・・・
そこで小服茶碗?
雰囲気は明るくもなくそうかと言って暗くもなく・・・中途半端かな?・・という気がします
一方、渋いと言う風に感じる方もおられると思います
肌荒れも少なく、発掘伝世品として良いのではないかと思います・・
<古椎の峰窯>
椎の峰窯は3〜4か所あり、その中で一番古い窯を古椎の峰窯と呼んでいます
時代は桃山〜江戸初期(元和、寛永くらいまで)と判断しています
当時の寺沢藩の御用窯として、奥高麗茶碗などを焼いていたとされています
三島手を焼いた窯は古椎の峰窯の他に桃山〜江戸初期の小峠奥窯、川古窯があります
その後新椎の峰窯と呼ばれる大草野、弓野、庭木山等に移行したと考えられています
1723年、御用窯として献上唐津(代表的なものはクリーム色をした茶碗、なまこの出た朝鮮唐津風の薄作の茶碗や盃など・・・)を焼いていた新椎の峰窯は廃業され、以降19世紀半ばまで日用雑器を焼いて細々と保たれていたとされています
<文献:高麗・朝鮮陶磁と日本人 専修大学>
によれば「 ・・・鍋島直茂に従った李参平(金ヶ. 江参兵衛)・・・ 彼らは、波多氏の滅亡以降、 岸岳古窯を去り、椎の峰を中心に活動を再開した・・・
李参平(金ヶ江参兵衛)は、鍋島家の家老多久安順に従って渡来した陶工集団. の長で あった・・・」などとと記述されています
その後元和2年(1616年)に磁器原料を発見し、伊万里を焼くようになりました
したがってこの時代の朝鮮唐津などの唐津の土物は元和2年以前に焼かれたと推定されます
また当時の李朝陶工は茶碗に小さいがぐい呑みには大きいサイズのものを多く焼いたそうです
これらから類推しますと、記事の三島茶碗は元和2年以前の朝鮮陶工によって焼かれた茶碗と判断してよいようです
・ なるべくきちんと解説して、役に立てればと思っていますが、なんせ経験、知識不足・・・
おかしいと思える所がありましたらご指摘ください
どんどん変えていきたく思います <m(__)m>
Tさんの出品記事ですが、同じような時代、大きさの茶碗です
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古唐津三島小服茶碗 古椎の峰窯
10x6 cm
* 椎の峰窯は3〜4箇所あり、その中で1番古い窯を古椎の峰窯と呼んでいます
時代は桃山〜江戸初期、桃山は1614年まで以降江戸初期の頃までのものと推定しています
当時の寺沢藩御用窯として、奥高麗茶碗等を焼いていたと言われています
その後の椎の峰窯を新椎の峰窯と言い、御用窯として献上唐津を焼いていましたが1723年、廃窯され、以降は細々と日用雑器を焼いていたということです
古椎の峰窯の他に三島手を焼いた窯は、桃山〜江戸初期の小峠奥窯、川古窯があり、その後時代が下がり
大草野、弓野、庭木山などに移行したと考えられています
文献によって説も解釈も違うところがあるようです
椎の峰窯と言うと、通常は新椎の峰窯の江戸中期頃のクリーム色やなまこの出た朝鮮唐津風の薄作の茶碗や盃が知られており、あまり古い窯と思われていない方も多いと思います
古椎の峰窯は瀬戸唐津や奥高麗を焼いていたとする説もあり、実際に長石分が多く赤上がりで貫入のはっきりした茶碗や盃が出土しています
松浦系で最も古い開窯と言われています
* この茶碗はどなたかが愛用されていた茶碗らしいのですが回りまわって私のところに来たようです
すっかり方向性を見失い、久しぶりの陶器のUPとなりました
借り物も多くなってきました
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古唐津 ぐい呑 持田窯
サイズ 直径 8 高さ 5.5 cm
* 見込みの釉ハゲ(光ってしまって見にくいですが・・・)、釉薬の濃淡が景色になっています
骨董店主によれば桃山〜江戸初期だそうです
黒唐津と言う人もいるようです
* 某古美術店のHPを参考にさせていただきました
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