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琉球漆器

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琉球漆器 黒漆葡萄青貝螺鈿箔絵盆
32x32 cm 高 さ2.5cm 
16〜17C

* 葡萄文様が描かれていますが、一部の葉と蔦が箔絵、他は青貝螺鈿です
青貝の厚みも薄いもの厚いものを使い分けているようです
琉球漆器のおそらく日本一のコレクターH.Hさん推薦のお盆です
多分文化財クラスの出来栄えのお盆と思います(重文と言う意味ではありません・・・)

最後の写真は、平成13年 MOA美術館主催「尚王家と琉球の美展」で展示された同種の5枚組の小盆です

「・・・本作のように茶の湯に適した瀟洒な作例は類を見ない」と解説されています・・・

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*  




朱漆花鳥文蜜陀絵足付盆 琉球王朝期(1650〜1700年頃
サイズ口径 33.5 高さ11cm
 
* 私としては今年の最後を飾る精一杯の優品です
琉球古美術のコレクターとしては日本一のHさん推薦品です
5年に1度、古美術市場に現れるかどうかの希少品だそうです
口縁に少し剥がれた部分があったのですが、これまた日本一の修理職人雀政五郎さんに修理していただきました
この足付盆はHさんによれば神器ではないかという事です
また雀政五郎さんによれば琉球王朝が薩摩藩、幕府などへの献上品として造ったものではないかと言うことです
鍋島の皿みたいなものですね・・・
大分自慢させていただきました
 
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徳川美術館発行「琉球漆器」 写真31 朱漆花鳥文三重欅蜜陀絵沈金足付盆です
この盆には沈金も施されていますので相当貴重品です
 
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 【密陀絵】 とは・・・インターネット記事より
 
奈良時代に中国から伝来し、平安初期まで盛行した絵画技法。また、その絵。
密陀の油で顔料を練って描いた一種油絵。玉虫厨子(たまむしのずし)の絵などにみられる。油画(ゆが)
(にかわ)に顔料をまぜて描いた上に密陀の油を塗って光沢を出した絵。正倉院御物などにみられる。油色(ゆうしょく)
◆密陀絵の語が用いられたのは近世になってからで、当時漆器装飾についていったが、明治以降は古代の遺品適用されるようになった
琉球王朝漆器 銅造釼 鉄地銀象嵌辻金物坐金 七宝繋地雲鳳凰 錫縁沈金蓋物
1500年頃
サイズ 直径26cm 高さ9cm(取っ手を含む)
 
(1) 概要写真
      拡大可能の写真もあります
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* 境界文様です
   蓋と身の文様は続いています
   従って高さの高いものを切って低いものに直したのでは
   ないということが分かります 
   つまり元から平べったいということです
 
 
 
 
*取っ手です                                                イメージ 14
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坐金の取り付け部を見れば、後になってから取り付けたものでなく、最初から坐金は付いていたことが分かります
 
 この玉ねぎのような形の宝珠は「如意宝珠」と言われます
 「如意宝珠」は意のままに宝を降らす珠のことで、さまざまな病気や苦しみを取り除き、この珠を手にするとあらゆる害毒から逃れられると伝えられています
宝珠は鳳凰の肝龍神の脳の中にあると考えられています
 
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* 桐箱、シフクなどよい造りです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(2) 旧王朝の歴史
現沖縄は14C、北山、中山、南山が鼎立していましたが、1429年に中山王 尚巴志によって統一され、国家的基盤が整えられ琉球と称されました
その後1609年の島津侵攻までの約200年を旧王朝と言います
1429年に成立した琉球王朝は、中国との朝貢貿易を中心に朝鮮・日本・東南アジア諸国との交易と文化交流を通して、独特な王朝文化をつくりあげました
特にに中国からは、朝貢国として破格の待遇を受け、多くの文物と各種の技術が伝わりましたが、その一つが琉球の漆芸だと考えられています
(北山、中山、南山が鼎立している頃より、中国明王朝 洪武帝の元に入貢していたので、中国文化の影響を強く受けていました)
この記事の沈金蓋物はこの旧王朝時代、1500年頃に旧王朝によって造られたものと思われます
(浦添美術館にて確認しました)
 
(3) 類例
当時の作品を、日本に渡ってきた中国物を含めて紹介してみます
 
 
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* 緑漆鳳凰雲点斜格子沈金丸櫃
15C末〜16C  
D19 H17cm
琉球最古の丸櫃と同型のものです
金具のついている丸櫃は少ないです
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
* 黒漆日輪鳳凰雲点格子沈金丸櫃イメージ 9と日輪文様
D19 H19cm   16C
下の写真の上にある丸い文様が日輪です
文様の中心部に位置しています
 「日輪に瑞雲鳳凰」文様は王権の象徴として用い られていました
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* 朱漆牡丹七宝繋沈金丸櫃
1523年制作と認定されています
地紋は格子に点でなく丸になっていて、これを七宝繋文といいますイメージ 11
 
 
イメージ 12* 中国 明時代 牡丹鎗 (そう)金手箱
京都高台寺蔵
沈金を中国では鎗 金といいます
琉球王朝と明朝の 七宝繋文の比較のためにUPしました
琉球王朝と明朝のものがまったく同じものである
ことが分かります
  
地文は格子点地文から七宝繋文に変わってい  きました
 
 
 
* 中国 明朝 雲鳳鎗金手箱
東大寺 重要文化財
50x46 H50cm   斜格子地文に雲と鳳凰が彫られていますイメージ 13
 
 
(4)沈金とは
漆塗りの面にのみや刀で文様を彫り表し、そこに漆を摺りこんでそれが乾かないうちに金箔や金粉を綿などで押し込み、文様以外の 金を拭き取り、刻線内に金を付着させて文様を表す技法です
写真でお分かりのように、気の遠くなるような緻密な細工ものです
琉球のこの記事のような細工物は、当時琉球に中国から技術指導に派遣された熟練漆工の指導の下に琉球王朝が制作したものではないでしょうか・・・
これが造れる漆工がそう簡単に養成できるとは想像しにくいところです
 
(5)記事の沈金蓋物の特徴
この 沈金蓋物は上記のように種々の文献を調べたのですが類例が見つかりませんでした
美術館の学芸員の方も類例を見たことのないものですということでした
その特徴と私の拙い考察を記してみます
 
① 形が平べったい丸櫃である
   用途は不明であるが、祭事の際の装身具などを入れたのではないか・・・
② 丸櫃で金具の付いたものは例が余りないが、これには宝珠型の取っ手が付いていてこの時代の他の工芸    品を見ても例が見つからない
③ 坐金は鉄銀象嵌で、この材質をつかった金具をつけたこの当時の漆器は、琉球、中国を含め見つからない
   当時の類例の金具は中国物を含めて、全て銅かそれにメッキをしたものである
   銀象嵌は格子文様に彫込まれている
④ この取っ手は当然蓋の中心にあり、類例の黒漆日輪鳳凰雲点格子沈金丸櫃の日輪として配置されている
   と考えられる
   
などの他には見られない特徴があります
これはたった1つしか造られなかったからではないかと推察していますが果たして如何なものか・・・
もしかして世界で1つしかないのではないかと・・・
いくら勉強してもつきることがありません
いずれ、沖縄の美術館や東京国立博物館などを訪ねてみようと思っています
 
(5) 宝珠型取っ手について
1月12日に東京国立博物館の展示を見に行きましたときに宝珠型取っ手の付いた茶釜が2つありました
いずれも室町時代の茶釜でした
*芦屋浜松図真形釜 
重文 室町 15C
 
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琉球漆器 徳川美術館他、尚王家と琉球の美展図録 MOA美術館、琉球漆芸 浦添美術館、図版資料 鎗金・沈金・存星 東京国立博物館、CHINESE LACQUER Sir Harry Garner、中国の美術6工芸、中国美術全集8 京都書院 etc
 
この沈金蓋物は、琉球漆器の権威H氏の推奨により購入することとなりました
私などでは到底探しきることなどできない代物です
しばらく手元に置いて楽しむことが出来ます
有難うございました!!!                              
 
 
 
龍虎堆彩漆提重
17C頃
サイズ 14X21 高さ25cm
堆彩漆は、土の粉と膠(または漆)で文様の形に盛り上げ、上から漆で着彩する技法

提げ重は手提げ重箱のことで、外出時にお料理を詰めて持っていくものです
花見遊山の時に持って行ったようです

* 中国 朝鮮では時の皇帝などの官管理の下に制作された、陶磁器、銅器、漆器他多く見られますが、日本では鍋島の磁器が有名です
琉球王朝は、17Cは日本ではありませんでしたが、今は日本であることを考えると、琉球漆器は数少ない官製品と言えると思います

歴史的内容については、琉球王朝の貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)管理による官製品他、まだ不明のことも多く、美術館などによって研究が進められています

文化を比較するのもどうかと思いますが、日本の輪島塗、京塗の製品は極めて細密で豪華絢爛でありますが、琉球漆器もそれに負けず劣らずのものが多いように思います
技法については時の明王朝から技術を習得することに力を注いだので、漆芸の幅の広さでは時の日本をはるかに上回ってるように私は思います
中国明王朝の漆製品を凌いでいるものも多々あるように思います


<琉球漆器の概要> 美術館発行の資料より

15世紀に成立した琉球王朝は、中国との朝貢貿易を中心に朝鮮・日本・東南アジア諸国との交易と文化交流をを通して、独特な王朝文化をつくりあげました
とくに中国からは、朝貢国として破格の待遇を受け、多くの文物と各種の技術が伝たわりました
その一つが琉球の漆芸だと考えられています
16世紀には琉球独自の優れた漆芸品が生産されました
当時の琉球漆器には、細密な線彫りの沈金や、のびやかに文様を描いた朱漆螺鈿(しゅうるしらでん)などがあります
 
1609年に琉球王国は薩摩に征服されましたが、漆芸は、その支配下でも日本の影響を巧みに受けとめながら螺鈿を中心に独自の発達をとげました

王府の貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)では、将軍家への献上品や諸大名への贈答品、あるいは中国皇帝への朝貢品として、黒漆に精巧な螺鈿の作品が製作されました
このようにな豪華な漆芸品で、王国の外交はきらびやかに飾られていました

19世紀になると民間工房の生産も盛んになりました
再び朱漆が多くなり、また量産に適した箔絵(はくえ)や堆錦(ついきん)による簡単な文様が多くなりました

<漆芸の技法>

加飾の技法は、多種多様で、その種類の多さは、琉球の国情に由来するものである
総じて中国的な要素が強く感じられ、東南アジア、日本、朝鮮の要素もうかがえるが独自に消化して琉球独持の様式をつくりあげているといえる

沈金、螺鈿、箔絵、密陀絵、漆絵、堆錦、堆彩漆、堆朱、存清、等多彩で、また、それぞれの技法を複合的に使用した例も数多く存在している
日本の蒔絵に相当するものはないようです

<堆彩漆と時代判定について> 以下資料より

堆彩漆の時代判定には袋中上人 が琉球王国よりAC1611年に帰国する際に、尚寧王より送られた贈り物の中に堆彩漆の香合があったことから、この頃にはすでに堆彩漆の作品があったものと考えられています


<袋中上人 (たいちゅうしょうにん)> (天文12年−寛永16年)(1552−1639))
天文12年(1552)1月29日、磐城(いわき)国(現在の福島県いわき市)生まれ
寛永16年(1639)に京都・南山城で亡くなられました
人々から感服される名僧として有名です

袋中上人は諸国を巡り念仏の教えを極め、中国(明王朝)に渡り、いまだ日本に渡来していない経論を持ち帰りたいという希望を強く抱いていた
上人51歳のとき渡明を決意
しかし大陸に到着するも、上陸を許されず、慶長8年(1603年)その後琉球(現在の沖縄県)に漂着し、浄土宗のお念仏をお広めになりました
時の琉球国、尚寧王は上人に深く帰依し、琉球王家系図尚寧王の部に上人を特記させるほどであったと伝えている
以後、民衆の教化、児童の教育、産業の振興、浄土念仏の普及に力を尽し、『琉球神道記』五巻を著している
まさに現沖縄の恩人であるといわしめる所以である
琉球滞在3年ののち、帰国し、全国には20数ヶ寺を再興及び建立
著書も多数残されている

京都の檀王法林寺には袋中(たいちゅう)上人にまつわる多くの御遺物が残されているが、中でも特筆すべきは、上人が琉球王国より帰国するのに際し、尚寧王より贈られた、書棚、青貝掛板、クバ団扇、鼎形香炉、琉球螺鈿入椅子、西湖図など三十余りの名器である
これらには15,6世紀の秀逸な琉球工芸品が多く含まれ、当時の作風を伝える貴重な資料となっている


<龍の足について>
蛇足ではありますが、龍の絵柄の足の爪の数は、中国皇帝用のものは5本、中国の臣下と認められた国のものは4本、その他3本だそうです
琉球王朝のものは4本です


* この龍虎堆彩漆提重は、琉球文化に詳しい知人Aさんの推奨でGetしたものですが、Aさんによれば、1600年代初め頃の制作で、日本に数個しかない非常に珍しいものということです

又美術館の学芸員の方によれば17〜18Cの制作でしょうと言うことでした

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この牡丹文様は近代的でおしゃれですね・・・
今用いても少しもおかしくないと思います

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側面の牡丹文様です

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浦添市美術館所蔵 黒漆琴高仙人堆彩漆盆 17〜18C

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朱漆騎駄人物堆彩漆合子 17C 尚王家と琉球の美展図録

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袋中(たいちゅう)上人の持ち帰った堆彩漆作品の一つです




Aさんはいずれ琉球文化についての研究を発表したいということですが、その時はこの提げ重はAさんのもとに行くことになるかも知れません・・・

少々自慢たらしくなりましたが、当時はごく小さな琉球王朝が精一杯生きるために努力した交易品の1つ、琉球漆器を理解していただければ幸甚です

螺鈿花盃

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螺鈿花盃
1700年頃 琉球か中国
サイズ 直径5.5 高さ3.5cm
浦添美術館にて鑑定していただきましたが、琉球製の可能性が高いと言う事でした



* 1429年琉球王朝が成立して以来、中国より漆芸を学び、琉球で発展させました
漆器の特徴としては、琉球独特の鮮やかな朱色や緑色の上に沈金や螺鈿で文様を描くことがあげられます
主な文様は、文様と地紋で器面を埋めつくしたり、独特な日輪に瑞雲鳳凰文を施したりしています
花鳥図が多いのが特徴です
箔絵に螺鈿が併用して見られるのは、安土桃山時代の南蛮漆芸の影響と言われています
琉球王朝が、1609年に薩摩に制圧されてからは、黒漆が多くなりました
このような盃はたくさん造られ中国に輸出され、その後琉球に里帰りしたりしているので、中国のものと混在することとなり産地を特定するのが難しいそうです

この盃の文様は高士が滝を見上げる図、同じく空の渡り鳥を見上げる図です
口造りは花型となっていてかなり珍しいようです
小さな盃に細かい細工がされている感じを表現するために、手のひらにのせた写真をUPしてみました
最後の写真は、同類の他の盃です

この花盃をGETできましたのは、私のブログを見てくれたHさんが、私のブログUpしていた作品と交換の要請をしてきましてから始まりました
大分以前の記事を読んで検討され、そのものを気に入ってくれて、物々交換が成立しました
有意義な交換で、お互いに大満足でした

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