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大江山追悼登山と雲海
* 昨日の天気予報が「移動性高気圧が日本をすっぽり」でしたので、ならば「今日は雲海がびっしり」と予想して朝の5時に家をでました
骨董友人の追悼のためなのですが、どうせなら雲海も見たいと機会を伺っていました
車で走っているR173などは霧がかかっていて視程も相当悪く予想通りと思っていましたが、大江山登山口の鬼稲荷から見る雲海はごく普通でした
たくさんのカメラマンで賑やかでした
2年前に来たのですが当時より大分整備され、きれいな登山口になっていました
月並みな雲海の写真ですが・・・
* 頂上近くに骨董友人の骨灰を小指の先くらい散骨し、寒椿の苗を植樹したので、果たして根づいたかどうか気になっていました・・・
(彼がこの頂上から天橋立の自宅がかすかに見えるので、ここが大のお気に入りでしたので、ほんのわずかの散骨をしました・・・)
寒椿は、残念! ダメでした・・・
代わりに小さな別の苗が植えてありました・・・
寒椿が根づかなかったので、娘さんご夫婦が植えられたのでしょうね・・・
根づかなかった場合に備えて、ザクロの枝を2本持って行きましたので、近くに挿し木してきました
大江山にザクロの実がなるようになったらいいいなーという願望を込めて・・・
挿し木でしたら何とか根づくのではないでしょうか・・・
おにぎりもお供えして来ました・・・⇒ 左下の写真
彼の家(由良川の近くです)はすでに無くなっていました⇒ 右下の写真
2年経つとこんなになってしまうのかな・・・と感慨深いものがあります
> 夏草や 兵どもが 夢の跡
芭蕉
ふっと出てきました
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山登り
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兵庫の名峰 白髪岳 その(2)
その(1)からの続きです
12:40 頂上
おにぎりを急いで食べ、弟にTELをして
12:50 出発
いきなりものすごい勾配の下り道で、両側にロープがしっかり張ってあります
10分で通過して、以後はなだらかな気持ちのよい山道が続きます
13:15 松尾山へと下山道の分岐地点
所用があり先を急いでいたので、ここから下山道に入りました
本格的紅葉はもう1週間くらい先でしょうか・・・
東屋のある出発時の登山道入り口に戻り
14:10 駐車場に到着
3時間の行程でした
・ 人気のある山ですので、10人余のわりと高齢の男女とお会いしました
登山道はコースがいくつかありますが、迷う心配はないようです・・・
・ 2度目のブログUPですが、前回は同じ山道を往復しました
今回の下り道の方が、ずっと楽で(最初の10分の下りはきついですが・・・)、山の雰囲気を味わえるようです
・ UPできる写真の枚数に制限があり、少ししか紹介できないのが残念!
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兵庫の名峰 白髪岳
722m
JR福知山線 古市駅近く
* 友人の追悼登山として大江山に登りたかったのですが、雨の予報が出ていましたので、所用を兼ねて白髪岳に変更しました
兵庫県では有名な山です
簡単に行程を紹介いたします
1) まず案内板です
ここでの現在地は東屋のある登山口です
2) 行程
11:10 住山地区無料駐車場スタート
11:30 東屋のある登山口 案内板あり
11:40 頂上まで630m地点 ここから急登が続く
12:05 尾根に到着
12:15 岩場が始まる
左手は岩登りの登山道、写真の奥に続いている登山道は岩を迂回する登山道
・ 以下、掲載できる写真の容量に制限(2MB)がありますので、その(2)に続きます
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河野千鶴子氏、ダウラギリにて逝く
・ インターネット画像より転載させていただきました
ダウラギリの大氷河の下で、永遠の眠りにつかれています
何千年、何万年かの将来、再登場されるかも知れません!
* 一昨日、NHK Close Up 現代 (午後19時〜19時56分)で国谷ひろこキャスターが河野さんの、ダウラギリでの遭難を取り上げました
今年(2013年)5月、三浦雄一郎さんが史上最高齢の80歳で、エベレストに登頂したことは大々的に報じられましたのでどなたもご存知と思いますが、その同じ日、同じヒマラヤ山脈の8,000メートル級の山、ダウラギリで、1人の日本人女性が遭難して亡くなりました
河野千鶴子さん、66歳 50歳から本格的な登山を始め、7大陸最高峰など、世界の山に挑んだ女性登山家です 河野さんは、多くのメンバーでパーティーを組むのではなく、たった1人で自分だけの隊を組むという独特のスタイルで、山頂を目指しました この日もシェルパ2名を伴っての山行でした
強靭な心と体力を持った女性登山家でしたが、ついに力尽きました
国谷キャスターの一言に驚愕しました!!!
「そして、今年5月、河野さんは6つ目となる、8,000メートル級の山、ダウラギリに挑みました
ところが、頂上まであと100メートルの地点で、思わぬ出来事が起こりました 先を行く別の外国人登山者が、滑落して骨折 河野さんは、その登山者を助けるために、下山することを決断します しかし、にわかに天候が悪化 必要以上に体力を消耗した河野さんは、7,700メートル付近でついに力尽きて亡くなったのです」 自分も極限状態にありながら、なお他を助けようとする勇気と決断力、こんなことができた登山家はかっていたことはないと思います
世界一勇気のある登山家であったことは間違いないと思います
日本人の誇りです!
世界の人に知ってもらいたいですねー!!!
滑落した登山家を助けるという行為がどのようなものであったのか・・・
知りたいですね・・・
1) 3200mくらいのプーンヒルから、早朝に見たダウラギリです
(以下私の拙い写真です・・・)
* 私にはヒマラヤ登山など思いもつきませんが、1988年に12日間のヒマラヤトレッキングにいきましたので、
河野さん追悼の意味で、古い写真を引っ張り出してUPしてみました
2) ポカラ空港と第一日目停泊地からのアンナプルナ南峰
搭乗機から我々の荷物をおろしているところです
3) キャンプ地光景、途中の民家の働く女性、子供たち、 他
これと言った産業もないので、女性の機織りの仕事は重要な役割を担っていたようです
飾りつけをしたロバで荷物を運んでいました
結婚用の荷物でも運んでいるのでしょうか・・
4) トレッキングの道は細い岩だらけの道ですが、ジョンソン街道と言うようでした
街道沿いのホテルです
これはものすごく立派なホテルでした
大抵は壁は隙間だらけで外が見えるようなホテルでしたので、私たちはテントを張ってそこで宿泊しました
その方がずっと高級で安全だからです
右の写真は、石楠花の咲き誇るトレッキング街道です
下は宿場町ですが小さい集落です
5) カトマンズの街、寺院
寺院の上の方に大きな目が描かれています
「なんでもお見通しだぞ!」とでも言っているようです
中央が我々の宿泊したホテルであったと記憶しています
トレッキング参加者はたしか20名くらいでしたが、各人に1人のガイドがついて、途中の面倒を見てくれます
夜は何人かが寝ないで見張りに立ちます
他に、料理を担当する者、荷物を運ぶ者など10人以上の者がいたように思います
この人たちは、我々がキャンプ地に着く前に、キャンプを設営し、食事を作って我々を待ち受けてくれます
昼食も、昼食地に着いた時にはすぐに食べられる状態になっていました
出発はさっとキャンプを撤収し、当然我々より早く出発します
キャンプ地ではてんでんばらばらに野宿していたようです・・・
トレッキングと言いましても、大名旅行でした
・ あれから25年も経ちました
いろいろ変わっただろうなー・・・と思います
* このトレッキングに備え、当時の最新鋭のカメラ、Canon EOSと210mmの望遠レンズを買って行きましたのに、使い方も分からずに、ピンボケの写真になってしまいました・・・
今みたいに良い写真を撮ろうとする意欲に欠けていましたねー・・・
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山仲間グループ BMG の名刺
* 私たちの山仲間は、イケメン軍団4人、美女軍団6人の合計10人ですが、いつも全員参加と言うわけではなく、行ける人が行くということになっています
誰かが創ったというGroupではなく、自然発生的にできたGroupです
Group名称は、BMGと名付けています
・ Best Member Group (イケメン軍団の場合)
・ Beautifull Member Group (美女軍団の場合)
・ Blue Mountain Group
などのの頭文字をとったものです
もう皆さん、名刺をひけらかす年代でもありませんが、BMGの名刺を作ることがあります(仕事上の名刺を必要とするMemberももちろんいますが・・・)
名刺は、その背景を適当な写真として、名刺の名前の方に衣装を着せた感じにしてあります
今回は、15日に京都の長老岳に登った折に、岩鏡の花の写真を撮りましたので、それを衣装にしてみました
ロゴは紅葉の山のイラストをつかっています
* たいした山に登るわけではありませんので、帰りは喫茶店やレストランで必ず休憩します・・・
これがまた賑やかなこと・・・!
美女軍団はこちらの方を楽しみにしているようです
この時はイケメン軍団は出番がありません
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