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産業遺跡 歴史探訪

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歴史探訪その5 産業遺跡 足尾銅山精錬所跡

* 前回の栃木市探訪の前日、東武日光駅からレンタカーでずっと以前から行って見たかった待望の足尾銅山跡を訪れました
当時働いていた人たちの生活の跡も見たかったのですが、当時の住居等は取り壊されて、今はきれいになっていました
残念!

1) 精錬所跡
・ ↓ 水のきれいな大谷川が流れています
足尾鉱毒事件はこの川に鉱毒が流れ込んでいたことにより発生しました

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・ ↓ 大煙突の右下にきれいな滝がありました

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・ ↓ 逆光の光が入ってしまいましたが、こういう写真も悪くないですね!

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2) 坑道跡
資料館などもありますが、大体どこも同じような感じの坑道跡のようです
坑道の長さは1200kmあるそうです

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歴史探訪 その4 蔵の街栃木市 街起こしに奮闘中!

* 故郷栃木市を10年振りに訪ねましたが、この10年でずいぶん歴史的な美しい街に変貌していました
市も観光立国を目指し頑張っているようですが、近くの日光と比べるとまだまだのようです
数年前のニュースでも詳しく報道されましたが歌麿の肉筆画の大作が発見されました
市には文化的素地も厚いものがあるようです
栃木市は江戸から東照宮のある日光までの例幣使街道が通っていますので、歴史的にも由緒ある建物などが多く残っています
栃木市には美術館、博物館がたくさんありますので、訪問するときには十分な時間を取って行かれますように!!!

・ ↓ 嘉右衛門町が日光例幣使街道の伝統的建造物群保存地区として指定されています

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↓ 道路も小石にて舗装されています

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・ ↓ 栃木市には大きな商家がいくつかありましたが、岡田家はそのうちの1つで
代官屋敷を持っています
右隣は岡田記念館で貴重な歴史的資料、美術品をたくさん所持しているとのことです
将軍家とも繋がりが深く、14代将軍家斉公の側室に2人入ったそうです
ここでは「日本一古い理髪店」と認定された理髪店が残っていました

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↓ 岡田記念館

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↓ 日本一古い理髪店


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・ ↓ 銀行を営んでいた横山家は横山郷土館となっています
大谷石の造りが立派です

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・ ↓ 地元の人の話しでは栃木で最も金持ちの商家だったと言われれている塚田家の塚田歴史伝説館

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* 街中にも古い建物は沢山残っていて、ほとんどが今でも商家などとして営業しています

・ ↓ 古い蔵が喫茶店などとして利用されています

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↓ 喫茶店

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↓ 私が一晩お世話になった「かな半旅館」、家の内部は明治初期に建てられたものあり、私の泊まった部屋は大正6年建造でした
ちなみに宿泊代は2食付き7800円でした

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* 栃木市内にはうづま川が支流を含め縦横に流れていて、交通の要路として利用されてきました
沢山の錦鯉が生息して訪れる人を楽しませています
また川藻の再生にも力を入れています
橋の欄干にもお洒落な欄間ガラス?を嵌め込んでいます


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↓ 川藻を育てています

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* レトロな無料市内循環バスが走っています

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* 栃木市には栃木の復興を計ろうと努力しているリーダーがおられるそうです
良きリーダーの存在は国でも地方都市でも家庭内でも特に大切だと痛感します
今の世界を見ても同じですね!














歴史探訪その3 産業遺跡 明延鉱山(日本遺産) 兵庫県養父市
と国道R429

* 歴史探訪その1、神子畑鉱石選別場に採掘した鉱石を送っていた鉱山です
現在、全体の外観は鉱山の下の方からしか見ることが出来ません
・ 坑道を見学希望の場合は、「日曜日10時からの見学会に参加してください」ということでした→明延自然学校が受けつけています
1200円です
週日でもTELにて予約すれば1人でも見学可能です


・ ↓ 下方から見た外観

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・ ↓ 当時の第一浴場と坑道付近の信号機

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* これ以外に鉱石運搬車などが見られますが、神子畑鉱石選別場のものと同様ですので省略します
かっての外観はインターネット写真を拝借します

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 < 明延鉱山> → ウィキペディアより
明延鉱山平安時代初期の大同年間に採掘開始といわれる
明治初年(1868年)、生野銀山とともに官営となり、1896年(明治29年)に三菱合資会社に払い下げられた
1973年(昭和48年)に三菱金属株式会社(現三菱マテリアル株式会社)となり、1972年(昭和47年)のオイルショックをきっかけに、1976年(昭和51年)に三菱金属の子会社として分離・独立し明延鉱業株式会社となる
1912年(大正元年)に明延鉱山の鉱石を神子畑(みこばた)選鉱所に運ぶためにつくられた 5.75 km の鉱山列車「明神電車」は、1952年(昭和27年)以来、乗車賃「一円」で乗客を運んだことから、「一円電車」として有名になったこともある
粗鉱生産量は、ピーク時の戦時中から1951年(昭和26年)頃には月産 35,000 t、閉山前頃には、銅、亜鉛、スズの粗鉱生産量が月産 25,500 t であったが、プラザ合意後の急激な円高に伴う銅、亜鉛、スズの市況の下落により、大幅な赤字を計上することとなり、まだ採掘可能な鉱脈を残して、1987年(昭和62年)1月31日午後11時20分の発破を最後に、同年3月をもって閉山した

2) 国道R429には吃驚しました
帰りは国道R427を通って帰ったのですが、途中、国道R429と交差しています
丹波市青垣付近なのですが、その交差点での道路標識です

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何と幅3mの部分が4kmもあるのです
もちろん4kmは離合困難との標識もあります
離合困難とは離合できる広い所がないと言うことなんです
幅3mですと私の車1台でもやっという感じです

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ここを左折してR429に入ります

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続いて・・・

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離合困難は4kmですが、その後10kmくらいまでも同様で、ほんの所々離合できそうな狭い場所があるくらいでした
前回の神子畑鉱石選別場探訪の時には思い切って行って見ようと福知山に抜けたのですが、離合困難の10kmくらいまでは1台の車とも出会いませんでした
当然ながら知っている人はここを走らないのですね・・・
この狭くてくねくねした道を何kmもバックするのはかないませんものねー

この付近には同じような国道が他にもありますが、4kmも狭くはありません・・・
こんな国道が日本にもあるのか?と最初は(@_@)しました!





川西市立黒川小学校(休校中)・・・川西市最古の小学校

 <川西市立黒川小学校>・・・川西市内最古の小学校 ⇒ウィキペディアより
また、川西市内及び兵庫県内最東端の小学校である
1873年(明治6年)に黒川、国崎、横路の住民の運動によって、甘露寺の建物の一角を借りて開校した
創立当時の児童数は16人、教職員は1人だった
第二次世界大戦が始まると、大阪市神戸市などの都会からそう遠くない事もあって、疎開する児童が増加
1945年に初めて児童数が100人を超えたため、1947年に南校舎を増築
終戦直後が児童数のピークだった
しかし、場所が非常に不便だった事や川西市制開始による都市化の進行に伴い、過疎化が進行
加えて1968年一庫ダムの建設計画が持ち上がって、校区の一部が水没し、地区外へ移転する世帯が出ることが決定された
そして1977(昭和52年)年3月31日を以て休校となり、最後の児童19人は東谷小学校に編入された
廃校閉校の措置を取らず休校にしたのは、「いつか子どもが増えたときは再開してほしい」という地元住民の意思を、川西市側が尊重した結果だった
休校後は、黒川公民館として一般に開放
貴重な木造校舎で、使い込まれたイス教材[3]が残されている事もあって、観光地としての地位も確立している
 なお川西市は2017年現在も廃校としていない

* 兵庫県川西市に住んで45年になりますがこんな小学校があるとは知りませんでした

* 川西市黒川地区は日本一の里山であると地元の人達は自慢しています
平安時代から菊炭の生産地として有名でしたが、今は上記説明通り、生産地区はダムの底に沈んでしまいました
この地区の周囲にはキャンプ地やバーベキュウ広場などがあり、広範囲にわたって観光スポットになっています

・ ↓ 南側校舎入口

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・ ↓ 北側校舎入口 立派な造りです

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・ ↓ 南側校舎入口 
入ってすぐ左側が教職員室?のようです

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・ ↓ 北側校舎の廊下 教室は3室

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・ ↓ 北側校舎教室

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・ ↓ 南側校舎のトイレ

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・ ↓ 校庭 40x50 m位の小さな感じの校庭

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・ ↓ 校門
休校中となっています
右側の石柱には黒川公民館と書かれた板が下がっています

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歴史探訪その1 産業遺跡 神子畑(みこはた)選鉱場 兵庫県朝来市
 哀愁と郷愁の美を求めて!

* 「絶景」というタイトルの雑誌を見ていましたら、廃墟(産業遺跡、遺構とかの別の言い方もあると思いますが・・ここでは産業遺跡としました)の美としての記事が出ていました
こういう光景に心が揺さぶられる自分としては、すぐに行ってみよう!となりました

* 調べてみると、古くは織田、豊臣、徳川時代から日本の貴金属の生産に大いに貢献してきた鉱山であることが分かります

・ 内容についてはインターネット記事を参考にしています

・<神子畑選鉱場>
 国内有数の巨大産業遺構である神子畑選鉱場は、養父市大屋町の明延(あけのべ)鉱山から産出される鉱石を選鉱する場所として栄えていました
 神子畑選鉱場は、1919年(大正8年)年に建設され、山の斜面を利用した施設は22の階層があり、幅110m、長さ170m、高低差75mの建物は東洋一と言われていましたが、2004年(平成15年)に撤去され、今は基層だけが残っています

 神子畑では15世紀ごろ神子畑鉱山としてを採掘する鉱山でしたが、近くの生野鉱山の方が採掘しやすかったため、長く休鉱状態が続いていました
 1878年(明治11年)になって有望な鉱脈が再発見され、翌年から採鉱が始まり、当時は加盛山と呼ばれ、生野鉱山の支山として稼動していました
明治後期、神子畑鉱山には約3000人の作業員がいたとされます
しかし、明治末には次第に産出量が減少してきたため、、生野鉱山が三菱合資会社に払い下げられた後の1917年(大正6年)に閉山しました

その2年後、神子畑鉱山は選鉱場に変更され、明延鉱山の鉱石をスズ、銅、亜鉛などに分け、全国の製錬所に送っていましたが、1987年明延鉱山閉山とともに操業停止しました
 神子畑選鉱場も明延鉱山の閉山に伴いその役目を終え、廃墟と化していましたが、2004年に神子畑選鉱場が取り壊され、今ではその姿を見ることはできなくなっています

 兵庫県教育委員会、明延(養父市大屋町)、神子畑(朝来市朝来町)、生野(朝来市生野町)は、三町に残る鉱山跡の「鉱石の道」事業の中で、神子畑選鉱場で使われてきた道具や設備、トロッコ軌道跡を保存し、当時の名残をとどめています
神子畑ではかつて鉱山の事務所や診療所として使われていた洋館「ムーセ旧居」が修復され、鉱山や神子畑選鉱場の写真を展示し鉱山資料館「ムーセハウス写真館、ムーセ旧居資料館」として公開しています


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・ ↓ 選鉱場の最下部に位置するシックナー(鉱石を選別する装置)の跡
中には当時使用していた機械や階段がそのまま残されています

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・ ↓ 神子畑インクラインの線路
選鉱場跡の左端にあり山に向かって伸びています

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・ ↓ 神子畑小学校
神子畑選鉱場の隣に位置する神子畑小学校跡です
現在は閉め切られた体育館と、シーソー、ブランコ、そしてジャングルジム等の遊具が残っています
しかし、錆びついた遊具を見ていると、ふと懐かしい気持ちになり、校庭を走りまわっていた小学生の頃の自分を思い出します

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・ ↓ セーム旧居
写真、資料館

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・ ↓ 一円電車
明延(あけのべ)鉱山の鉱石を神子畑選鉱場に運ぶ電車
後に働く人なども乗せる電車も連結し、1円の料金であったので、一円電車ともよばれました
15人乗りの小さな車両でした

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・ ↓ 鋳鉄橋
神子畑選鉱場で選別された鉱石は専用の運搬道路を通って生野へと下って行きました
その道路の面影は現在も国道429号線の傍に残っています
運搬道路の見どころは、やはり日本最古の鋳鉄橋である神子畑鋳鉄橋と説明されています

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・ ↓ 取り壊す前の選鉱場

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・ ↓ 現在の生野銀山 
観光スポットとして保存管理され、日頃賑わっています 

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