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後漢(AC100年頃)鉄器香炉 河南省北部輝県出土品?
最大径 13 高さ 12 cm
* 後漢(AD100年頃)鉄器香炉 河南省北部太行山脈南部にある輝県出土品となっているのですが、類例がなく不明です
某美術館所蔵品であったとのことです
これが青銅器でしたら、かなり高価なものとなるのでしょうが、これは鉄器ですのでたいした価値もなさそうです
緑色の美しい緑青に包まれている青銅器と、茶黒色の錆びに包まれている 鉄器の差は大きいののですね・・・
クスン・・
* 見たことのないようなものを見つけては、それを調べるのが好きなんですが、解らないものですねー・・・
世の中にはなんだか解らないようなものがたくさんあるんですと言っていました骨董屋さんがおられましたが・・・ * 雷文様の饕餮(とうてつ)文様が彫られています
蓋の頭部はにんにく型になっていますが、この形は春秋時代(漢の1つ前の時代 BC200年頃)によく見られます
頭部は2本の角をはやした獣になっています
饕餮文です
1) 中国古代の鉄製用具について
漢代に入ると日常生活用具、釜、鼎(かなえ)、暖炉、農具、武具、手工業道具などが造られるようになりました
2) 鉄錆びについて
赤錆、黒錆があり、化学記号で表すとFe2O2、Fe2O3です
赤錆は腐食を進行させますが、黒錆は表面を保護し、腐食を防止します・・・
鉄を高温で熱しますと黒錆が発生します
青色ぽい錆は鉄以外の金属が混じっているのではないかと考えているのですが・・・
<参考>
西周時代(BC1000年頃)の青銅器に良く似た獣の頭部がありました
Ⅱ) 追記
さらに文様について調べてみました
「古代王朝 殷(現代中国では商)」によれば
青銅器は当時大変貴重なものだったので主に祭器や武器に用いられた
祭祀用青銅器は酒や神々への供物を盛るための食器として作られた 殷において酒は神と交歓するのに重要なものだった
卜占に際し、火を焚き、青銅器に酒を満たし、肉を供えて神や祖霊を迎え、飲酒によって一種のトランス状態に落ちることで神の神託を聞いた青銅器の表面を飾る両眼が突出した特徴的な奇怪的文様は獣面文(または饕餮/トウテツ文)と呼ばれている まるで空白があってはいけないかのように渦巻状の雷文が器面をびっしりと覆っている細工は緻密で非常に高度な技術を要するものだ 獣面文と雷文は殷や周の時代の青銅器に多く見られます
青銅器は殷末期に一種の最高点を極めた。殷に取って代わった周代でも青銅器は作られているが技術的には殷代のものの方が優っている
殷代は絶対的な宗教心が並々ならぬ造形力を発揮する時代だった
神々の姿を現そうという強い信念が発露した結晶が青銅器の獣面文であった とあります
獣面文と雷文についてこの香炉に一致しています
ということはもしかして商時代の鉄器の可能性もあるのでは・・・と思うのですが・・・考えすぎでしょうかねー・・
・ 中国の古いものを見るとその文化に敬服するのですが・・・
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古美術一般
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パシェリエンプタハ(エジプト)のミイラ 東京国立博物館 東洋館
エジプト テーベ 出土
* 東京国立博物館にミイラが展示されていると知っている人は多いと思いますが、私はうかつにも知りませんでした
去る16日に所要で東京に出かけた際に、東京国立博物館に立ち寄り初めて知りました
今までは本館以外に入ったことが無かったのです
1) ミイラ
明治37年、エジプト考古庁長官より、 東京国立博物館に寄贈されたものだそうです
2) 鉄よろい
福岡県塚堂古墳出土
弥生時代にこんなものがあったのですねー・・・
3 ) 茶碗 彫唐津と黒織部
* ついでに隣の都立美術館にも立ち寄りました
いくつもの展覧会があったのですが、くどくなりますので、作品を1点・・・
1) 第34回扇面展から・・・
初めて見ました
2) 書道展から
「自らの利を捨て他の利を多とする」と言うことなのでしょうか・・・
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牡蠣?の化石
サイズ10x17 高さ9cm
* 岡山県津山市の畑から出土したものです
洗ったばかりですので少し濡れていますが、3枚は上からの写真です
多分牡蠣ではないかと思っているのですが・・・
化石になるのに何万年かかるのか知りませんが、エベレストの頂上付近に貝の化石があることはよく知られています
ネパールに行きますと、小さな田舎町で子供がよく貝の化石を観光客に売りに来ます
ヒマラヤも昔は海だったものが隆起したのですね・・・
今でもエベレストは1年で1cmくらい隆起しているそうですし、又ハワイは1年で数cm日本に近づいているそうです
大地震が起きるはずですね・・・
* 6月12日更新 インターネット記事より
「木戸の馬蹄石(香川県指定自然記念物)」
まんのう町(旧琴南町)土器川河川床にある和泉層群基底部砂岩中の「カキ」の化石層で暑さ約1mの砂岩中に密集して化石床を形成しており、化石層が数枚認められる。 また砂岩、頁岩、互層部の差別侵食模様が顕著である。川に降りると露出した岩床に見事な馬蹄に似た紋様が見られる。 この岩に、渓流の飛沫が当たり、その景観はすばらしい。
大珠さんのご教示により分りました
馬蹄石と言われるカキの化石ということでよいようです
下面の写真です
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明治34年尋常小学校国語児童用教科書 文部省検定済 * 児童用教科書ですので易しいですし、ページ数も少ないので全ページをUPして見ました お暇な折に、ボチボチ読んでみてください 私は、日本人の心の原点はこの辺にあるのではないかと思うのですが・・・如何でしょうか・・ もちろんこの教科書の全てがというわけではありませんが・・・ (1)当時の時代背景 大きな出来事といいいますと、どうしても戦争ということになってしまいますが、明治27年〜28年に大清帝国と日清戦争がありました 大清帝国はあの有名な西太后の時代でした 明治34年から3年後の明治37〜38年に日露戦争がありました この大きな戦争の丁度中間の頃が明治34年です (2)教科書 小川泰山 おがわ-たいざん → 資料から 1769‐1785 江戸時代中期の儒者 明和6年5月2日生まれ 相模(さがみ)(神奈川県)から江戸にでて大田錦城,山中天水らとともに山本北山にまなび,泰山(相模大山)の奇童とよばれる 天明5年5月22日,17歳で早世 のち日本最年少の儒者といわれた 日清戦争についての話です ぶんどりものという表現がいかにも子供に分かり易くなっています このような教科書を読んで私は何か郷愁を感じるのですが・・・ しかし、今の若い世代の方は何の感慨もないのではないかと・・・ (3)日清戦争と坂本龍馬について 日清戦争(にっしんせんそうは、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清帝国の戦争であり、戦いの1つに黄海海戦 (こうかいかいせん)1894年(明治27年)が、9月17日に日本海軍連合艦隊と清国北洋艦隊の間で戦われました 装備に勝る日本海軍は清国海軍を圧倒したわけですが、この日本海軍の基礎を築いたのが坂本龍馬と勝海舟でした 昨夜の「何でも鑑定団」に出てきた龍馬の写真ですが、1億円以上の値打ちでしょうということでした・・ このときの龍馬は手の指を失っていたそうで、手を写さないためにこのようなポーズになっているようです 勝海舟の写真でも同じようなものでしょうね |
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七宝蓋モノ 直径8 高さ7cm 中国製? ノルウェイ ビョーンスタッド社 「エマリエ」 鋼素材小皿 直径10.8、高さ1.7cm、153g * 日本製ですと表面を平らに削ってならすものが多いようです * 「エマリエ」と呼ばれる七宝焼きは、ノルウェイには長い伝統があり、その工法や技術開発では、世界のトップレベルにあります ビョーンスタッド社製の製品は、彩色特殊ガラスと特殊銅合金とを融合・合体させるという独特の工法で制作されています その1つ1つが、銅の融点に近い1000度C以上の高温の炉の中で、最高10回まで加熱されます 全て手造りの工芸作品で、最高の品質を誇ります * 北の国ですからオーロラをイメージしているのでしょうか・・・・? |


