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伏見城城郭図面と明治28年京都新聞発行「京都新図」
サイズ 2枚とも70x100cmで大きなものです
城の周囲の丸いポツポツで描かれているものは石垣、図左の方のひげのような線は山です
* 伏見城城郭図面は明治20年頃京都府庁図書館にあった原図に薄い和紙を上に置いてその上から写し取ったものですというのが京都歴史資料館の学芸員の見解でした
京都新図は京都新聞が明治25年4月25日に発行したもです
NHK大河ドラマ「天地人」が始まりましたが主人公は上杉景勝の家臣 直江兼次ですが、主君の上杉景勝が載っているものですので何かの縁かなということで、ブログ材料の少ない中、取り上げて見ました
平成10年2月28日の京都新聞に伏見城下図の再現ということで大きく取り上げられたことで、これは貴重な図面ではないかと私の骨董友人が今まで保管してきたものですが、しばらくは京都歴史資料館に歴史資料として貸していました
この図面に冨田何某の名前が2つほど載っています
骨董友人は明治期の京都府会議員の冨田氏のお蔵の書類を譲り受けたそうですが、もしかして図面の冨田何某の子孫かも知れません
伏見城城郭図面:
伏見城は資料によれば、
戦国期〜江戸期の城。京都市伏見区桃山御陵(ももやまごりよう)にある。伏見城は厳密にいうと三つつくられている。最初の城は1592年(文禄1)に着工し94年に完成したもので、豊臣(とよとみ)秀吉が養子秀次(ひでつぐ)に関白職を譲り隠居城としたものである。これは後の城の南西方向指月(しげつ)山に築かれ、指月城ともよばれた。ところが完成してまもない96年(慶長1)伏見地方を襲った大地震により建造物は倒壊してしまった。続いて二番目の城が築かれることになったが、場所を現在の城址(じょうし)の位置である木幡山(こばたやま)に移し、山頂を本丸とし、西の丸、松の丸、名護屋(なごや)丸、日下部(くさかべ)丸などからなる城ができあがった。秀吉の没後は徳川家康が入ったが、1600年(慶長5)家康が上杉征伐に東下した留守を西軍に攻められ炎上陥落した。02年から復旧工事が開始され、大坂城攻撃の拠点としての位置づけから補強され、規模は秀吉時代のものより小さいながら堅城となって出現した。これが三番目の伏見城である。大坂城落城後はこの城も不用となり、19年(元和5)廃城となり、城の建造物は京都の社寺や、諸大名に下付され、各地に伏見櫓(やぐら)の名を残すことになった
この伏見城城郭図面は最初の伏見城の図面で大名などの家屋配置などが一目で分ります
本丸近くには、五奉行の石田三成、増田長盛、大谷吉継 他 、福島正則、真田幸村、羽柴長吉(池田輝政の弟で秀吉の養子)、織田信介(信長の弟信雄の息子でお茶をよくした人)・・・などの武将が配置されています・・・写真1
伊達政宗は仙台中納言正宗として、西の丸堀のすぐ南に、前田利家、島津義久の屋敷は1番南に配置されています・・・写真2、3
その他宇治川などが今とどのように違うのか・・など図面を見ていますと興味が尽きません
京都新図:
この地図には工場、銀行なども書かれていますが、まだほんの少ししかないようです
西洋に追いつけ追い越せで繊維工場などが続々造られはじめた頃の図ではないでしょうか・・・
琵琶湖疎水がどのように造られたなどの記事が入っています・・・写真6
友人から、私が一時預かりしてブログUPしてみました
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