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中国陶磁器 1

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染付 茶入 明朝期

染付 茶入 中国明朝期(中期?)・・・1500年前後でしょうか
サイズ 直径6.5 高さ5cm
象牙蓋付
 
* 街の骨董市を歩き廻って探しました
完品なのが嬉しいところです
 
明染付けの特徴> 常石英明氏著書より
 
① 壷などの立体的作品は、必ずいくつかに区切って作り、後で継ぎ合わせたものである
② 明代中頃以前の皿や鉢などは中央部の見込みの所が少し下に押され凹んでいる
③ 明代の古い染付け(永楽、宣徳)の肌は蜜柑肌で光線の反射を弱くし、落ち着きのある地肌となっている
清朝期のものはてかてかしている
④ 明初期の染付けは外国産の顔料のよいものを使っているので、それが白い地肌に滲みこんで白と藍色の調和がとれていて品格がある
⑤ 明代の染付けの多くは高台下部まで釉薬がかからず、畳み付きは淡い茶褐色を呈している
⑥ 明代の染付けの畳み付きは、特に後から手を加えず、平の切り放しのものか、少し三角形になった切り放しで尖り気味である
⑦ 明代の官窯品は高台の内側に二重丸を「書いて大明宣徳年製」などと丁寧に書き込んである
この書のみでも味わいがある
 
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早速、衣服を着せて家を造ってやりました
 
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青磁太鼓双鶏双獅子硯屏 元時代
サイズ 27x7.7 高さ24cm 重さ2.4kg
 
* 上部中央に太鼓、それを後ろ手に掲げる対の鶏?、下部には対の唐獅子が配置されています
彫りや貼付の技法を用いています
青磁の色は透明感のある緑味でつくりものでない古色が漂っています
 
* 雀政五郎さんの「自鳴鼓 」の話にヒントを得て、中国の太鼓についてその起源を調べて見ました
 
<太鼓の発明> インターネット記事より
 
古代中国では、太鼓は民衆が不満を訴える道具だった
中国の宋(10世紀〜13世紀に中国を統一した王朝)時代に書かれた『楽書』という本によると、太鼓を発明したのは黄帝という中国の伝説的な古代の王の臣下で、岐伯という人
「およそ鼓は漢家賢王の時は必ず諌鼓謗木(かんこぼうぼく)を置き、天下の憂いを聞く」と書かれています
つまり、賢い王様は太鼓を領地のあちこちに吊っておき、人々が政治に対して不満があるとき、その太鼓を叩いて抗議の訴えをできるようにしたというのです
現代にもそんな太鼓があったら、年中鳴り通しになるかもしれませんね
 
もしかしてこの青磁の太鼓の意味かも知れません
 
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* この硯屏も本当のところはどうなんだろうと思いますが・・・
古美術の真贋について後日考えてみたいと思います・・・

遼三彩 酒盃

遼三彩 酒盃
サイズ 口径 6.5 高さ 3 cm
遼 907〜1125年
 (発掘品と思います)
 
* 最近、入手したものです・・・
遼三彩の特徴は
1 唐三彩が明器として造られたのに対し、遼三彩は実用を主眼としたもの、鉢や壷などが造られた
2 唐三彩に似た低火度焼成で、緑、黄(褐色)、白釉を塗り分けたもので、そのほとんどに荒い線彫りや押し型文様があり、文様は蒙古特有の草花文や鳥文である
3 遼三彩の素地は唐三彩のような、紅味のない灰白色の粗雑な、少しザラザラした厚造りで、器の表面に細かいひび割れがたくさん入っている
 
と「中国陶磁の鑑定と鑑賞」 常石英明著に書かれています
実際の見分け方は、硬さや場合によっては匂い、釉薬の溶け方、銀化の程度などがあるようです
 
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遼三彩は贋作が多いとよく聞きますが、この酒盃は、私としては真作と判断しましたので、桐箱を作って保存しています
紫泥茶壺・急須
サイズ 12x18 高さ10cm 
湯出し口は多孔ではなく、単孔です
 
* 煎茶用茶器です
( 中国における煎茶器の代表は宜興紫砂壺、日本では常滑急須であることは大抵の方はご存知とは思います
・・・ )
 
中国では江蘇省の宜興窯が明初期(洪武帝 1368〜)から煎茶用の朱泥の急須などの茶器を造り続けていますが、最初は手造りでした
後代はロクロを使用しました
この急須は口の梅文様切り込み、同じく高台の梅花文様を見てもロクロでは出来ませんので、型を用いての手造り作と思います
中国の陶業界ではそのほとんどが分業制度ですから、作者名の無いのが原則ですが、この窯に限り作者銘記がされています(ということは1人で造ったことを意味します)
しかし初期の頃は無記銘、正徳年間(1506〜1521年)頃より記銘するように変わったと言われています
以後、皆、銘が入っていると考えられますが、この急須は無記銘?ですので、明朝初〜中期くらいの時代がある?可能性があると私は判断しています
 
湯出し口は単孔、高台畳み付きの磨耗度、手造りなどを加味して判断しましても時代は結構ありそうです
(単純過ぎる推理でしょうか・・・)
 
銘の補足説明
明朝正徳年間(1506〜1521年)あたりから、供春などの名工が現れ、制作した茶器に銘を入れるようになったようです
中国人の考え方、製造方法を考慮しますとこれ以後は茶器には必ず銘を入れたものと推察されます
(他の陶磁器でも良いものが出来ると、すぐにそれの仿作が造られるようになることはよく知られいる通りです)
従って銘の入っていない紫砂茶器は、明朝正徳年間(1506〜1521年)以前の作品である可能性があるというのが私の判断です
 
<当時を知るエピソード?>
これは友人が昭和49年日中議員連盟の一員として中国を訪問したときに、上海の骨董街にて購入したものです
当時は毛沢東、周恩来ラインで国が動いていました
大卒の年収が3万円くらいだったそうです
ほとんどの人は人民服を着ていて、女性の化粧品も見当たらなかった時代です
 
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右上の写真を拡大してみますと内側見込みの真ん中に「二」と 書いたような銘らしきものが見えます
傷にも見えますが丁度見込みの真ん中ですのでもしかして正式の銘ではなく職工の覚書程度の銘を釘彫り程度に入れたのかも・・?と思ったりしました
 
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 <紫泥とは>   インターネット記事より
昔から江蘇省宜興の陶器が最高の茶器として珍重されてきた理由は、その制作に使われる"泥"にあります
これは「紫砂」と呼ばれています
1tの岩石から約1kgしか採取できない貴重なものです
「紫砂」は、色によって朱泥,紫泥,段泥に分類されています
段泥は黄色っぽい色をした仕上げで採掘される量が少ないため、あまり製品の数も多くありません
朱泥は鉄分が多いため採掘が困難で、そのため高価になりがちです
しかし、緑茶や烏龍茶を淹れるには最適ですので最も求められているものです
胎が薄く高温で焼成されたものは特に適しており、豊かな香りを引き出すことができます
紫泥は宜興紫砂壺の材料としては一般的なもので、よく見かけられます
 
<紫砂の歴史>
現在一般的に、紫砂の生産は中国北宋中期に始まったと見られており、宋代の欧陽修、梅尭臣らは「紫甌」を歌った詩を書いています
このため、一部の学者は紫砂茶器は北宋時代に既に誕生していたと考えています
明朝正徳年間(1506〜1521年)になると、紫砂は次第に有名な業種となり、隆盛の道を歩み始め、民間の工芸職人が輩出しました
その中で、供春は特に有名で、紫砂壺の発展の歴史において記念碑的意義を持ち、彼は紫砂器を新たな境地にまで高めました
が、供春の作品は当時既にほとんど目にすることができなかったと言われています
 
* 2011年6月5日更新
インターネット資料「茶壷の発展と歴史」によれば、明初中後期の茶壷の特徴として「この時期の銘は壺の底に釘彫り楷書の落款が多くあります。鈴印のものはまだみかけません」とありますので、「二」は釘彫りの銘かも知れません
 
** 以上、初めて紫泥急須を手にして、その出自を私なりに推測して見たのですが、どこまで真実に迫っているのか皆目不明です
笑止千万と笑われるかも知れませんが・・・
北宋 影青(青白磁)
中国北宋時代(960〜1129) 景徳鎮窯
サイズ 口径19、高さ5.5cm
 
* 先月、3月22日放映の「開運!何でも鑑定団」に同類同手の鉢が登場し、中島氏が300万の価格をつけましたので、ちょっとびっくり・・・
骨董街で尋ねてみましたが、関西ではこんな高額には到底ならないと思います
話を面白くするために大げさに言ってるのでしょうか・・・?
TV番組ですから・・
サイズは分かりませんでしたが、私の所持している影青鉢と色、彫り、多分サイズもほぼ同じものに見えました
そんなわけで再掲ですが写真を撮り直してUPしてみました
写真は拡大して見られます
 
(こんな時代にとお叱りを受けるやも知れませんし、面白いと思われるやも知れませんし・・・
ブログ ネタということで見てください・・)
にせものだよ、そんなに高いはずがない・・・いろんなご意見があるかと思いますが・・・
話題を提供したいと思います
私がオークションに出品しましたらこの1/20の価格でも売れますかどうか・・・
 
(1) 全体です
口縁を見ると小さく欠けている所が2〜3箇所ありますが、手にとっただけではすぐには分からないくらいです
長い間使用されていたことが推測されます                                                                                                                                                                                    イメージ 1                                                                                                                  
(2) 見込みと背面です
若干キズがありますが、
使用している間についたもののようです
文様は唐花文というのでしょうか・・・
 
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(3) 高台と彫りです
見込みの彫りですが、この辺には使用によるキズが多数あり、光っている面の中の光っていない部分は擦り傷で表面の光沢が失われています
この擦り傷は鑑定の1つのポイントになります
 
鑑定団の鉢もこんな高台であったように記憶していますが、資料が見つかり次第、写真をUPします
骨董街で見られる鉢の高台はこんな感じです
この高台は鉄分がきれいに発色していて気品のある高台になっています
 
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(4) 高台付近の気泡を写してみました
不規則に入っている気泡に特色があります
(分かりにくいですが・・・)
 
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(5) この時代の青白磁は紙のように薄い造り込みで、太陽を背にして見ると指の陰が透けて見えるのが特徴です
 
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* 青白磁とは、簡単に言えば、ごく薄作の白地に彫花、印花などを施して、その上に、淡い青色を呈する釉薬が施されていて、青磁に近い感じのものです
そのほとんどは、江西省景徳鎮でつくられたものです
青白磁は中国では影青(インチン)とも呼ばれます
 
追記
<北宋 青白磁の特徴> → 中国陶磁の鑑定と鑑賞 常石英明著 より
(1) 北宋朝がが北方民族に滅ぼされた時に、北宋朝の官窯、定窯に従事していた陶工達が景徳鎮に移住して    きて作陶したと言われる作品です
(2) 土は景徳鎮近くのカオリンから算出され、含有鉄分が少なく純白で、耐火度が高いので薄作でも焼成中に    歪んだりへたる事がなく姿が崩れず、古来中国随一の磁土と言われています
(3) 作柄は薄作で、碗、皿、鉢などは器を通じて向こう側が薄く見えるほどです
(4) 素地には簡単ですが、丁寧な陽刻、陰刻などが施されています
    多くは片切り彫りです
(5) 釉色は透明な微青色で、下地の文様の凹凸によって淡い青色は濃淡を異にしていて、全体的に非常に清    涼感がみなぎり、いわゆる淡い雨過天晴色に近く、欧米の学者は古作の柴窯系であるとさえ論じています
(6) 器種は碗、皿、鉢、合子、水差し、小壷などの日常品から装飾品まであります
 
以上ですが、唐時代の青白磁は、後代のものに比較すると青味が少なく、柔らか味があり、やや厚造りで、おっとりしています
北宋時代の青白磁は紙のように薄造りで、しかも鋭さのある技術の冴えを示していて、素地には丁寧な陽刻、陰刻などが施されています
釉色は、透明な水色で、濃淡の差は少なく、調和がとれていて、清涼感と気品が溢れています
南宋時代にはいると厚造りになり釉色は透明度を欠き、丸みを帯びてきて鋭さがなくなってきます

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