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幻の悪戸焼
口径9 高さ 4.5 cm
ぐい呑みか旅茶碗というサイズです
* 古唐津?かもと言うことで購入しましたが、青森県弘前市の美術館にお尋ねしたり、ネットで調べたりした結果、悪戸焼と判断いたしました
指で弾いた音は磁器のような音がしますが、美術館の学芸員の方は陶器で良いとのことでした
* 悪戸焼は類例を調べてみますと、高台は無釉薬がほとんどですが、ほんの少々施釉されたものがあります
* 高台の削りに特徴があります
* 茶器、酒器の類は非常にすくなく、本器のように茶器として使えるようなものは、ネットで調べる限り、この1点のみです
↑ (Padaさんのご教示により調べて見ましたら、悪戸焼と判明しました)
・ 朝市珈琲さんのブログに載っている悪戸焼「擦り皿」と昭和50年弘前市立博物館発行の本に同形のものが載っている写真です ⇒お借りします<m(__)m>
口縁に皮くじら様に釉薬がかかっています
・ カラリン屋さんの悪戸焼片口碗です ⇒ お借りします<m(__)m>
高台の造り、削りの角度、へその感じは同じようです
胴部の釉薬の斑文様も同じです
口縁は内側に反りが入っています
・ 上記お二人とも津軽の方のようです
・ もう1点ネット記事から写真をお借りして、悪戸焼徳利をUPしてみます
高台の造りは上記油壷とそっくりです
* 鶴田鈍久さんのブログによりますと
> 悪戸焼 あくどやき
青森県中津軽郡相馬村湯口の陶器 1806年(文化三)に湯口村の石岡林兵衛が羽後国十二所村(秋田県大館市十二所)から陶工源七を招き扇田に窯を築いて製陶を試みたが不成功に終わり、その後再び羽後国から陶工清兵衛、永之松を招いてようやく成功したといわれます 二年程で経営難に陥ったが津軽藩主に認められその庇護を受けて製陶を続け、用命の茶器を焼成するかたわら民窯の雑器を焼いましました ・ 鶴田さんの記事によりますと、茶器は鍋島ほどではないにしても官窯陶器と言うことになります
* 地元、朝市珈琲さん、 カラリン屋さんのブログの写真を見ると、この記事の茶碗又はぐい呑みは幻の悪戸焼に間違いないようです
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日本陶器等
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立川流 「鬼秀」 4代目 名倉孝作 「筆立」
10x7 高さ12 cm
* 静岡県袋井市出身の著名な鬼瓦作家でブロガーAlexさんの友人です
その関係でこの筆立てをAlexさんより、いただきました
<4代目 「鬼秀」> ・・・インターネット記事より
生年月日…昭和9年(1934年)2月11日
出身地……静岡県浜松市 所在地……袋井市堀越 中学卒業後、楽器製作所(ピアノ調律)に就職。半年後、父の仕事である「鬼秀」を継ぐため、家業に戻り、5年間鬼瓦の製作を修行。22歳の時、森町の遠江(とおとうみ)窯業で瓦職人の修行を7年間。昭和33年、3代目鬼秀のもとで本格的に鬼瓦製造の修行に入る。 ◆平成12年(2000年) 静岡県産業振興知事褒賞 ◆平成13年(2001年) 厚生労働大臣表彰 卓越技能章「現代の名工」 ◆平成14年(2002年) 黄綬褒章 |
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常滑山茶碗 鎌倉前期?
サイズ 直径16 高さ5.5 高台径8cm
* 見た通りの荒々しい肌合いをしていますので、サイズはともかく茶碗というには少し無理かな?という感じです
しかし自然の造形美と捉えれば、自然釉もまた荒々しい景色を造っていますし・・・味わい深いものがあります
その風景は大宇宙の銀河系でも描いたかのようです
見込みの重ね焼きの跡の大きさと高台の大きさは大体一致しています
東北の方より譲り受けましたので、最初は東北復興義援オークションに出品するつもりでしたが・・・
下の写真:
右上の青色釉は流星雲のようです
マゼラン星雲が有名ですね
見込みの中心は黒っぽくなって、宇宙はずっと向こうまで続いている・・そんな感じの表現に見えますね・・・
大小の星も輝いています
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古丹波壷 室町時代 * 骨董友人の自慢の一品です 友人によれば「無傷」が特に自慢できるところだそうです・・・ (これだけは夢想館に来ることはなさそうです・・・) |
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古美濃の研究 * 大げさなタイトルになりましたが、実をいいますと古美術商のNさんの研究に興味を惹かれて佐世保に出かけました (そのついでにハウステンボスを見学いたしましたということだったのです) テーマとしては、夢想館には重過ぎるものではありますが、敢えてTryしてみました 古美術商のNさんには私のブログ記事として、UPいたしますとお知らせしました 事の起こりを申しますと、桃山志野、古唐津・・などをインターネットにて調べていましたら、NさんのHPに行き当たりました そこに、「今よみがえる美濃陶 園戸川窯陶片集」のことが書かれてあり、Nさんは古美濃の陶片を含め約1000点の作品を持っているのであるが、これについて「そんなものがあるわけない」と言われたことがあると書いてありましたのでびっくりしました 古美術商が自らこんなことを書いているのですから・・・ そこでどういうことかとメールでお尋ねしましたところ、事情を説明してくれたのですが、ついでに上記の本を送ってくれました さらにTELにてもお話をお伺いし、Nさんのこの陶片群に賭ける情熱をひしひしと感じ、これは命がけで取り組んでいるに相違ないと思ったのです さらに「こういう方のお話をお伺いしてみたい」と思うに至り、佐世保に行って見ようということになりました この陶片群につきましては、岐阜の陶磁館の鑑定では最近の作ではないかと言われたこと、熱ルミネッセンスによる古陶磁の鑑定や陶土の分析でもどちらかと言うと違うのではないかという結論になっていること、その他もろもろのことが書かれています それに対して、Nさん自身の意見も記述されています > 陶磁館の主たる判断理由は作品の造形、造り方が桃山時代のものとは違うのではないかということのようです しかしNさんのこの陶片群に対する信頼は絶大なものがあり、今命がけでその実証に取り組んでいるとのことです 私は陶片群については全く門外漢なのですが、Nさんの真摯な気性に触れ、勉強させていただきました > Nさんの真とする主たる判断理由は、このような素晴らしい作品群が最近に造られたとするならば、これほど大量のモノが世の目に触れなかったはずがない、しかも一人の陶工ではできない技術と量なのでなおさらであると言うようなことのようです Nさんはこの古美濃の陶片群を世に問いたいということで、「今よみがえる美濃陶 園戸川窯陶片集」(現在ヤフーオークションに出品されています)を発行までして、多数の方に見ていただきたいと願っています 真と実証できた時は、この作品群を美術館などに寄贈したいと願っているそうです * <追記事> この真贋の結論は今年3月頃出されました 最近の作と判明いたしました **なお、Nさんはこの作品群を発掘した人から一括して購入したそうです 私は何らかのコメントを出来る素養はありませんので、自宅をお伺いしたときに写した写真を紹介いたしたいと思います 1 鳴海織部茶碗 2 織部黒茶碗 3 鼠志野鉢と茶碗 4 志野茶碗 5 織部香合と手鉢 以下陶片です 6 鳴海織部 7 鼠志野と志野 8 総織部 下の写真は、美術本のもので、同じ文様があったので写して見ました この陶片群にはいくつかの銘が彫られていますが、この織部には千が描かれています 過去にも同じように真贋が問題になった「永仁の壷の件」、「佐野乾山の件」などがありましたが、古美術商、学識者、コレクターなどそれぞれのの目はやはりそれぞれの目があるのだと思います 佐野乾山の件(1968年)はいまだにはっきりした結論が出ていません <参考までに> インターネットの資料から 佐野乾山事件 尾形乾山の作品は昔から模造品が多く真贋の見極めが難しいとされるが、なかでも佐野で制作された乾山の作品、いわゆる佐野乾山は10点に満たないとされている。 昭和35(1960)年頃から、市場に佐野乾山なるものが出回り、それらの作品について一部では贋作説などが囁かれていた。昭和37(1962)年1月、朝日新聞の小欄の記事で来日中だったバーナード・リーチが、訪れた森川勇宅で80点あまりの佐野乾山を鑑賞し、本物であり素晴らしいと絶賛したことが報じられる。この記事をかわきりに、当時市場に出回っており疑問視されていた作品も含め200余点の佐野乾山の存在が明るみに出て、それらについての真贋論争が繰り広げられる。論争の場は新聞雑誌にとどまらず、テレビの公開討論にまで及んだ。佐野乾山と同時に発見された乾山の覚書の真贋も議論の的となり、発見者であるブローカー斎藤素輝に対する疑惑等、多くの陶芸愛好家や専門家、また、新聞雑誌も真作説、贋作説に分かれて激しいやり取りが行われた。昭和38(1963)年になると、次第に論争が話題となる機会が減っていく。わずかに翌年のバーナード・リーチによる佐野乾山の本物を主張する投稿と、昭和49(1974)年の芸術新潮に載せられた関係者に対し奮起を促した記事がみられる程度であり、論争は風化し、解決をみないまま現在に至っている。 ⇒ 66さんからすでに決着しているのではないかと言うご指摘を受けましたので、再度インターネットで知らべましたところ、まだはっきりしてないようです それに関しての記事です ここでは科学分析に対しての疑念が呈されています また発表方法にたいしても同様になっています 日本のやきもの【鑑賞と鑑定】第3巻の著者はX線測定結果の吟味をしないで、結果のみを鵜呑みにしていると言うように書かれています 作家の松本清張氏は、現在、乾山として考えられているものもX線測定して、その結果を比較検討すべきであると主張しました この筋の学者でもX線測定の場合の誤差は大きく、100〜200年以上の誤差があるとするひともいるそうです X線測定(熱ルミネッセンス方)は炭素の経年変化を測定する方法ですから、元々の土の炭素がどのようなものであったかを知らなければ、過去と現在の比較が難しいのではないでしょうか・・ ━ ここからはNさんの手持ち商品です ━ Nさんは唐津専門の古美術商ですので、もちろんガチガチの真作です 古唐津茶碗 古黒唐津壷 絵唐津向付 *** これを読まれた方はそれぞれのご意見があろうかと思いますが、忌憚のないご意見を遠慮なくコメントしてください Nさんもコメントを見て気を悪くすることはないと確信していますし、むしろそれを参考にさらに研究を深めるものと思います なお、この記事は単に私の解釈、見解、印象を述べているだけのものです <私の見解> 少し分かりにくい点がありますので、私の見解を記述してみます この件に関し神のみぞ知る絶対的正解が100あるとしますと、陶磁館の方は今までに解けた70について教えてくれたのです 未解明の正解が30残っていますので、そのうちのいくつかをNさんは探そうとしているのです 70を否定するものではないと思います・・・ 古美術も歴史ですからその全てが解明されているのではないように思うのですが・・・? 例えが変ですが、つい最近の坂本龍馬暗殺事件で誰が龍馬を襲ったのか分からないくらいですから・・・
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