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油彩:一般

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パウル・クレー 「セネシオ(さわぎく)」 模写 小畠達男


* 巨匠パウル・クレーの作品」「セネシオ(さわぎく)」を小畠達男画伯が模写したものです
この絵をとても好きな人がいて、模写していただこうということになり、2点模写してもらいました
絵を好きな人は大抵知っている著名な画家です
クレーの作品の中で「セネシオ」がもっともよく知られています
子供にも人気があるそうです

今はお茶屋さんの壁面を飾っています

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集英社の美術全集の原画の写真です

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裏書です

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この美術全集をもとに模写しました

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額に入った作品を写したのですが、きちんと枠に入れるのは難しいですねー・・・

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<今夜のNHK TV 2000〜 >
ワンダー×ワンダー「贋(がん)作犯の告白」
名画の裏にひそむニセの絵、贋作。イギリスで3億円を稼ぎ出した元・贋作犯が登場。驚きの「だましのテクニック」を語った。ニセモノを見抜く最新の「科学鑑定」も紹介。

を放映していました

** インターネットからのクレーの紹介記事です

≪さわぎく (セネシオ)≫クレー作 1922年
2006年10月25日 (水)
バーゼル美術館蔵

クレーの作品は輝く色彩のハーモニーと、自然界からとった単純な形態に満ちている。
見かけの素朴さのために、その絵はしばしば子供の絵になぞらえられた。

この不思議な顔がもつ簡潔な表現をうまくとらえている。
幾何学的な形を基本に用いながらも、「眉」と「口」にちょっと顔をしかめたような、気まぐれな表情を与えることで、彼は顔に生命を吹き込んでいる。

クレーの作品は、それを総体として見ると鑑賞者に相当の戸惑いを感じさせる。
1万点にものぼる大量の作品が、まったく様式の統一性を欠いているからである。

特定の技法を用いるというよりはむしろ、クレーは作品がそれにふさわしい形をとるように気を配った。

彼は次のように述べている。 「芸術家とは、そのなかにより大きくもっと根源的な力が流れ、導かれる1つの道具であり、こうした複雑な素材を組織し、人々に知覚できるよう提示するのが芸術家の役目である」。 
このため、クレーはしばしば表現主義者やシュルレアリストと結び付けられてきたが、彼は自らが見いだした道を進み、常に独立独歩であった。

クレーの芸術の本質は、「1つの精神または生命力は万物に影響を及ぼす」という彼の信念にある。
したがって彼の仕事は自然を模写することではなく、進行するプロセスを認識し、自然におけるのと同じように芸術作品を成長させることにあった。

クレーは有名な講演のなかで、この観点を木の比喩を使って説明している。
根が樹液を幹に運び、そこから枝が広がっていくように、画家は自分の体験を流し込んで作品をつくるのである。
木の枝が根の鏡像とはだれも思わないのと同じように、仕上がった作品はモデルの単なる模写では決してない。

クレーは「創造意欲の内奥に入り込み、創造の過程を跡づける」必要性を強調した。
その狙いは創造という単純だが深遠なものの核心を見通すことにあった。

クレーにとって、出来上がった絵はその背後にある思考パターンの何らかの意味を伝えるべきものだった。
彼は着想や連想から徐々に最終的な芸術的イメージが生まれると考えたのだ。

クレーはこの単純な視点を発展させることに生涯の大半を費やし、特に外界に対する子供の反応の仕方を高く評価した。

クレーの考えによると、子供の絵は「脳髄からしぼり出された」ものでないために、クレー自身の絵より優れているのだった。

彼は子供のように歴史や文化の垣根に無頓着だった。
古代エジプトの彫刻もミケランジェロやレンブラントの作品と同じ深みで世界の本質を物語っているのである。
彼はたった1枚の絵を創造するためにさえ信念を持って様々な源泉から要素を選び出した。

   (1990年週間グレート・アーティスト)参照

<小畠達男画伯ご逝去>
この12月5日、転倒による骨折のために、ご逝去されました
心より、ご冥福をお祈りいたします
30数年にわたり、兄弟のように親しくお付き合いさせていただきました
深く感謝いたします
清水良雄 油彩 F8 「山」

清水良雄(しみずよしお、1891年8月4日 - 1954年1月29日)は童画画家
東京都文京区本郷に生まれた
旧制京華中学校(現・京華高等学校)卒業
東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科卒業
黒田清輝、藤島武二に師事する
在学中に文部省美術展覧会に入選
戦時中に広島県芦品郡戸手村(現・福山市)に疎開
終戦後も東京へは戻らず広島で没した

大正の初め頃から挿絵を描き、鈴木三重吉が創刊した童話雑誌「赤い鳥」においても創刊号から挿絵を描いている
この他「コドモノクニ」でも多くの作品を見ることができる
友人に京華中学校の同級生で日本美術研究家の丸尾彰三郎がいた


* 題名は書いてありませんので「山」としました
見たことがある山のように思うのですが、思い出せません・・・

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清水良雄画伯は、昭和初め頃の鈴木三重吉主宰の子供向けの雑誌「赤い鳥」の挿絵を担当していました
「赤い鳥」は詩、童話、子供向け物語、子供の作文などで形成されています
北原白秋の詩をUPしてみました
これは昭和7年5月号です

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「赤い鳥」の編集理念です

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井上勇 「金雲富士」 油彩 F30号


* 我が家の壁面を富士山の絵で飾ってみたいと思って大分無理して購入しました
長女が選んだものです

毎年末に、大阪のH,Dデパートで、年末市が開かれます、大分以前にそこで購入したものです
今年も例年通り開かれていますが覗くだけでも楽しいものです

不況に突入した今、早朝の希望の光を受け黄金色に輝く富士山はちょうどよいブログ材料かな・・・ということでUPしてみました

来年は不況も回復して良い年になりますように!
皆様もどうぞ良いお年をお迎えください!

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安倍毅 「秋の山と湖」 油彩 M−10
55x33cm

安部毅
1915(大正4年)〜1983年(昭和58年)
元自由美術家協会会員・広島県美術展審査員
1935年20才の時初めて二科展に初入選以来何度も二科展に入選
1950年 小林和作に師事
1961年 広島県美術展に「山と湖」を出品
2003年の6月と11月に「没後20年遺作展」を福山天満屋にて開催、「安倍毅画集」を刊行、好評であった


* 小林和作に師事しただけあって、よく画風が似ています
小林和作も山や海の風景が得意でした
この「山と湖」は里山の秋の風景を明るく、柔らかく捉えています
おそらく故郷の風景であろうと想像します
心癒される一品です

ごく最近、絵だけですが、わずか数千円で落札しました
こういうものが掘り出し物かなーと実感します
額縁は寺西進三郎画伯に調達して頂きました

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秋の農村風景 油彩3P
末松勇
明治27(1895)年生まれ 熊本
一水会
師 藤島武夫、岡田三郎助 他




* ちょうど今頃の農村風景です
キャンバスを板に貼り付けてあります
額縁も相当に傷んでいますが、明治のころの額縁も味がありますので、額縁込みの絵もUPしました
刈り入れ後の藁の積み上げ方は今はあまり見られなくなりました
当時は藁も大切な資源であったのであろうと思います

この藁の積み方を「ススキに積む」と言うそうです

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