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夏の日光、奥日光
* 21日に帰省した際に、何十年ぶりに日光中禅寺湖〜湯元付近を訪ねて来ました
誰でもご存知の所ですので、紹介するまでも無いのですが、夏の日光、奥日光ということで・・・
当日は霧が深く、山の頂上や華厳の滝などはまったく見られませんでした
* 中禅寺湖温泉街の街並み、中禅寺湖、二荒山神社など・・・
軽井沢のような感じの街並みになっていました
日光は国際観光都市ということで整備されてきたのだと思います
二荒山神社から、男体山登山往路4時間、帰路3時間だそうです
ちょっときついですね・・・
* 裏見の滝、竜頭の滝
雨が多かったせいで、水量は非常に多いように思いました
竜頭の滝の真ん中付近の石が竜の頭に似ているということで、竜頭の滝と命名されました
* 中禅寺湖からR120で北上し、戦場ヶ原へ・・・
戦場ヶ原から見る男体山と戦場ヶ原
* R120をさらに北上し湯の湖と湯元温泉へ・・・
湯元温泉街の鳥瞰写真、足湯、源泉、湯の湖・・・
湯の湖には釣り人が目立ちました
先生に引率された子供たちもたくさんいました・・・
おじちゃん、おばちゃんも・・・たくさん・・・結構賑わっていました
ほっとしました
今は真夏と言うことで山は生き生きしています
さー!
遊びに行きましょう!
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トピックス
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歴史資料館
* さる方に紹介していただき、某歴史資料館を訪ねました
館長は大学で先生をされていたそうで、とても話術が巧みで面白おかしく、歴史を堪能させていただきました
よく交流させていただいているブロガーのDさんにも来ていただき、初めてお目にかかりました
* 世の中にはすごい人がいるものです
この歴史資料館は個人の家なのですが、大きな家で、その中が骨董と言いますか歴史資料で満杯でした
圧巻は万葉集、古今和歌集の1部があるということでしたが、紹介できないのが残念です
手にとって身近に触れることが出来ましたことは真に幸運でした
有難く拝見させていただきました
・ 記事の真実、真贋につきましては、館長が言われたということであって、絶対的なものではないということをご理解ください
数百年を超える前のもの、万葉集などは千二百年も前のものですので、その真実は到底確かめることは不可能と思います
差し支えのないものを2〜3紹介させて頂きます
* 東大寺大仏殿の灯篭の1部
灯篭の1部が新しく取り替えられたときの元の1部です
* 屏風2点
1点は源平合戦図、1点は雪舟作です
* 江戸時代の茶道の指導者、古田織部の編み笠です
* 瀬戸内海で活躍した?海賊?村上水軍が使っていた武器です
* 義経の奥州逃亡を手助けしたとされる金売吉次の鎧です
皮も使われています
光っているところは漆が塗ってある部分です
今で言えば子供用という感じの大きさでした
このようなたくさんの貴重な資料を保存していくのは大変なことと思いますが、後世まできっちり伝えられますように願って止みません!
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日本一小さな石の資料館(栃木県岩舟町)
* 故郷を遠く離れて何十年にもなりますが、先日、久しぶりに弟と町を走ってみたところ、日本一小さな石の資料館を見つけ、入って見ました
岩舟町には岩舟山(標高172m)があって、かっては石の生産が盛んでした
岩舟山は外観が大きな1艘の舟のように見えたので岩舟山と言われるようになったそうです
そして岩舟山が街の中心にある町なので、岩舟町となったわけです
石の資料館は、私のいた頃は無かったように思います
私の子供時代は私の住んでいたところは別の村で、その後岩舟町と合併して岩舟町となりました
そして今は栃木市と合併することになり、栃木市と変わることになります
1) 資料館と内部、岩舟山の石
資料館は、あっという間に見終わります 日本一小さいのですから・・・
昭和6年頃は石材店でした
2) 岩舟石について
* 岩舟石の利用について
岩舟石は江戸時代は城、社寺の石段、石垣、土台石などに利用され、明治4年に栃木県庁が栃木市に建設されたときには土台石、堀石などに使われました
その後、巴波(うずま)川、渡良瀬川の護岸工事に使われ、昭和30年頃は36軒の石材店が出来るほど盛況でした
しかし、昭和50年頃にになると、建築方法の変化などにより需要がだんだん無くなり、現在は採石業者はいなくなっています
*資料館について
昭和初期の経済不況はとても深刻であったので、昭和6〜7年にかけて川島定四郎氏によって、岩舟石の細工技術の保存と石工救済のためにこの建物が建てられました
内装外装のすばらしい細工には石工の技術が偲ばれます
* 岩舟石の輸送について
重い石ですから、輸送の問題が最重要でした
・ 江戸時代〜明治時代・・・馬車や荷車で渡良瀬川岸まで運び、そこから舟で各地に運ばれました
・ 明治33年に人力車鉄道が開業しました
人が人力でトロッコを引く方法です
・ 大正5年〜昭和4年、内務省が軽便鉄道(蒸気機関車による輸送)を開通させました
JR両毛線や私鉄東武鉄道による輸送も行われました
・ 昭和5年ごろになるとトラックやブルドーザーが登場して機械の大型化が進みました
その模様の写真です
この当時のここの石工たちの労働環境は厳しかったろうなー・・・と思います
命がけだったと思います
下記2点は昭和初期、トラックの写真は昭和13年の頃のものです
右下は川島石材店の昭和8年4月の花見の時の写真です
この人たちのお蔭様で今があります
感謝!!!
当時のトラックはシボレーでした
国産のトラックはありませんでした
両毛線か東武鉄道を走ったSLと思います
乗り物好きの私は、こういう写真を見ると心が躍ります!
3) 岩舟山の天台宗高勝寺
関東の高野山と言われるそうです
規模は小さいのですがその成り立ちが高野山に似ているのでしょうか・・・?
宝亀8年(AC775年)、鳥取大山の僧、弘誓坊明願によって開山され、日本三大地蔵第一の霊場だそうです
先住民族は、高い岩肌の出た山に死者の霊が集まるという宗教を持っていたそうで、民俗学的に貴重な山とされています
参道入り口から600段余の石段を登って、高勝寺に いたります
お寺の後方にお地蔵さんがたくさんあり、幾多の伝説が残っています
4) 東日本大地震による、岩舟山採石場跡地付近の崩落
この寺の後ろから北東の太平山に自然歩道が続いていましたが、昨年の東日本大地震により、山が崩落して道も無くなってしまいました
岩舟山を山の東側から見た写真で、写真左の部分がV字型に崩落しているのが分かります
山の真ん中付近も大きく崩れました
崩落前と後の写真です
お寺の後方のV字型に崩れた所ですが、崩れた向こう側に道路の白い 柵が見えます
恐る恐る少し身を乗り出して写しました
5) エピローグ
あまり明るい感じの話題ではありませんでしたが、昭和初期のことですから止むを得ません
現在とは大変な違いと思います
最近の新聞記事によると栃木県でもっとも土地の評価額が下がった地域が岩舟町だそうです・・
うーーーん・・・残念!
この付近は、ぶどう、梨の一大産地ですし、太平山などの美しい山並みもあるし、大きな遊水池もあるし、カタバミの群生地もあるし・・・
景色のよい田園風景の町ですのにどうしてなんだろう???と思います
行政のトップが観光客の誘致その他に努力して欲しいと願わざるを得ません
頑張って欲しいですねー・・・
経済効果も大きいですし・・・
国でも町でも家庭でも、リーダー次第です
どうぞよろしく!!!
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特製フカヒレラーメン
* 家内が留守なのでフカヒレラーメンを食べに行きました
20数年前に「フカヒレの姿煮」をご馳走になったことがあるのですが、その当時は数万円の料理だったように記憶しています
あの時のフカヒレと今日のフカヒレは違うのかなー?なんて思ってしまいます・・・
それとも世の中が変わったのか・・・
私が昼食に食べれるのですからねー・・
あの当時は高級料理だったんですけど・・・
(知らないうちに世の中が変わったのですね・・・)
* この記事を見てくれた方は直ぐに中華レストランに行ってくれますよう!!!祈っています!
もう知ってるよなんて声も聞こえそうですが、私は最近までちーーーとも知りませんでした
フカヒレに間違いないと思うのですが・・・?
全体としては粗食です・・・
餃子と小ご飯があるだけですから・・・
値段は940円、レストランは近所のM王です
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野火焼 陶変僕くま子窯
* 昨日、陶芸に興味のある山仲間3人と野火焼 陶変僕くま子窯を訪ねさせていただきました
野火焼きの焼成方法からくま子さんの人生経験まで興味深くお伺い致しました
時にウルッ!ときたりして・・・皆、良い話が聞けてよかったー・・・でした
私らが訪問させていただくという事で、展示室をきれいにSET UPされたそうで、作品が見事に展示されていました
好きな曲がった竹まで用意され、その竹が竹林の雰囲気を醸(かも)し出すと言う心憎い演出までされていました
陶芸家、画家などはある意味映画監督みたいなものなんでしょうね・・・
* 展示室です
素晴らしい一品です
白と黒!
お見事!
大作です・・・
私の感じたダントツNo.1の作品です
(あくまでも私の主観です・・・)
焦げ味のついた?信楽赤土をベースに、薄いピンクと黒の文様・・・
正にアートだなー!と感嘆いたしました
またどうしてこんな色が出るのだろう???と不思議!!!
妖艶な世界に踏み込んだようでもあります
くま子さん、思い入れの作品です
かっての、自分の娘とまで思う愛犬の顔が現れています
皇室献上の御礼としていただいた朱肉入れと皇室の歴史が書かれた本です
* 窯は東大阪市にあります
お近くの方は是非訪れて、素晴らしい作品を堪能してください
大歓迎されることと思います
<参考>
* 大嘗祭(だいじょうさい)」とは・・・インターネット記事より
新天皇が即位し、まず最初の最大の祭儀が「大嘗祭(だいじょうさい)」であるり、この神事には多くの謎と秘儀があり、その解釈にも複数の見解があるようだ
簡単に、この祭儀の意味を説明すれば、これは 前天皇から新天皇への”引継ぎ儀式”である ただ、単純に”形式的儀式”として素通りできないのは、この祭儀は、『神との一体化・天皇の神格化』を目的として 連綿と行われてきた秘儀であるという点である そして、同時に歴代天皇が何代にも渡って、天皇の一世一度の重大な祭儀として伝承されてきた儀式でもある 云々・・・
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