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出雲大社

 

七十年の時の流れを少し総括する。(しあわせ演歌)弦哲也

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日本国の多数の人々が自分の生きた記録を残せぬまま、その血縁に依ってのみ生き様の一部は語り継がれると思うが時の移ろいとともにやがて大半は忘れ去られるのが実態か?
古来より伝承された文学に依って生きた証を残された人々は僅かな方々。
 只今の日本は40年前に孫正義氏が予想した電脳社会を迎えようとしている。
彼が米国の大学に通学中、科学情報誌の広告でマイクロチップ見ての奮起がYahoo!ジャパン等への成功に繋がったようだ。(9分過ぎより)
ともあれ、30年前にMS-DS言語を少しばかり学びコンピューターに搭載された情報量の多さに驚愕した、その時に優秀だった数人の級友が卒業後、数年して他界した。その要因は過多の勉強とコンピューターより発生する電磁波被曝も一つだったと現在も思っている。
宇宙よりの電磁波に生物は遺伝的に耐性を持っていると思うが新しい周波数を持つ電波に人体は対応できているのだろうか?時折に訪れた都市の電車内で多数の乗客が携帯電話機等を使用すると胸が締め付けられる感じがしたのは心臓の電気信号に電話機の電波が異常を与えたのではなかろうか?それにしても、凄い社会に生きていると思う日々、先般は出雲大社様の大祭礼に参詣できた。
神の聖地と思うが故に境内地の霊気を足より頂きたく草鞋履き。
片手には電話機を携え美しい稚児行列もムービー機能で撮影、技術力の違いを12年ぶりの撮影と比較して欲しい。

      
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YouTube等の動画サイトを視聴し楽しんだいる方々は日本国では幾人位だろうか?
その楽しむ一人としては10年前の3ヵ月に及んだ入院
生活で元気を持ったのは携帯電話機で偶然に撮影した
山での動画だった。
鳥の囀り、何気ない風景。
山に躰を置いて撮影時の自然の美しさをベッドに横たわり
ながら携帯電話機のムービー機能で画面を食い入るように
視て蘇らせる日々だった。
そのような体験もあり自分には掛け替えのない恩人が宅
近くの #出雲徳洲会病院 に糖尿病末期で入院された折は
著作権法に抵触するのを覚悟で時間のゆるす限り病室に訪れお好きだった演歌、美空ひばり松江市のホーランエンヤ祭の
YouTube動画を設置して有る病室のテレビに映して喜んで頂いたのはせめてものお返しになったか?一世を風靡された御店も撮影し上映、ことのほかの喜びよう。
いずれは病気治療の一貫として映像を使い心を元気させる治療方法が開発されることを期待しているが作業現場で15秒撮影をし、動画の情報を会社等の組織内で共有しようとするサイトも有るようだ。 https://soeasy.tokyo/ 
「聴雪記」

我が家の庭に咲く花に感動し又、蟻の動き廻る姿に美しさを覚え人生の大部分を何処にも外出せずに絵を描いた熊谷守一。
人の心を豊かにするのは美を意識する心の感性か?脳の働き?
最近、YouTubeサイトにある弦哲也作曲の『 北の旅人』に若い頃過ごした北海道の想いを重ね合わせ度々に視聴している。
石原裕次郎の最晩年に提供された曲のようだが心に染み入る。時間が有れば言葉の調べと映像美が容易に見れる只今、何を選ぶかは個々人のやはり感性か?、現代人は省略が下手であるとの謂いを「聴雪記」の作者、大本出口直日教主は記されている。
熊谷守一の作品をお好きだったように聞く。
 @YouTube で視聴する華やかなステージで歌う石川さゆりの映像より囲炉端に水上勉、筑紫哲也氏を囲み化粧もせず弦哲也のギター本で語りかけよう詠うさゆりの姿に心惹かれる。
今はなき筑紫哲也氏の煙草をくゆらせながら至福の時を過ごされた喜びがが伝わる。
禁煙法がスタートでは考えられぬ映像。
人体を通過する様々の周波数の電磁波、もはや細胞増殖時の異変を防ぐには禁煙するしかないようだ。








                     
                          
                          
                          
                          
                          
 
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ご視聴、有難うございました。

                         
                         
                    


                        
 

                               
      









 

情け・・日本人特有な感情か?

虚とは?実とは・・昭和時代の後半を強く感じさせられる山田洋次監督、倍賞千恵子、高倉健主演の「遥かなる山の呼び声」ラストシーン・・下川辰平、ハナ肇の演技に忘れていたモノを思いだす。
情け・・涙する高倉健にハンケチを手渡そうとして千恵子が問うのをのを「あぁいいよ」と弁当の箸を止めさり気なく答える場面の下川警務官、その姿は昭和のすがた・・被る帽子は上部の紐を解けば耳を覆う防寒帽子となった。
四十年前には何処でもあったと思わせるシーンの中に山田監督のフィクション創造力の凄さを感じながら視聴。
我々が時間と空間を共有していた列車内をラストシーンに選んだ監督の緻密な計算された最終シーンは待つことで明日への喜びを期待できると思われる急行列車 大雪 の走行>>只今の日本は罪を何処で清算できるのか?
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     <北の旅人 弦哲也 【cover】弾き語り>
           https://youtu.be/2Fh-qFkmtUI

食の倫理とは?

 
    今から14年前に 日本学術会議は このような報告書を出していました。
 
  20世紀型の食のあり方、また わが国の戦後の食のあり方に対する
  この報告書の 極めて深刻な危機意識も、
  今日 社会の表面では ますます 無視されて 動いているかのようです。
 
                                     合掌 
 
 
 
 
 
 「食問題特別委員会報告」  平成12年(2000)3月27日 日本学術会議

 
.我が国における食問題:その課題

3.1. 食生活が環境にもたらす負荷

物質循環プロセスの崩壊

 現代の食生活が 環境との関わりの中で引き起こしている重要な問題の一つは、
自然環境に計り知れない負荷を与えるようになったことである。
農業従事者が人口の多くを占めていた 1960年代以前には、食料消費の場から
食料生産の場へ還流する物質量が少なくなかった。 ところが現在では、生産と
消費の場が大きく隔たって、相互に不可視の疎遠な関係になってしまい、かっての
食料生産・消費 システム が協調して可能としていた 物質循環の機能が失われて
しまった。 実感されることは少ないかもしれないが、現代の食生活は自然環境に
大きな負荷を与えている。 この負荷をどのように軽減するかは、食料を消費する
側の課題である。しかし 同時に、消費側の環境負荷軽減対策をどのようにして
促進するかは、食料を供給する側にとってもこれからの中心課題の一つでもある。

 環境への負荷の大きい窒素の循環(千トン/年)をみると、1992年では食料輸入
による 829、化学肥料として投入される 608、水産物として水揚げされる 259の
合計170万トンの流入量に対して、屎尿・雑排水として 689、家畜糞尿367、農地
からの溶脱 364、農水産廃棄物 216、その他 60が排出されている。
この合計170万トンの流入量のうち、窒素固定によって 生産の場などに還流する
のは 10%前後で、残りの大部分が環境中に放出されている。 55年の窒素放出量
は約77万トンであったので、この間の窒素排泄量は、農地への還流量を差し引く
と、約2.4倍に増加したことになる。ところが この間 国民に供給されたタンパク質量
は 1.7倍増加したにすぎない。

動物性食料の摂取

 このように環境への窒素放出量が増えた主な原因は、輸入に依存する食料
調達構造に変化したこと、食生活が植物性食料中心から 窒素含量の高い動物性
食料により依存するようになったことにある。
全摂取タンパク質に占める動物性タンパク質の比率を見ると、1960年代までは 40%
以下であったものが、1979年には 50%を越え、1995年には 54%に達している。

3.2. 無駄な消費

飽食

 日本人の食料消費が ほぼ飽和に達している。食料の供給と消費を1日1人当たり
の エネルギー水準でくらべてみると、供給量が 1980年代以降 2,600kcal台にあって
ほとんど変化していないのに対して、摂取量は 1980年代以降 2,100kcalから
2,000kcal台に低下している。
  食料の供給量と摂取量の差から廃棄された食料の割合をエネルギーベースで
試算して見ると、1965年では 13%であったものが、1980年には 24%、1995年には
 30%にものぼっている。この廃棄量は、2千万トンの純食料、あるいは 輸入食料
の3分の1 もしくは コメ生産量の2倍に相当する。

食物の大量廃棄

 我が国のゴミ排出量は 世界一だといわれる。1年間に排出される産業廃棄物は
1975年には 2億3千万トンが、1985年には 3億1千万トンと増え続けたが、1992年
以後は 4億トン台で推移している。
それに対して 一般廃棄物は 1975年で4千2百万トン、1991年には 5000万トン台に
到達した。1996年以後は 1年間に排出される一般廃棄物は 5100万トンに達し、
1人1日あたりで 1.1 Kg を超えている。東京都の調査によると そのうちの38%が
家庭から排出されるゴミである。そうして、95年に 東京都と京都市の清掃局が
行った調査によると、そのうちの湿重量で 43〜48%が生ゴミ(台所ゴミ)である。
さらに、92年に京都大学環境保全センターと京都市清掃局が台所ゴミを調べた
ところによると、そのうちの38%が 手つかずの食料と食べ残しで、果実・野菜の
や魚の骨などの不可食部が 53%を占めている。つまり、一般家庭から廃棄される
不可食部は 年間約1200万トンに及び、それ以外に手つかずの食料と食べ残して
廃棄される食資源は 年間約800万トン、金額にすると年間食費の10%弱にあたる
39兆円相当分にのぼる。

 1996年に 100家庭を対象に食べずに捨てた食料について 一週間の実態調査
した結果によると、その量は 一人一日当たり 56.5gで、台所ゴミの30%をしめる。
廃棄された食べ物の保存場所は 62%が冷凍冷蔵庫で、廃棄の理由は、「古くて
食べたくない」が 38%、「腐っている」が 11%、「製造年月日が古い」が 10%、
「賞味期限が過ぎている」、「好みでない」が それぞれ 9%、「もともと使わない」、
「少し余った」が それぞれ 8%であった。この実態から、売場中心主義の販売に
そそのかされた消費者の ずぼらな買いすぎが見て取れる。

 このように 一般家庭から食べずに廃棄されるものに加えて、給食や外食で
未使用のままに廃棄される食べ物や食べ残し、調理廃棄物、食料品店の販売残量
などを考慮すると、われわれの食生活が 外部にもたらす負荷は廃棄される食料
だけでも この数倍になるはずである。ちなみに、弁当・惣菜類など、製造された
その日のうちに配送・消費されるものの廃棄率は、多いところで コンビニエンス・ストア
10.9%、スーパーマーケット 8.1%、惣菜店 7.7%で、少ないところでは 宅配サービス
1.1%、弁当・惣菜メーカー 4.6%で、平均すると 7.2%になるという。
1997年の米国での調査によると、小売業、外食産業、消費者の段階で食べずに
捨てられる食料は 全供給量の4分の1になるという。この割合は この国の廃棄率
にほぼ等しい。

3.3. 流通が環境にかける負荷

 エネルギーコストの高い施設栽培や長距離輸送・輸入によって、年間を通じて
食材の供給が可能になっている。例えば、露地栽培の場合の4.5倍ものエネルギー
を投入して施設栽培された トマト、キュウリ、ピーマンの生産量が 60%を、イチゴ
の生産量が 90%を超えて、周年供給が可能になっている。イチゴの消費ピークは
65年には 夏の5月であったが、95年には 消費ピークが 3、4月と早くなり、真冬の
12月や1月でも出回るようになった。

 輸送に伴う環境への負荷も大きくなっている。北海道や九州、四国などの遠隔地
から大都市の中央市場に出荷される青果物の割合が過半を占めるようになった
からである。それに、消費者の食料品購入が多様化、小口・多品目化し、限りなく
新鮮に近いものを求めるようになっているが、この要求が スーパーマーケットや
コンビニエンス・ストアヘの商品配送を小口化し、高頻度化し、配送に伴う環境負荷を
さらに増大させている。 流通過程を 省エネルギー化、省資源化する課題には流通業
と消費者の両者が協調して取り組まねばならない。

3.4. 食料生産の高エネルギーコスト

 地球上の全ての生命活動を根元的に支えられているのは、植物や藍藻の光合成
活動である。地球上に降り注ぐ光エネルギーのおよそ 0.2%を利用して、年間で
1.7×1011トンの有機物を合成している。そのうちの おおよそ 5%を、現在、地球上
バイオマスの10-4〜10-3を、つまり 単独の動物種としては 最大のマスを占める
ようになった人類が 食料として利用しているだろうと推定されている。

 従来、食料の生産に投入されるエネルギー量は、生産物が含むエネルギー量よりも
低いのが普通であった。つまり、太陽エネルギーを 直接 あるいは間接に利用した
食料生産のエネルギー収支は黒字であるのが原則であった。
しかし、現代の大衆社会では 高度化した食料生産技術によって、消費者の高級
新鮮・安全志向に沿った食料が生産されるようになると、金銭的な収支は見合って
いても そのエネルギー収支が大きな赤字であることが見過ごされている。

3.5. 水質汚濁

 琵琶湖や霞が浦のような湖沼、瀬戸内海や東京湾のような閉鎖性海域の汚濁
は、屎尿や生活雑排水が 30 ないし70%を占めている。この20年間で、国内の
水使用総量が 4%弱増えたに過ぎないのに対して、1人当りの生活用水は 2倍
増えている。この増加割合は、食料廃棄量の増加割合とよく似ていて、生活用水
の増加が食生活スタイルの変化とリンクしていることを推定させる。

 我が国のカドミウム消費量は 世界一であり、日本人の平均摂取量も 他の国に
比べてかなり多い。これは 環境の汚染に由来するもので、コメに含まれている
カドミウム量は すでに設定基準値を超えていることに注意すべきである。

3.6.食品包装材料

 東京都や京都市が行った調査によると、家庭ゴミ全体に占める食料品・飲料用
の容器包装廃棄物量が占める割合は、容積比で 27%、重量比で1 8%に及んで
いる。包装単位が小さくなってきた加工食料の包装に、簡易包装や リサイクル資材を
むやみに導入することは 安全性確保の観点から危険であるが、包装ゴミの減量
とリサイクル利用を図る余地は大きく残っている。

 包装材料の リサイクル利用を促進するには、材質の表示が不可欠である。
一見して その材質を特定することが困難であり、そのことが リサイクル利用の隘路
になるからである。さらに、包装材料から内容物に移行する化学物質のなかには
(従来は 内容物成分の包装材料への移行に関心が向けられていた)、内分泌攪乱を疑わ
れるものが含まれている。その安全性を確認する必要がある。発泡スチロール
だけに疑いをかけておくわけにはいかないだろう。

3.7. 食料の安全性を脅かすもの

農薬・ポストハーベスト・食品添加物


 様々の食品添加物やポストハーベスト、あるいは農薬などの外来性物質が、食料生産
や調製・加工の段階で添加され、あるいは残留、混入する可能性がある。
                              ポストハーベスト農薬 - Wikipedia
我が国の農薬生産量は 1980年代より 減少の傾向にあるが、耕地面積当たりの
量をみると、我が国は 世界でもトップクラスの農薬使用国である。
これには それなりの理由があろうが、農薬には農薬としての作用の他に、いわゆる
「環境ホルモン」としての作用を有するものがあり、環境へ及ぼす影響が危惧され
ている。ポストハーベスト農薬は 作物に高濃度残留する。その種類、残留基準は
国により まちまちであるが、概して 輸出国で使用されている農薬の種類、基準は
輸入国である我が国ほど厳しくない。しかも 国際基準への調和化が叫ばれており、
さらに規制が緩和される恐れがある。我が国の検査体制が より一層整備される
ことが望ましい。食品添加物は 農薬と異なり 消失すること無く、そのまま体内に
摂取されるという運命をたどる。このため 安全性の確保に さらなる努力が不可欠
である。

 消費者の鮮度志向が高まっているが、これは 強くなってきた安全志向を反映
したものとみなすべきである。総理府の調査によると、圧倒的多数の消費者が
「多少値段が高くても、品質や鮮度のよい食料をとっている」と回答している。
最終調製品の安全性をより確かなものとするために、害虫の生物学的防除法の
可能性を検討するとともに、これらの外来性物質の使用量を可及的に制限する
ために、効率の高い施用法、施用時期、使用量を食料システム全体にわたって
総合的に判断して設定するシステム工学的アプローチが求められている。

 なお、消費者は、食料に対する鮮度、安全志向が高まるとともに、形、外観を
より重視するようになった。これにより、例えば 形の悪いキュウリは人気が無く
買い手がつかない。 折角輸入した野菜も、見た目に悪いものは 港に陸揚げされる
と同時に廃棄されている。このような無駄は 早急に改められるべきであり、消費者
意識の改革が迫られている。

外来性物質に関する安全性評価システムと評価データ

 前述の外来性物質は、食料システムを流れている間に 量的
および質的に変化
しているはずである。しかし この変化は、現状では ごく一部の食料品について、
しかも断片的に知られているにすぎない。
HACCP(Hazard Analysis - Critical Control Point危害分析重要管理点)管理方式が導入
されているが、さらに 国内で消費される食料の安全性を 総合的に評価するシステム
を確立する必要があるが、そのためには この国の食料システム全体にわたって、
これらの外来性物質の消長を追跡し、得られた分析および評価データを蓄積し、
公開する機構が必要である。

内分泌攪乱作用が疑われる化学物質

 環境ホルモンは そのホルモン様作用、環境残留性、生物濃縮性、毒性の強さ
で問題となる。ダイオキシンについては、そのほとんどが 食料から摂取されること
が判明しているが、他の内分泌攪乱物質については 大気、水、食料からの摂取
の割合が判明していない。
このような化学物質を出さないようにするには 疑わしい材料を使用しないことで
ある。現在のスーパーマーケットなどでは 食料の多くは パックされており、このため
消費者は汚 染の可能性のある食料を必要量以上に購入させられている。余分な
食料は廃棄され、また パックは ゴミとして環境問題と係わってくる。

 しかし 最近、これらの化学物質について、その用量と作用の関係が一様では
なくて、低用量で むしろその作用が増大する可能性が指摘された。 もし、これが
正しいとすると 1日摂取許容量を設定するような考え方では対応できないことに
なって、安全性評価の基準を根底から変更する必要が生じるので、この問題を
解決することが焦眉の急になっている。なお、これらの化学物質の安全性評価
は、ごく限られた数の企業に責任を課すべきものではなくて、国家的機関の事業
とすべきものである。

遺伝子組み換え食品

 現在の進歩した育種法を駆使すれば、生物多様性を利用して 既存作物に望ま
しい遺伝的変異を導入することが可能である。 この育種法によって作出された
新種農産物は、遺伝子組み換え技術に拒絶反応を示す消費者にも受け入れられ
やすい。 しかし、遺伝子組み換え技術は、食料生産用農産原料の種別を拡大、
改良する もっとも重要な手段であることは確かである。 21世紀中頃には世界の
食料需要は 現在の3倍になるだろうが、農耕地は 10%も増えないだろうと予測
されているが、この食料供給の量的問題を解決するには、農業の生産性を飛躍的
に向上させる必要があり、そのために遺伝子組み換え作物の導入が必至である。
  現在までに試みられた遺伝子組み換え作物の多くは、病害、虫害などを克服する
ためにデザインされたものであったが、次の段階では、タンパク質、油脂などの
常量栄養素の品質改良、含量増加を目標に設定して、ほとんどの作物について
遺伝子組み換え作物の作出が試みられることになるであろう。
また、健康の維持・増進に役立つ成分や栄養素への期待が大きいことから、これら
の保健成分を付加・増量した作物を作出することも試みられるであろう。

 しかし、これらの遺伝子組み換え作物は、その安全性、特に その組み換えに
用いられた原核細胞由来のDNAの安全性は、当初考えられたほどには確かでは
ない。不断に その安全性を検討して、得られた結果については 感情論を排して
学術的な立場から評価しなければならない。

 さらに、組み換えた遺伝子が 当該植物以外の、他の植物に移行し、従来の
生態系を少なからず破壊する可能性がある。遺伝子組み換えでは異種タンパク質
が作物に侵入したと同じことになる。その結果、期待した効果以外に、副産物に
よる毒性の発現する可能性がある。
OECD(経済協力開発機構)の指針により、従来の作物と遺伝子組み換え作物が
実質的に同等である「実質性同等性」という概念が提唱された。導入された遺伝子
の起源や特性がよく知られており、既存の食料と同程度に無害であるとの科学的
根拠がある場合は、その遺伝子組み換え食料の安全性は、既存の食料と同等と
考えられるというのである。しかし、遺伝子組み換え作物は 従来の作物とは全く
別物であるので、ごく微量の物質(不純物)まで 同等性の対象として、さまざまな
角度から十分検討されるべきであろう。
 
 

 
.求められている食の倫理

4.1. 食料を消費する側に求められている倫理

 今日の大衆消費社会では、個人の権利としての物質的欲望を最大限に叶える
ために、大量生産・大量消費、発達した交通・通信手段によって拡大した社会的
外延、都市化と人口の都市集中が社会的条件になっている。
この現代社会の成立基盤こそが、今日の環境問題の淵源になっている。
我々が有限の資源を大量に採取して、大量に廃棄し続ける ライフスタイルも この高度
経済成長期に身に付いてしまった。限りある資源を 大量採取、大量廃棄し続ける
ことから、日光や風力などの自然エネルギーを利用して、地球規模で有限の資源
循環的に使用する、持続可能な社会 システム に転換するには、このような ライフスタイル
や人生の目標を環境保全型に構築し直す必要がある。

 個人のライフスタイル、中でも 食生活 スタイルを構築し直しても、今日の社会経済システム
の中では、その直接的な影響は ごくわずかなものに見えるかもしれない。しかし、
この些細に見える個人の食生活スタイルは、食料問題、家庭問題、教育問題など
多方面から、社会経済システム と深く関わっていて、社会経済 システム 転換の引き金
になる可能性を潜ませていることを見過ごしてはならない。

 食生活スタイルを再構築するには、まず、個人に行動規範を与える、「食の倫理」
を確立する必要がある。今日の社会システムの下では、個人がどのような ライフスタイル
を採用するのかは、個人の価値観の問題であって、個人の尊厳にかかわる、
神聖にして不可侵の領域とされてきた。
しかし、「食の倫理」は、環境保全を その基本に据え、地球全体の共生を可能と
するために、いつ、どこででも、なんでも、どれだけでも食べることができる、という
個人の自由を縮小することになるだろう。しかし、これは 個人の欲望を他律的に
抑制されることを認めない現代人のイデオロギーを根底から否定することになる。
  こう考えてくると、「食の倫理」は ベンサム流の功利主義による「個人の倫理」を、
全体のために個人の利益を犠牲にするかもしれない「社会の倫理」で補ったもの
にならざるを得ないのではあるまいか。

4.2. 食料を供給する側の倫理

 食を調え、供給する側の倫理も また 現在 問い直されている。
例えば 英国の狂牛病事件は、食を供給する側の倫理を問い糺す機会を与えた。
英国のチャールズ皇太子は、「効率を追求するために動物を機械のように扱い」、
「さらには その動物のエネルギー源として リサイクルした動物タンパク質を使用
する」、「環境に対する責任を抜きにした経済性の高い運営、食料の品質と健康
を考慮しない最大限の生産、動物の福祉に配慮しない集約化、生物学的、文化的
多様性の維持を考えない単一化」、 このように経済原理を最大の原動力とする
産業と化した農業は、現代人の 「安価な食料を潤沢に」 を、という要求に応えた
からといって免責できるものでないと糾弾した。
  「狂牛病はヒトに伝播するはずがない」という専門家の楽観論が、事態を悪化
させたが、この事件が、現在のヨーロッパの遺伝子組み換え食料に反対する姿勢
の背景にあると捉えることができよう。つまり 食料供給には、単純な安全性論議
よりも もっと根底的な取り組みが必要であることを示しているのではないか。

 本来、食は 食を調える側 と それを受ける側の倫理 もしくは 生き方と不可分な
関係にあったはずである。 ところが、長い伝統と風土に培われた生産・調理・
加工技術が 20世紀の自然科学と結びついて近代技術を取り込み、食を供給
する側の姿が 食を受ける側からよく見えなくなると、食を供給する側は それと
引き替えのようにして 倫理から離反してしまった。
今日の調理・加工技術は、供給された食料が 善であることだけで評価され、それを
生産し、調えた側の倫理や徳を問いたてることがなくなったからである。この倫理
からの乖離現象こそは、今日、食を供給する側が解決を迫られている課題として
受け止めて欲しい。

4.3. 食の道徳・倫理の確立を

 習俗、倫理や宗教、道徳規範は 民族や国家の成立の基盤になっている。
我が国にも伝統的な宗教、倫理・道徳があった。 しかし、それが 国民を戦争に
駆り立てる道具として悪用されたこともあって、戦後には 倫理・道徳は悪魔の呪術
でもあるかのように否定されたまま、国民は 経済復興に励んだ。
人間としてのあり方を深く省みることなく、新しい道徳・倫理を確立することもなく、
物質的繁栄を追い求め、経済的成功のみが政治目標となり、人生の目標である
と考える社会を作り出してきたのである。

 我々は 近未来を見据えて、今、「食の倫理」を確立しなければならない。
このことに関して 国民の合意を形成しなければならない。そうして、この新しい
「食の倫理」は、国が提示する「食生活指針」や「食品構成」、「食料構成」にも
明確に反映されるべきである。
 
 
 
                                                          (未完成)

転載元転載元: 混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

岩石に神が宿ると聞く象徴された神事か?平成25年10月15日 随神門脇の一隅に安置され苔むす石の上に齋具を置き祓い事が執行され 伝統の出雲國一宮 熊野大社 「鑽火祭」kiribisai が始まる。2分50秒過ぎ。画面右下に川を越えて映る帯状の光と能楽の地謡を連想する音は?

撮影機材:携帯電話機Exilim
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<南三陸町HPより> 右上の白い建物は元警察署 三興スタンドはその手前です。


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今日で東日本大震災より30ヶ月と一週間の経過・・台風18号の被害も大きかった。
災害の現地に佇まねばと震災の年の11月に南三陸町に立った・・薄れゆく我が記憶を留めねば!
@miraku300
3.11 出雲より長いトンネルを抜けると被災地が目前〜23年が終わろうとする南三陸町の元警察署前の三興スタンドは未だに仮設のプレハブ事務所、電気も来ない状態での発電機営業!愛'Car給油の時は手書き領収受領‥頑張って生きる〜生きねば。。
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<読売新聞より転載 一部抜粋記事>  福島県南相馬市の運送会社員(40)。ワイヤにしがみついて津波の衝撃に耐え、18時間も冷たい水につかりながら助かった。しかし、ようやく戻った自宅で待っていたのは、東京電力福島第一原子力発電所のトラブルによる避難生活だった。次々に降りかかる災難。「津波と原発の二重苦だ。それでも生きていかなければ」。会社員は、そう心に決めている。 「ゴー」。11日午後3時20分頃、仙台港で、運んできた荷物をトレーラーから下ろした直後、会社員の耳に地鳴りのような音が響いた。海の方を振り返ると、数百メートル先に津波が見える。高さ約10メートル、壁のような波の上で、コンテナや車がクルクルと回転していた。 「少しでも高いところに逃げないと」。

とっさに、近くに並んで止まっていたトレーラーの中で一番高い荷台に飛び乗った。運転席近くに張ってあった鉄製ワイヤにしがみつく。すぐにたたきつけるような波が襲ってきた。「ダメかもしれない」。何度も流されそうになりながら、ちぎれそうになる指に力を込めて体を支えた。 「助けてくれー」。隣のトレーラーが横転し、荷台にいた同僚が叫び声を上げながら水にのみ込まれた。津波が過ぎ去っても、首から下は水につかったまま。周りを見渡すと、周囲の建物は消え、残骸となった立体駐車場だけが残っていた。 日が暮れた。上空から自衛隊のヘリコプターのサーチライトが付近を照らす。凍えて体に力が入らない。何とか片手を振ったが、気付いてもらえない。余震の度に水面が揺れ、近くで起きたコンビナート火災の「ボン」という不気味な音が暗闇に響いていた。 その時だった。「死ぬんじゃねえぞー」。流されたはずの同僚の声が遠くで聞こえた。同僚は救助され、少し離れた倉庫2階に避難していた。「大丈夫だ」。大声で返す。寒さで意識を失いそうになるたび同僚の励ましの声が聞こえ、気持ちを奮い立たせた。「妻子を残して死ねない」。自分に言い聞かせ、耐えた。 長い夜が明けると、少しずつ水が引いていった。午前10時頃、荷台から下り、水の中をがれきに足を取られながら40分かけて移動し、同僚らのいる倉庫に引き上げられた。 その日、同僚の車で約4時間かけて南相馬市の会社にたどり着いた。心配して社に駆けつけていた妻(36)、長男(10)、長女(2)と抱き合った。自宅は無事という。涙が止まらなかった。「生きていることが自分でも信じられない。こんなことがあるんだと思った」 必死の思いで戻った我が家。だが、「奇跡の生還」から2日後の14日、福島第一原発3号機で爆発が起きた。足は凍傷になっており、医師からは入院を勧められたが、家族と避難することを決めた。「放射能が広がったら危ない。家族を守らないと」 福島市で避難所暮らしが始まった。原発の脅威は増すが、ガソリンが足りず移動手段もない。つらい生活は続く。だが、前を向いて生きようと決めている。「命があって家族といられればそれでいい。みんなで苦しみを乗り越えたい」 読売新聞 3月18日(金)14時42分配信分


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