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<南三陸町HPより> 右上の白い建物は元警察署 三興スタンドはその手前です。


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今日で東日本大震災より30ヶ月と一週間の経過・・台風18号の被害も大きかった。
災害の現地に佇まねばと震災の年の11月に南三陸町に立った・・薄れゆく我が記憶を留めねば!
@miraku300
3.11 出雲より長いトンネルを抜けると被災地が目前〜23年が終わろうとする南三陸町の元警察署前の三興スタンドは未だに仮設のプレハブ事務所、電気も来ない状態での発電機営業!愛'Car給油の時は手書き領収受領‥頑張って生きる〜生きねば。。
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<読売新聞より転載 一部抜粋記事>  福島県南相馬市の運送会社員(40)。ワイヤにしがみついて津波の衝撃に耐え、18時間も冷たい水につかりながら助かった。しかし、ようやく戻った自宅で待っていたのは、東京電力福島第一原子力発電所のトラブルによる避難生活だった。次々に降りかかる災難。「津波と原発の二重苦だ。それでも生きていかなければ」。会社員は、そう心に決めている。 「ゴー」。11日午後3時20分頃、仙台港で、運んできた荷物をトレーラーから下ろした直後、会社員の耳に地鳴りのような音が響いた。海の方を振り返ると、数百メートル先に津波が見える。高さ約10メートル、壁のような波の上で、コンテナや車がクルクルと回転していた。 「少しでも高いところに逃げないと」。

とっさに、近くに並んで止まっていたトレーラーの中で一番高い荷台に飛び乗った。運転席近くに張ってあった鉄製ワイヤにしがみつく。すぐにたたきつけるような波が襲ってきた。「ダメかもしれない」。何度も流されそうになりながら、ちぎれそうになる指に力を込めて体を支えた。 「助けてくれー」。隣のトレーラーが横転し、荷台にいた同僚が叫び声を上げながら水にのみ込まれた。津波が過ぎ去っても、首から下は水につかったまま。周りを見渡すと、周囲の建物は消え、残骸となった立体駐車場だけが残っていた。 日が暮れた。上空から自衛隊のヘリコプターのサーチライトが付近を照らす。凍えて体に力が入らない。何とか片手を振ったが、気付いてもらえない。余震の度に水面が揺れ、近くで起きたコンビナート火災の「ボン」という不気味な音が暗闇に響いていた。 その時だった。「死ぬんじゃねえぞー」。流されたはずの同僚の声が遠くで聞こえた。同僚は救助され、少し離れた倉庫2階に避難していた。「大丈夫だ」。大声で返す。寒さで意識を失いそうになるたび同僚の励ましの声が聞こえ、気持ちを奮い立たせた。「妻子を残して死ねない」。自分に言い聞かせ、耐えた。 長い夜が明けると、少しずつ水が引いていった。午前10時頃、荷台から下り、水の中をがれきに足を取られながら40分かけて移動し、同僚らのいる倉庫に引き上げられた。 その日、同僚の車で約4時間かけて南相馬市の会社にたどり着いた。心配して社に駆けつけていた妻(36)、長男(10)、長女(2)と抱き合った。自宅は無事という。涙が止まらなかった。「生きていることが自分でも信じられない。こんなことがあるんだと思った」 必死の思いで戻った我が家。だが、「奇跡の生還」から2日後の14日、福島第一原発3号機で爆発が起きた。足は凍傷になっており、医師からは入院を勧められたが、家族と避難することを決めた。「放射能が広がったら危ない。家族を守らないと」 福島市で避難所暮らしが始まった。原発の脅威は増すが、ガソリンが足りず移動手段もない。つらい生活は続く。だが、前を向いて生きようと決めている。「命があって家族といられればそれでいい。みんなで苦しみを乗り越えたい」 読売新聞 3月18日(金)14時42分配信分


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