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「震災のおぞましさは"遺体"に集約されている」――。
東日本大震災から9ヵ月。無慈悲な災害に遭ったとき、人間は自然にどのように翻弄されるのか。
2011年12月19日に放送された「ニコ生ノンフィクション論」では、東日本大震災の津波で実姉を亡くしたノンフィクションライター・生島淳氏と、岩手県釜石市の死体安置所で取材を重ねた作家・石井光太氏が、報道では伝えきれない震災・津波の無残さを現場を見てきた者の声として伝えた。
石井氏は震災後数ヶ月間、釜石の遺体安置所に身を置きながら、津波に飲まれた遺体とそれを迎える遺族と向き合った。
「瓦礫の上や車の中で見つかった遺体が多かったから、最初は綺麗な遺体が多かった」。
石井氏によると、問題だったのは死後硬直だという。
そのままでは死体の検案も、棺桶に納めることもままならかったと石井氏は淡々と語った。また石井氏によると、津波に流された母親の遺体が木にひっかかり、それを子どもが下から眺めている光景にも出くわしたという。
「辛かったのは」と石井氏は声を少し落としながら続けた。「その子供が『うちのお母さんじゃないかも知れないよ』と言っていたこと」。
石井氏は、東日本大震災について「遺体とどう向き合うのかという大きなテーマを出された。結局、津波は家を建て直せばOKという話じゃない。
津波は人を殺すから怖い」と語り、形だけの復興ではなく"死"をどう乗り越えていくかが大切であると語った。
■気仙沼に消えた姉を追って
ノンフィクションライターの生島氏は、気仙沼を襲った津波で姉を失った。
3月11日午後3時41分発のJR大船渡線で東京に出てくる予定だった姉から、「今日は行けなくなったので、明日行きます」と安否確認を知らせる電話が入ったのは、午後3時26分。
東日本大震災の発災から、およそ30分が経過していた。その後、姉とは連絡が取れなくなり避難者名簿にもその名を見つけることがない。
「電話会社がすべて繋がったのは、3月18日だった。『それで連絡が来ないということは』と覚悟を決めた」と生島氏は当時の心境を語る。
その後、残された血縁者(兄弟及び娘)からDNAを採取し、遺体が姉であるとの鑑定結果が報告されたのは、9月21日であったそうだ。遺体が見つかってから、実に4ヶ月の歳月を要したのである。
生島氏の姉の夫(義兄)は、今もなお行方不明のままであるという。
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送] 石井光太氏が津波による遺体について語る部分 - 会員登録が必要 http://live.nicovideo.jp/watch/lv74118593?po=news&ref=news#19:08 ・[ニコニコ生放送] 生島淳氏が姉の遺体について語る部分 - 会員登録が必要 http://live.nicovideo.jp/watch/lv74118593?po=news&ref=news#31:04 |

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『うちのお母さんじゃないかも知れないよ』って木の上の遺体を見つめながら・・・そんな経験、しなくても生きていけた筈なのに・・。
こんな思いをする子が一人でも出ない様に、後世に繋がないといけない経験ですね。どうすれば減災出来るか、どうすればこんなにも過酷な経験をしてしまった子を支えていけるのか大きな課題ですね。
ポチ!
2011/12/22(木) 午後 10:57
かおまるさん★何とも言え無いね
でも、心のケアをシッカリし無いと行け無い
後世に、どお生かすかが問題だよね
ポチ★ありがとう
2011/12/22(木) 午後 10:59
言葉にできない、、、この思い。。。
明日は我が身・・・
後悔ないように、毎日を楽しく生きていくたいね。
いつも、ありがとう美麗ちゃん!! おおきに。
ポチ。
2011/12/22(木) 午後 11:25
タイガ2世さん★言葉に成ら無いよね
どお表現してイイか分からないよ
でも、人は、何時、死んでもオカシク無い
だから、悔いの無い様に精一杯、生きる必要が在るんだよね
こちらこそ、何時も、ありがとう★
ポチ★感謝です
2011/12/22(木) 午後 11:28