倭人伝を解く

日本史の謎を解いていきたいと思います

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論曰

論曰漢初遭冒頓凶黠種眾強熾

論曰く、「漢は初(以前)、冒頓の凶黠(よこしまでわるがしこい)、種衆の強熾(強く盛ん)に遭った。

高祖威加四海而窘平城之圍

高祖の威は四海に加えられ、而して平城の包囲に窘(苦しむ)した。

太宗政鄰刑措不雪憤辱之恥

太宗の政は刑措に鄰(近い)し、憤辱の恥を雪(すす)がず。

逮孝武亟興邊略有志匈奴赫然命將戎旗星屬候列郊甸火通甘泉而猶鳴鏑揚塵出入畿內至於窮竭武力單用天財歷紀歲以攘之

孝武に逮(およぶ)して亟(しばしば)辺略を興し、匈奴に志(ねらい)を有し、赫然(はげしくおこるさま)と将軍に命じ、戎旗(兵器や旗)は相属(つぎつぎとつらなる 星(セイ)=相(ソウ)?)し、候(見張り)は郊甸(郊外)に列し、烽(のろし 火(フオ)=烽(フォン)?)は甘泉に通じた。而して、猶(さらに)鳴鏑は塵を揚げ、畿内に出入りし、武力の窮竭(つくす)、天財の単用(悉く用いる)に至り、歳を歴紀(順序だてて書く)して之を攘(追い払う)するを以てした。

寇雖頗折而漢之疲耗略相當矣

冦は頗る折(くじく)られたと雖も、而して、漢の疲耗も略(ほぼ)相当した。

宣帝值虜庭分爭呼韓邪來臣乃權納懷柔因為邊衛罷關徼之儆息兵民之勞

宣帝は虜の庭が分かれて争うに値(遭遇する)し、呼韓邪が来て臣になり、乃(そこで)、権(かり)に納めて懐柔し、因りて辺衛と為し、関徼(関所ととりで)の儆(警備)を罷(やめる)し、兵民の労を息(やすむ)した。


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