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しかしこのカテゴリー、何とかならんのか。どうして歴史がないんだよ。
これも今更ながらの記事だが、ホームページがなくなったりするので貼っておこう。
http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/si_1_1.shtml
たいていの日本の労働者、ホワイトカラー層も、こういう記事を読まされてきたはずだ。
だから今もって「日本軍がなにかやったに違いない」と思い込んでいるもんさ。
だって、朝、朝日を読んで、会社に行って、上司や取引先と話をしていたんだからな〜、当時の日本人は。
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「南京大虐殺」でっちあげ報道
朝日は、生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠写真」とし、南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記したという「日記」を併記して掲載した。
それに対して、なんと元歩兵二十三連隊の有志からなる「都城二十三連隊会」が立ち上がった。
覚えのないでっちあげ記事をネタに、孫から非難される御老人もいらしたという。
とにかく、命を捨てて祖国のために戦った戦友の汚名を晴らしたいという一心からだったに違いない。
元兵士の懸命の調査により、一年四カ月後になって、この写真が全く別の場所の写真であることが判明する。 「朝日新聞社最新事情」 世界日報社編 世界日報社
南京大虐殺はウソだ!の朝日新聞の犯罪に詳しく掲載。
昭和六十年一月二十二日付け夕刊(全国版) 「南京大虐殺」についてのおわび記事を掲載
写真の嘘が明らかになったことをうけ、「都城二十三連隊会」は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。それに対して朝日は、このような数行のおわび文を掲載した。
「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」
全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述はどこにもない。これに、都城二十三連隊会が更に朝日に対して不信感をつのらせるのは当然というものだ。
写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。
やはり例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざゴネた上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示をこばんだ。
昭和六十一年十二月二十七日 「南京大虐殺」の日記開示を命令する判決が下る
都城二十三連隊会は、日記の開示を求め昭和六十一年八月二十二日小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをした。
やがて全て開示し写真に取らせよという判決が、十二月二十七日におりる。
これで、長い闘いが終了し全てが解決するかと思えば、そうはならなかった。朝日は、取材情報源の秘匿を理由に、福岡地裁小倉支部に抗告したのだ。
朝日は生い先短い老人を相手に、裁判引き伸ばし戦術に出たのだ。
豊富な資金を持つ朝日にとり裁判などどうということはないが、資金の乏しい側にはたまったものではない。
朝日の誤報→報道被害者が情報源開示要求→取材情報源の秘匿を理由にした拒否→真相は朝日に隠される→報道被害のみが残る。という朝日お得意の典型パターンだ。
最年長の老人は心労のため入院した。今なお朝日は真相を隠蔽している。
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覚えのないでっちあげ記事をネタに、孫から非難される御老人もいらしたという。
とにかく、命を捨てて祖国のために戦った戦友の汚名を晴らしたいという一心からだったに違いない。
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こんな報道被害がまかり通っていたんだからな。
当時はさ。
ブ左翼の強い時代って言うものはこういうものさ。
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人文科学の下に歴史はありますよ(笑)。 当時の旭は御用新聞のはずですが・・・今は(笑)、支那人ご用達! 日本政府は何も言わないから。
2006/4/29(土) 午後 11:18
ありがとうございます。以前もコメントいただきありがとうございます。早速修正致しました。
2006/4/29(土) 午後 11:39 [ mir*k*nino*i ]
南京事件と呼ばれる戦争の記録を軍事的視点から見た記事があります。捏造か幻か意見が分かれますが当時の記録を元に書かれたもので参考になります。http://blogs.yahoo.co.jp/dricamenenguetti/MYBLOG/yblog.html
2006/4/30(日) 午前 0:47
拝見しましたが、前線部隊が勝手に捕虜殲滅を支持したんだろうって、それって類推ですがね。しかも29日に書かれているね。南京の事件は今更とおもって記事にしたが、なんで、この人まで29日に記事にしてるんだろうね。
2006/4/30(日) 午前 2:14 [ mir*k*nino*i ]
中国は日本軍が南京で三十万人を虐殺したと主張しているが、そもそも当時の南京市の人口は二十万人であり、三十万人を虐殺し、その一ヶ月後には人口が二十五万人に増えていたなどあり得ないことだ。
しかも国民党中央宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもないことなど、更には、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていないことなどから、いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである。
そもそも日本軍が南京に侵攻したのは、一九三六年、張学良が蒋介石を西安で拉致監禁した西安事件をきっかけに、コミンテルンの指導で第二次国共合作が成立したことで、国民党政府軍は中国共産党への攻撃をやめ、国民党政府軍に共産党勢力が入り込み、日本軍を挑発して、日本を戦争へ引きずり込んでいったことが背景にある。
2017/2/25(土) 午後 11:29 [ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]