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「へうげもの」にだだはまり、映画の向うを見て、日ごろの時事にもろもろ感想を言う生活

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 あんま乗り気しなったのに、なんか二部に分かれちゃった。
 人物

 西近江で一向一揆門徒と戦ったとき、明智軍の兵18人が戦死した。その後光秀は戦死者を弔うために、供養米を西教寺に寄進した。西教寺には当時の状態のままで寄進状が残されている。他にも光秀は戦で負傷した家臣への見舞いの書状が多数残されている。このような家臣への心遣いは、他の武将にはほとんどみられないものであった。
 ほとんどみられない〜〜?? 
 信長は細かかったと思ったが。
 こうした家臣を思う気持ちから、光秀の家臣は堅い忠誠を誓ったとされる。実際に、光秀の家臣団は、本能寺の変でも一人も裏切り者を出さず、山崎の戦いで劣勢にも関わらず奮戦したといわれている。山崎の戦い敗戦後の光秀を逃すために、家臣が二百騎ほどで身代わりとなって突撃を行ったという記録がある。
 しかし、光秀が信長を討とうとしている事はごく一部の家臣しか知らなかったとされる(本城惣右衛門覚書)事やその後の支持者が殆どいない、後述の自軍の軍規の乱れ等から、むしろ兵の大部分にとっては信長への信頼の方が篤かったが[2]、
 てt、やっぱ信長のほうが上じゃん。
何も知らされずに信長を討ってしまった事で光秀が共犯者に仕立て上げ、引くに引けない状況を作り上げるという光秀の策略であったとする意見もある。 
 ぞぞぞぞぞ…こんな大将やだよ。
 天正3年(1575年)の叙任の際に姓と官職を両方賜ったのは光秀・簗田広正・塙直政の三人だけである。
 この時点で既に官職を賜っていた柴田勝家・佐久間信盛は別としても、丹羽長秀・木下秀吉などより地位が高かったとみていい。
 当時織田家中で5本の指に入る人物であったことは疑いなく、簗田・塙は譜代家臣であることから考えても信長の信頼の厚さがうかがえる。 
 本当にお気に入りだったのにね。
 諸学に通じ和歌・茶の湯を好んでいた文化人であったこと、また内政手腕に優れ、領民を愛して善政を布いたといわれ、現在も光秀の遺徳を偲ぶ地域が数多くある。 

 光秀は信長を討った後、上洛すると京周辺の朝廷や町衆・寺社などの諸勢力に金銀を贈与した。また、洛中及び丹波の地の地子銭(宅地税)の永代免除という政策を敷いた。
 これに対し正親町天皇は、変のあとわずか7日間の間に3度も勅使を派遣している。
 ただし、正親町天皇も老獪であり、勅使として派遣したのは吉田兼和であった。この兼和は朝廷の官位を受けていたものの、神官であり、正式な朝臣ではなかった。
 このあたりに、光秀が朝廷からも冷ややかな目で見られつつあったことがうかがえる。 
 討つだけ討たせて、見捨てたのか(修正:毎日にえらそうにいえないですな。「討つだけ討たせて、お見捨てになったのね。」が正式です。つ〜か天皇陛下御自らとは、思ってないのだが。周りのお公家連中の仕業だと思っておりますゆえ)。って私は公家説を取っておりますゆえ(何の根拠もない(爆)。
 主君である織田信長を討った行為は、当時から謀反として非難の声が大きく、そのために江戸時代では逆賊として評された。
 その理由として、本能寺にあった信長軍が100名ほどであったのに対し、光秀は1万3000人の大軍で襲った上、ほとんど無防備だった本能寺を襲撃した「闇討ち」に等しい行為だったためであり、下克上の中でも最も卑劣な行為に属するためである。
 そんな秀才が何でここまで逆切れしたんだろう。
 はっきり言って「逆切れ」ですよね〜〜。
 また、変後に徳川家康に伊賀越えという危難を味あわせたこともあるとされる。
 家康をいじめたって事?
 この光秀の行為のために生き残った娘のガラシャは、「逆賊の娘」として苦難の日々を送ったようである。 
 キリシタンはね〜。
 『明智光秀公家譜覚書』によると、変後の時期に光秀は参内し従三位・中将と征夷大将軍の宣下をうけたとされる。
 つ〜〜かなんか似てない??
 義経と。
 信長は朝廷なんて恐れていなかったんでしょう、ああいう性質だから。
 義経は朝廷に対して尊王の念が有った。
 光秀も尊王の念が有った。
 だから、頼朝はうっとおしかったんだ、義経が。
 信長も光秀はうっとおしかったろうな。
 もし生きてこんな宣下を受けたことを知ったら。
 『老人雑話』は、以下の言葉を光秀の言葉として紹介している。
 曰く、『仏のうそは方便という。武士のうそは武略という。土民百姓はかわゆきことなり』。
 これは、農民を馬鹿にしているようにも、武士を罵っているようにも受け取れる言葉だが、いずれにせよこの言葉は光秀の合理主義の表れであるという意見がある。
 例えば高柳光寿は著書『明智光秀』の中で、合理主義者同士、光秀と信長は気が合っただろうと述べている。 
 尊王を除いて気があったんだよ、きっと。
 ルイス・フロイスの『日本史』に「裏切りや密会を好む」「刑を科するに残酷」「忍耐力に富む」「計略と策略の達人」「築城技術に長ける」「戦いに熟練の士を使いこなす」等の光秀評がある。
 鈴木眞哉・藤本正行は共著『信長は謀略で殺されたのか』の中で、フロイスの信長評が世間で広く信用されているのに対し、光秀評は無視されていると記し、光秀に対する評価を見直すべきではないかと問うている。
 義経ほど判官びいきもされていないみたいだしね〜〜。
 信長の魅力が圧倒的だったんだろうな〜〜。
 現代に至る亀岡、福知山の市街は光秀が築城を行ったことから始まる。
 光秀を偲んで亀岡では亀岡光秀まつりが行われている。福知山では「福知山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ」と光秀を思う福知山音頭が伝わっている。 
 福知山ね〜。

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