>浪速の渡りを経て、青雲の白肩の津に泊まる 初戦が「浪速の青雲の白肩の津(河内国の草香)」ですか? 「はるばる九州からやってきている」のに、いきなりえらく攻め込まれたものですね。っぶ。たしかに。 「河内国草香邑クサカムラ青雲白肩津に至る」と書記にあり。これは枚方なりと日本開闢カイビャク史で考證。
>登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ)軍をおこして待ち向かひて以って戦う 「戦う気満々」というのではなく「降りかかる火の粉を払う」という立場ですね。 もちろん船には武具も積んでいるでしょうし「一度ぐらいは衝突があるかもしれない」と覚悟していたでしょう。 (結果的にそれが「長く苦しい戦いになってしまった」のも、ある意味「パターンどおり」ですね)関東軍と同じじゃ。 大和の登美トミあたりに陣どっていた長髄彦ナガスネヒコが手下たちに命じたのです。
「教科書が教えない神武天皇」35頁 「天神アマツカミのみ子たちが大和にやってくるという。 これはきっと長髄彦の領地を奪おうとしてやってくるのだ。 そんなことをさせたたまるか。 大和に入るまえにやっつけるのだ。」 >「撃ちてし止まむ」とは、この場合「リベンジするまでやめないぞ」ということですね。古事記によると、この歌は大阪侵入前に歌ったことになっています。 「兄(叫んだ家来集にとっては大切な主君筋)を殺された」ことで、「そう叫んだ」のがどこかおかしいですか? (まして「はなからけんか腰で、戦さをしながらここまで来た」わけでもないのに。)賊たちの八十健ヤソタケルを討ったのです。 尾のついた毛皮をきた何十人もの賊たち八十健ヤソタケルが、天神アマツカミのみ子たちの一行をまちかまえて雄たけびをあげていました。
ヤマトタケルと違います。 「歌声が聞こえたら、いっせいに賊を討つのだ」
忍坂とは奈良県桜井市忍坂とのことです。ご馳走をたべ、酒に酔った賊たちがおどりだそうとしたときです。 「忍坂オサカの 大室オムロに 人多サワに 来入キイり居り、人多サワに 入り居りとも、みつみつし、久米の子が 頭椎クブツツい 石椎イシツツい以モち 撃ちてし止まむ。 みつみつし 久米の子らが 頭椎クブツツい 石椎イシツツいもち 今撃たば善らし」 みな、いっせいに刀を抜き、賊をうってしまいました。 そののち、いよいよ、あの五瀬命イツセノミコトに痛手をおわせた登美トミの長髄彦ナガスネヒコをうとうとされたとき歌われた歌があります。
「神風の 伊勢の海の 大石に 這ハひ纏マトほろふ 細螺シタダミの い這ハい纏マトほり、撃ちてし止まむ」
「伊勢の海の大きな石に這いまとわりついているキサゴのように、長髄彦にまとわりついて、うたねばおかぬ」
「教科書が教えない神武天皇」64頁 >従ってこれは、大阪侵入時において、「長男であり総大将でもある五瀬命を失うほどのボロ負け」に対するリベンジの決意表明ではないですか。 通常これを「劣勢」といいます。 「負けが確定」するのは、「神武らが討ち取られるか降参したとき」です。 (「リベンジの決意表明」をし「神武も生きている」なら、明らかにまだ「負けではない」ということですし、結果的に敗れたのは「ナガスネヒコ」です)結果を今だに受け入れられないらしい。 もう2008ですよ。平成20年。 ところが長髄彦ナガスネヒコが射た鋭い矢が、五瀬命のひじを刺し貫いてしまいました。毒矢です。
五瀬命はその傷の痛みに耐えながら言われました。 「われわれは日の神の子孫であるのに、お日さまのほうにむかって矢を射か け攻めたのがまちがいであった。 だから敵の矢にあたってしまったのだ。 これからは遠回りしても、お日さまを背にうけて戦おう」 南へまわり道をする途中で、五瀬様は傷の血を洗われました。
「教科書が教えない神武天皇」36頁 あたりの海は血で赤く染まりました。 このことから和泉灘イズミナダのことを血沼海チヌノウミというようになり、血沼チヌとは和泉国イズミノクニの古い呼び名でありました。 それにもし「神武が恨みを忘れようとした」としても、「兄を殺されて雪辱しない」ようでは畿内の手前も朝廷を立ち上げるなどおぼつきません。 結局、ナガスネヒコを直接殺害したのは畿内のニギハヤヒですが、神武が直接手を下してしまった場合、畿内勢力に恨みを残して敵をつくりかねませんから、これが最善の方法だったでしょう。(「天皇」という立場からしても「直接手を下す」ことはほぼ無かったでしょう)おじさんだったと思うがな〜。 >五瀬命は神武の兄貴ですから当然大将でしょう? 当時には「末子相伝」という考え方がありますから、長男が大将(継承者)とは限りませんし、少なくとも五瀬命の亡き後は神武が主体となって行動しています。(「五瀬命が大将として行動していた」という記述はありませんし、そもそも「東遷することを提案」したのも「神武」となっています) 伊波礼ヒ(田に比)古様はたいそうよろこばれ、天神のお告げのとおり、その土でたくさんの土器をつくりました。
丹生ニュウ川の川上で天神地神に心をこめてお供えを申されました。 「今、刃むかっておる者たちが、天照大神アマテラスオオミカミの思召オボシメしがわかり心よりしたがうようになり、世が平らに、みな仲よくなりますように。 それが成りましたときは、私は必ずや鋒ホコや刃ヤイバの力をかりないで、座ったままで民たちを慈しみ仁徳により政マツリゴトいたします」 神武天皇 詔
「教科書が教えない神武天皇」68頁 ---座イながら天下アメノシタを平ムけ給タマふの勅---。 吾アれ今当マサに八十ハソ平ヒラ瓮カを以モて、水無しにて飴タガネを造るべし。 飴タガネ成らば、則スナワち吾必ず鋒刃ツハモノの威イキホイを假カらずして、座イながら天下アメノシタを平ムけむ(日本書記三) タガネの字が違うようだがな〜〜〜。 |
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旧日本軍が中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、日本人は何も言えないような気がする。
2009/8/3(月) 午前 7:04 [ nanking_atrocities ]