>まるで邪馬台国ですね。「倭国乱れ、相攻伐すること暦年、すなわち共に一女子を立てて王と為す。」(魏志倭人伝) この時代の大王は、天子という尊厳はないわけですね。国連の事務総長みたいなものですかね。 まさにその通りで、そもそもは「ヒメヒコ制の祭祀王(巫女王)」であって、めったに人前に現れない「邪馬臺国の卑弥呼」が百余国の(うち三十国を代表するという)「連合国家である倭国」の「実権」を持っていたはずがありません。 それを「天帝に任命された」とする「チャイナの皇帝」などの「天子」と混同するのが間違いということです。自分で任命されたって言っちゃいけないんだよ〜〜解った〜〜?? 始皇帝。 わかったら、返事しなさい。 ほれ。 「弟王が卑弥呼を補佐」しており、これが「実質的な倭国連合の長」でしょう。弟の補佐って言うのは、あれだな。 月ツク読みの命ミコトもだな。 >ますます邪馬台国ですね。聖徳太子の時代もまだそんなことをやっていたのえすか?まだって。 いいじゃないか。 600年頃に初回遣隋使があったといい、「倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。いまだ明けざる時、出でて政(まつりごと)を聴く跏趺して座す。 日出ずればすなわち理務を停(とど)めて云う、我が弟に委(ゆだ)ぬと」 記録が残っています。 弟はキーワードかな。 >「義理なし」と嘲笑われたのもしょうがないです。 連合国家にとっての天皇や卑弥呼のような存在は、言わば「扇の要」あるいは「ヘリコプターの尾翼」のようなもので、「煽ぐ」のにも「推進する」のにも直接貢献しないので、一見「無くても構わない」ように見えますが、実際は「そう思う方が道理が分かっていない」ということです。そういうこと。 また「誰も見ていない」ようでも「自分とお天道様が見ている」と心にとどめる人々の社会では、「鍵をかけなく」とも「社会の安全」が保たれますが、「バレなければ捕まらなければ何をしてもいい」と考える人々の社会では、どれほど法を厳しくしても無法国家となっていきます。あ〜〜〜あ〜〜〜日本も支那みたいな二重ドアの生活になるんだね。 (阪神大震災でも「警察が機能しなく」とも暴動も強盗も起きず、無人の店にも金を置いて行きましたが、「法治国家」は「法が作る」のではなく「人の心が作る」のです)支那は今でも見せしめに「処刑」してますからね。 まだ江戸時代感覚?? いや責めませんよ。 間違った王を頂くとどうなるかの証左ですから。 日本も段々そうなりつつあるんじゃないのか?? 一見非科学的なように見えて、これが「実に理にかなっている」ことが分かります。 (もちろんそれは大脳生理学、精神分析学、認知学的に見てもなんら矛盾しません) むしろ「皇帝の権力強化」や「法で縛って」達成しようとする方が、実は「義理なし」で、「嘲笑」も「本人の浅はかさを公言している」のと同義です。自分に自分が皇帝だって言っちゃいけないんだよね〜。 (「あなた」も「理解できない」ようですが)ナンじゃ出来てないのか。 それにしても、むしろ今の日本ほど「祭祀王が必要な時代も無い」と思います。御意。 (「奇跡」など必要ありません。「日本国民の総意としての象徴」が「祈り続けている」ことを「国民が自覚すること」が重要です)春日大社の祭祀拝見してしまいました。 神社の機能とは本来、「祈り」なんだよね。 ぞろぞろ並んでお正月に賽銭投げに行く所だけではないのです。 >崇神天皇のころには、中華帝国さながらの強力な帝権が成立していたことになります。 それは確かに「三皇五帝」代や「夏殷周(初期)」代の「封建国家」には「近い」といえますが「秦王朝以降」とは方向性が異なります。 >どこか天武帝のイメージが付加されたとしてもおかしくはない 付加はされていると思いますし、天武天皇の「劉邦や四神、伏義・女禍・神農といった三皇」への方向性は私も納得できます。 しかし、天皇の歴史を俯瞰して「現在に至るまで続く天皇を作りだした」ものは、この「天武代の一時的な偏向の影響はかなり限定的」で、伊勢神宮や出雲、筑紫等にも見られる「それ以前から脈々と流れる文化の本流」によるものだと思います。 天武天皇は確か、伊勢神宮に力を貸してほしいと頼まれたんですよね。 |
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