>>私が「本来の五十鈴川」と考えているのは「宮崎県の日向灘に注ぐ五十鈴川」です >横ですが。私も同感。同調者が〜〜。やはり宮崎でしょうね。 >>(九州でニニギノミコトと出会ったサルタヒコが帰った「伊勢国の五十鈴川」も、およそ「本州の伊勢」とは考えられません) >これにも同感。天孫降臨は北部九州から宮崎に進出した事の反映。猿田彦も宮崎の五十鈴川の者でしょう。手塚も猿田彦は九州の人間で書いてなかったっけ。 いや〜猿田博士は別だよね。 土地柄を丹念に調べ、記紀の記述を(「本州の伊勢に決まっている」という)固定観念なく読めば自然にたどり着く帰結ですよね。宮崎は重要地だ。 「ニニギ代の記述はずっと九州内部」なのに、サルタヒコが何の説明も無くいきなり「本州の伊勢」まで帰ったと考える方がどうかしていると思います。(その後も九州(と出雲)の話が続いていますし)そら飛びすぎですね。 >ところで阿邪訶(あざか)で比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死んだことになっているが、このアザカって何処なんですかね。いろいろ探してはいるが九州では今の所、見つからない。何のことだっけ?? 本当小学校で覚えないとこんなものすぐ出てきませんのよ。なさけないったら。 いい加減復活させたらどうなの。 日本神話のお勉強。 邇芸尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
ニニギノミコトを先導する神ね。お鼻の大きい。その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。 そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。 その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのであった。 猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村(現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。
猿田彦の最期の場所か。この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神様が生まれた。 やっぱ九州でしょうね。 『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。
猿田彦の時代から伊勢神宮はあるんだよ。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。 山ゆかば知ってんだろうね〜この辺の事はもちろん。 伊勢ヶ浜沖の日向灘だとは思います。 (私も探しましたが分かりません) 比良夫貝はシャコ貝と考えられており、沖縄などのサンゴ礁に今も生息して いますが、2千年近く前には日向灘にもあったのではないかと思います。 ちなみにサンゴ礁は今でも日向灘(日南海岸あたりまで)にかろうじて残っています。http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=10193&catid=342&blogid=16 これもう死んでます〜。残念。 しかし貝に手を挟まれて亡くなるなんて…何の象徴だろう。 宮崎は神話が多くていろいろ読んだんだがな〜。
この辺りは「古くからの縁日の三大お面スター」である「ひょっとこ」「おかめ」「きつね」がでてくる歌舞伎が残っている土地で、「縁日のお面を通じて何かを後世に伝えようとしているのだろうか」と気になっていました。 (特に「ひょっとこ踊り」が有名です)http://www.city.hyuga.miyazaki.jp/sightseeing/history_hyotoko.html ひょっとして「おかめ」「ひょっとこ」とは芸能の神である「アメノウズメ」と、「サルタヒコ」となのか?「オカメ」って言うのは結構金運が良い顔相なのだとか。 ああいうべちゃっと丸顔の女将の方が、お金周りがいいんですよ。 ひょっとこは何を象徴するんでしょうね〜。 ひょっとこは「片手を挟まれ満ち潮に溺れつつある姿」なのかなどと想像したりもしましたが、どうやら今のところ別物のようです。そのまんま東に似てない事も無い。 宮崎災難でしたよね。 去年は神戸がえらい目にあったけど、毎年どこかに災難が舞い降りる。 |
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