>大陸文化を受容する基礎となったのは、応神天皇のころから始まった渡来人ですが。 応神天皇のころにやってきた「秦氏」は「秦王朝の末裔」とされていますし、「西漢氏」や「東漢氏」は「前漢、後漢王朝の末裔」とされており、 確かに優れた知識技術や政治的実務能力を発揮してて朝廷を助けました。 これはいずれも王朝が滅亡してシナ地域に留まっては殺されるので半島に逃げていたものですが、すぐ殺されるからね〜〜あっちは。 日本と接触した結果「半島にはこれ以上居たくない」と「日本の天皇に庇護」を求め、日本にやってきて「氏姓をもらって帰化した新日本人たち」です。北の官僚も亡命してくるのかな。 今に始まったことじゃないが。 東大寺(の大仏)に関しても、国中連君麻呂ら「百済系新日本人」によるところが大きいといえます。http://www.zengaikyo.org/rekisi/a-1-05.htm 問題は、例えば百済が滅亡して日本に帰化した「新日本人」が、自分の知識技術で「日本において日本の素材を用いて新造したもの」が、「日本文化」なのか「百済文化」なのかと言えば、滅亡した百済から移設したわけでもなく「明らかに日本文化」だということです。民主党が、日本の国宝を半島に返しているようだが、やめた方がいいよ。 その浅はかな知識が国宝を滅ぼす。 半島に行ってしまったら、後世に残るものも残らないんだ。 同様に、「滅亡した漢の王侯貴族や官僚の子孫」が「新日本人」として日本で教えた「漢字」や「建造物」も明らかに日本文化です。何か文句ある?? 日本は奪い取ったりパクったりしなくても、滅びた大陸文化の末裔たちが向こうから日本人ならせてくれとやってきて融合することで「文化が生きた維持される」ようになっています。(大陸に残された「遺跡」は「死んだ文化」です)偽物ですしね。 これは広い意味で「天皇の徳」の為せる業だとということができます。陛下のそばに居ると、心が清められるそうな。 高々200年のアメリカ人が、簡単に滅ぼしていいものではないんだよ。 やんきーどぅーどぅるどぅ〜〜。 |
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後百済(900年 - 936年)は、後三国時代、新羅によって滅ぼされた百済の復興を唱えて建国した国。
甄萱は、尚州の農民出身で、892年、農民一揆に乗じて挙兵し当初、900年、王となり、国号を百済と定めた。
920年、甄萱は、新羅西部の大耶城を攻略し、更に高麗南端の進礼城に進軍し、高麗との戦端を開いた。
922年、後百済は、日本に参戦を要請したが拒絶された。後唐にも朝貢したが、名ばかりの官職しか得られず、実質的な援助はなかった。
926年10月、後百済は、金城を占領し、新羅の景哀王を自殺させた。後の高麗王王建は、新羅の救援に赴いたが大敗した。
同年12月、甄萱は休戦を申し入れ、927年3月、王建はこれを受諾したが、同年5月には再び戦闘が再開された。
929年、後百済は、慶尚北道で快進撃を収め、再び日本に援助を要請したが、再び拒絶された。
後百済は936年に朝鮮半島及び日本から滅亡した。
その後、日本において百済人が役職を与えられることは無かった。
2012/7/6(金) 午後 9:59 [ 丸子実業高いじめ殺人判決は大誤審 ]