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「へうげもの」にだだはまり、映画の向うを見て、日ごろの時事にもろもろ感想を言う生活

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 掲示板に加筆。
 ここここ…こんなの信じられない。
 本とひどい国だよね〜。
 

***
 さらに『督戦(隊)戦術』について述べてみよう。
 
 この戦術は、国民党の軍事学校であった一九二四(大正十三)年に設立された黄捕(コウホ・ホは正しくは土ヘンです)軍官学校創設時に、

コミンテルン(世界共産党秘密組織)のソ連軍軍事顧問によって教育を受けた影響が大と考えられる戦術である。
***

 ソ連がツァーリ(皇帝)一家を滅ぼしたのが1917。
 はっきり言って国民党の軍事学校にすでにコミンテルンが入り込んでいるって言うんだから本当、中国は国民党も共産党もこてこてのコミンテルン漬けって事だよな〜〜。
 
***
 これは、中国軍兵士が退却しようとすると、後方から退却する兵士を撃ち殺す部隊がおり、
***

 この時点でついていけません。
 共産党って本当に目的のためなら手段を選ばない。
 
 目的のための殺人は容認するんだよね。
 

***
兵士たちを戦場から逃亡させないようにするという冷酷なやり方で、後方から監視する部隊を”督戦(隊)”と呼ぶ。
***

 戦闘はしなきゃいけないは後ろからは撃ち殺されるはって。
 
*** 
 平成十三年(2001)年の夏、第二次大戦下の独ソ戦を描いた映画『スターリングラード』が公開されたが、冒頭で主人公がドイツ人に突撃するシーンで、ソ連の督戦隊が登場する。
***

 あ~あの悲惨な映画ね。
 ちゃんと見てなかったな。確認のためテレビでした時に見よう。

 
***
 南京では十二月十三日、日本軍に城壁を突破されて逃亡を図り、かなりの数に上る中国軍兵士が南京城北にあった督戦隊によって射殺されているが、
***

 って結局この死体も日本人が処理していたってことになるんじゃないの?
 
***
新河鎮での戦闘においても、数千人が射殺されている様子を、第四十五連隊(鹿児島)の高橋中尉が目撃している。
***

 唖然としただろうね〜。

***
 このように中国軍では、例え味方を射殺しても命令を徹底させるために、冷酷な戦術を用いた。
***
 
 
 コミンテルンに教えられたというよりも、ほぼ自然発生的でしょう。
 んだんだ。

***
 無論このような戦術は日本軍には全くなく、当時の中国軍の特徴であり、あまりにも非常なものであった。
***
  「プロパガンダ戦 南京事件」より

 
 もう誰もついていけませんよ。
  
 彼らの死に対してチュウキョウは博物館創らないのでしょうかね。
 
 この事実は無視っすか?
 チュウキョウさんよ。

*** 
 一九三八年一月四日付『ニューヨークタイムズ』や一月十日号『ライフ』には、中国軍将兵が、占領後に南京城内で一般民人の服装(更衣)に着替えてゲリラ戦をつづけていた様子や、日本軍による暴行に見せかけ、一般市民を殺害していた記事が掲載されている。
 
 これがいわゆる『更衣(遊撃)戦術』であり、現代風にいえば、ゲリラ戦術である。
 
 このゲリラ戦術は明らかに国際法違反であり、戦時に置いては即処刑というのが当然の処置であった。
***

 はっきリ言って虐殺と言うのなら服剥ぎ取って、市民殺しているほうがよっぽど虐殺だよね。

***
 当時日本兵よりむしろ中国兵のほうが残忍きわまりない様子でり、

『兵隊といえば盗賊と同じようなもので、中国にはことわざにも

「好男子は兵にならない、よい鉄は釘にしない。」

「秀才が兵にあえば、いくら理があっても話にならない。」

などといわれるくらいである。

 兵士にとって唯一の稼ぎのチャンスが略奪である。

 豊かな城を攻め落としたら、部下に最低一週間は略奪、婦女暴行をさせてやらないと、司令官は名将になれない。
 
 すぐ部下に殺されるか、見捨てられてしまう。
 
 これが中国の戦争文化なのである。』
 (黄文雄「捏造された日本史」日本文芸社)
***
 「プロパガンダ 南京事件」より
 
 読んでて吐きそう。

 とにかくこのコミンテルンに訓練された国民党戦術、

 『清野空室(焦土)作戦』
 『更衣(遊撃)作戦』
 『督戦(隊)作戦』
 
 これをやりすぎて国民党は国民に嫌われちゃって、チュウキョウに負けて台湾に逃れる。
 
 
 「プロパガンダ 南京事件」要約。
 
 
 それなのに、日本軍はちゃんと峻別までしてんだよね。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page034.html

***
 便衣兵の摘出については、写真が残っていますのでちょっと見てみましょう。

 『南京事件』P107 笠原十九司著 岩波新書より


 上の写真は5000−6000人ということですから、規模的に見て12月16日に歩兵第七連隊が行った便衣兵(私服で偽装潜伏中の中国兵)摘出の光景と考えられます。

 安全区で外見的特長から摘発された容疑者は、安全区の外側に集められ憲兵による取調べを受けています。
 毎日新聞のキャプションでもこの集団は「正規兵」となっていますから、摘出されたほとんどの者が客観的に兵士に見えたということでしょう。
 
 写真手前側の男が上着の胸をはだけて取調べを受けているのが分かります。

 軍隊から支給された下着かどうかのチェックだと思われます。
***
 
  
 こんなの一一やらないよ、アメリカ人なら。


***  
 兵士の多くは坊主頭だったそうです。

 実際にこの写真で判別できる範囲の人間も、ほとんどが坊主頭であることが確認できます。

 これにヘルメット焼けや、銃ダコの有無、その他の身体的特徴が重なった場合は「兵士」と考えたようです。
 
 南京に避難した住民の多くは貧困層で、首都防衛にあたって大規模な徴兵が行われた事などを考えると、上記写真に写っている男性が「一般市民」である確立はかなり低いと考えてよいでしょう。
 
 (南京市民で徴兵された者も、徴兵された以上は兵士であり、安全区に家族がいて無実を訴えたとしても市民としては扱われない) 

 実際に現場にいた毎日新聞の記者も「多数の一般市民」とは記しておらず、逃亡を企てた正規兵とキャプションをつけています。

 ということは客観的にみて便衣兵の摘出は概ね妥当に行われたと考えてよいでしょう。

 誤認逮捕がまったくないという証明はできませんが、一般市民が多数混ざっていたという根拠はありません。
***

 絶対やらないねアメリカ人なら。
 
 やればやるほど、中国の残忍さが出るだけだよ。
 
 掘っても掘っても「残忍」「残忍」「残忍」これしかありません。

 
 





 

閉じる コメント(5)

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南京虐殺に関して提出された証拠写真は、当時の人達がしっかりと否定して決着が付いたと聞いています。その人達が少なくなってから、同じ物を提出する人には困ったものです。知らない人には否定するのに大変な労力が必要になるからです。つい最近「川口浩の探検隊」がDVDで発売され、息子が凄いと感動していました。放映当時、ヤラセが発覚し放送中止になった内容です。私が説明できたからいいですが、知る人がいなくなったら・・・。考えただけでも恐ろしい。

2006/6/9(金) 午前 7:08 w19*9t*ka

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>息子が凄いと感動していました。*ある意味免疫がないということですね。本当に恐ろしい。日本の戦前の知識も分断されてます。文語体がもっとすらすら読めたらと心底思います。

2006/6/10(土) 午前 0:14 [ mir*k*nino*i ]

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朝日が載せた写真は否定できましたが、日記を当の朝日が自分で抱え込んで開示しませんでした。裁判を長引かせ、老兵の精神をずたずたにしたのです(詳しくは私の南京虐殺はでっちあげ…其の一から参照願います)。その日記の信憑性はもはやゼロ。其の老兵達も亡くなられたでしょう。彼らの無念を引き継ぐのは個人的ブログしかないと思っています。

2006/6/10(土) 午前 0:15 [ mir*k*nino*i ]

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上海事変で勝利した日本軍は、敗走する国民党政府軍を追撃し、国民党政府の首都であった南京を攻略し、1937年十二月十三日に南京占領。このとき敗残兵が住民に対して略奪、虐殺を行なった。

それらの敗残兵が民間人の衣服を奪って便衣兵(ゲリラ)となったことから、日本軍は便衣兵の掃討作戦を行った。

便衣兵(ゲリラ)の殺害は国際法上認められているものであり、一般住民を虐殺したのはこの敗残兵達(督戦隊が撃ち殺したのは、逃亡中国兵であった。)であった。しかし、こうした事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。

そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。

『本当の日本の歴史 理論近現代史学』より引用

2017/2/26(日) 午前 9:42 [ 日中国交正常化45年南京80年に学ぶ ]

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南京戦でも城門へ逃げ込もうとしたりする兵は督戦隊に撃ち殺されました。
陥落時には下関に近い門に城内から兵士が逃げようと殺到し、督戦隊に撃たれまくりました。ニューヨークタイムズのダーディン記者は「死体の高さは6フィートの小山を築いた」と書いています。(彼は日本軍の仕業と書いたが実はシナの督戦隊のしわざで後にそう書いている) 6フィートといえば、えーと、約2メートルです。死体の上を乗り越えようとして督戦隊に撃たれて、死体となって積もって、更に乗り越えようとするものが来て撃たれて・・・という感じでしょうか。督戦隊に阻まれて逃げられないので、ロープを使って城壁をよじ登ったり、便衣になって隠れたりしたのでした。

参考文献
「GHQ焚書図書開封3」西尾幹二著
「『南京事件』国民党極秘文書から読み解く」東中野修道著

2018/3/25(日) 午前 9:37 [ 平和防災愛国 ]


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