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「へうげもの」にだだはまり、映画の向うを見て、日ごろの時事にもろもろ感想を言う生活

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http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090301000703.html
(「あ」を抜いてください)

 次期首相に麻生氏1位35% 全国電話世論調査(共同通信)

 『福田康夫首相の退陣表明を受け、共同通信社は全国緊急電話世論調査を2日夕から3日にかけて実施した。
 自民党総裁選を経て選出見通しの次の首相に「誰がふさわしいか」と聞いたところ、自民党の麻生太郎幹事長が35・3%でトップ。次期衆院選比例代表で投票するつもりの政党については、自民党38・4%、民主党34・9%でわずかに自民党が上回った。
 おお〜勝っている。
 支持する政権の枠組みは「自民党中心」が43・3%で、8月の前回調査より8・5ポイント上昇。
 これに対し「民主党中心」は41・7%で6・5ポイント減少した。
 だから安倍ちゃん支持率は70%だったんだぞ。
 お灸なんだと思うが。
 内閣支持率が低迷した福田首相が退き、
 何で交代したのかね〜。あの時。
 やっぱサミットやりたいだけだったのかな。
 そんなの許されるのか。
 奥さんのホストはよかったと思いますがね。
 
 さすがどうにいっておられて。
 戦前生れでおられる。
 
 小沢に、一緒にやりましょうって言われて、わずか20分で、その案が民主に潰されたってことはだよ。
 
 安倍ちゃんはずしに一役かまされたってことですからね〜。

 やっぱ伊藤君が言うように、福田は腹黒くなかったんでしょうね〜。
 
 腹黒い小沢に自民党は篭絡されまくりだよ。
 自民党総裁選で新たなリーダーが選出されることへの期待感が背景にあるとみられる。

 次期首相にふさわしい人は、自民党議員10人の名を挙げて質問。
 2位以下は小泉純一郎元首相15・0%、小池百合子元防衛相9・2%、舛添要一厚生労働相8・5%、石原伸晃元政調会長7・1%の順だった。』
 小池さんまではいいとして、後はね〜〜〜。

共同通信にしては珍しい結果ですね。  
 確かに、このアンケートすること事態がね。
 
  
  
>プサンは北東アジアでのハブ港としての国際競争において福岡、門司に楽勝しコスト、スケール面で圧倒的な優位にたっているぞ

 要するに、「プサン」が潰れれば「福岡、門司が潤う」ということですね。
 これ笑い事じゃないですよね。
 
 北が南に侵攻する事があるかもしれませんからね〜。

 
 
 
 小沢氏「無投票3選」が決まると同時に辞任するとは、福田前総理やりますね。
 なるほど、嫌味だったのか〜。
 ニュースぶっ飛びましたもんね。

 織田裕二見ていたら、福田さんを見るハメになった。
 前代未聞じゃ。月9を差し替えるなんて。
 
 最後にスかしっ屁したって事でしょうか。
 
 相当小沢に頭きていたみたいですね、福田さん。
 
 民主党は本当に政権交代しか考えてないんだろうな。
 
 あれ(前の選挙)が民意だと思われても困るんだけど。
 
 ほとんどが、「お灸」だと思っていたとしたら?
 
 靖国に参らないってことが、ズルズル支那にひきづられる前兆だと感じとった国民は多いのだよ。

 これで麻生さんが出てきますね。
 対抗馬が古賀、山崎、加藤の新YKKだとうれしいのですが。
 さすがにこの老体は出てこなかったですね。
 
 しかし山崎派から石原が出るとは。
 石原って山崎派なのかよ〜〜〜〜。
 東京は石原の私都になるぞ。
 早く遷都しなさい。
 とりあえず私はまた応援に行きます。
 ご苦労様です。
 
 どこに行ったら麻生さんに会えるんでしょうかね。
 
 しかし麻生さんも宏チ会出なので、それほど「右」ということでは無いのです。
 
 安倍ちゃんが行き過ぎなら、麻生さんでちょうどなのかも。
 
 しかし、こうなってくると民主と役者はそうかわらないんですよね〜〜〜。
 
 微妙やな〜。
 
 別に悪口言っていたけど、しばらくは福田でよかったのに。
 
 誰がやっても今は支持率低いでしょう。
 
 
 >その施政下において、主要・重要とされることを書き記したものが史書というものではありませんか。

 では「日出ずる処の天子・・」に匹敵するどのような外交上の「名文句」なら表していますか?
 これまえ書きましたね〜。
 公的文書と私的文書だよ。
>67年に漢の光武帝から授与された「漢委奴国王印」
 でた〜〜〜。
 倭国は「大陸の王朝と手当たり次第に結んでいた」わけではなく「倭国の祖族とつながりの深い王朝」とのみとつながっています。

 漢が「金の蛇紐印」を与えたのは「倭国」と「てん国」だけで、あとは「駱駝の銅印」等です。

 (「蛇」は旧来からの「北九州王権のトーテム」であり、後漢王家(劉家)はそれを理解していますし、「劉家の祖族」自体がそれと関係あります)

 (秦王朝は「倭国に徐福を送る」という極めて積極的なアプローチをしましたが倭国からは「無しのつぶて」でした。)
 徐福は逃げてきたんじゃないのでしょうかね。
 焚書坑儒が凄いから。
>さらには卑弥呼の折の「親魏倭王印」。

 もともと倭国を探していたのは「呉」であり、倭国を経由し倭の船団とともに魏の背後を討つつもりでした。
 しかし、倭国は呉と結ばず、「魏(晋)」と結びました。
 
 魏(晋)は「春秋戦国時代の晋」の末裔の可能性が高く、倭国にとっても関係の深い王朝です。

 また魏の祖先墓から見つかった「倭人字碑」に刻まれた「有倭人以時盟不(倭人あり、時をもって盟せずや)」からも「魏の曹家が倭人との関係を重要視していた」ことが分かります。
 http://books.google.co.jp/books?id=fSK-5YDfijgC&pg=PT558&lpg=PT558&dq=%E6%9C%89%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BB%A5%E6%99%82%E7%9B%9F%E4%B8%8D&source=web&ots=x2zeImsJrF&sig=6eByVuFLRGPCGXzXrtJZ4MOBjBI&hl=ja&sa=X&oi=book_result&resnum=8&ct=result
 …倭人は高度な文化をほこり、優れた航海術を駆使する部族で、魏の曹操の祖先が一度は同盟をかんがえた相手だ。
 でた〜〜〜三国志。
 さらに「唐」こそは「陶唐氏帝堯」こと「伊祁(いき)」の国だったわけで、しかも「老子の教えを実現しようとする理想」を持っていた国であって、「伊都国」をはじめとする倭国にとって「最も縁の濃い、シンパシーを感じる王朝」です。
 老子はn_o_i_s_e_m_a_n 氏も高く評価してますね〜。
 孔子は復讐も容認するし、シシビシオは喰うし、なんだかな〜。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%AF
 堯(尭; ぎょう)は中国神話に登場する君主。
 姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。
 陶、ついで唐に封建されたので陶唐氏ともいう。
 儒家により神聖視され聖人と崇められた。
 そんなに名君だったのか。
 『史記』「五帝本紀」によれば、嚳(こく)の次子として生まれ、嚳の後を継いだ兄から禅譲を受けて帝となった。
 羲仲、羲叔、和仲らに命じ、天文を観察して暦を作らせたという。
 暦がいるって言うことは、それだけ自然がきびしいってことさ。
 日本は自然が穏やかだったので、暦なんていらなかったんだ〜。
 (隋には「高句麗の使者に連れられて行った」もので倭国との縁は分かりませんが、倭国は常に「隋と対等な立場」に立とうとしていました。)
 え?「連れられて」行ったのですか。
 隋の煬帝は、はなから相手にされてなかったんだな〜。
 大和から。
 だから日本書記にも載せてないんでしょう?わかった〜〜〜。
>「使持節・都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王」などの官職名を倭国王は中国に対して一生懸命にオネダリしているではありませんか。

 宋が倭国に「この肩書きを与えてつかわす」と上からものを言ってきたのではありません。
 あかん日本史もっかイやり直した方がいい。
 すべての人が日本は「朝貢」する、が基礎になってますからね。
 発想転換しないと。
 倭国が「これほどの凄い肩書き」を「当然与えられる」と思って「宋に要求できる国」だったということが分かります。
 そして、宋王は「百済」だけは外して、後は倭国の要求を全て飲みました。
 遣日使がよく来ていたんですよ。支那が上だっって誰が決めたんじゃ〜〜〜。
 この中華至上主義洗脳どうにかしてくれ。
 私の脳から追い出してやる〜〜〜〜。ぽい。
>そして中国側は首尾一貫、任命する立場をとっているでしょう?この関係。
   誰を任命するって?
 煬帝にだって別に挨拶もする気は無かったってことでしょうに。
 だから日本書記にも載ってないんだよ。
 日本にとって隋は無く、「大唐」だったんだよ。
 むしろ倭国に対しては「他の周辺国とは別格の配慮」が随所に現れています。
 (それにこれは「倭国」のことですよ?私は「倭国=日本国」だから構いませんが、あなたが倭国をそんな風に言っていいんですか?)
 ぽんぽん人が支那人ならそう(倭国を貶める)ですね。
 
 日本の学者なら、いつもどおり、へりくだっているだけでしょう。
 
 
 >「唐書高宗紀 上元三年八月壬辰、皇帝天皇と称し、皇后天后と称す」
http://mdenka.blog85.fc2.com/blog-entry-1187.html
 この記事が面白いですね。
  
 「要するに、これは完全に当時武后と呼ばれていた後の女帝則天が「天后」という名の下に天子の座に並び立つための方便だった訳ですな。
 則天武后か〜〜〜。推古天皇に嫉妬していたんじゃ無いの?
 これによって、高宗の晩年において、世は高宗と武后のことを「二聖」と呼んでいたと。
 これによって「天皇」という名称がその次の代にはなくなる理由も明白であって、要するに高宗の次の代の后には武后が得ていた特権などが与えられるべきでもなかった訳であって、「天后」がいないならば必然的にそのセットであるところの「天皇」もいなくなって、
 セット?
「皇帝」の称号に戻された、と。
 ずこ。
 そして、後に武后自らが帝位を簒奪するにあたっては、彼女は「唯一の天子」として、皇帝を名乗った訳である。」
 は〜〜〜〜〜〜〜〜? 
 遊んでんのか。
 推古天皇のつめの垢でも煎じろ。
 自分が「天后」を名乗るために「夫に天皇を名乗らせた」とは。
   まさに失道シツドウの王ですね。
 おみゃ〜〜〜は推古天皇にはなれないんだよ。
 
 麒麟は死んだろうな。可愛そうに。
>この中の「帝」だけがポイントであって「皇」ではないのです。

 「中華の皇帝については漢〜隋までが「○帝」であり、唐〜元までが「○宗(祖)」であり、明以降が「○宗(祖)△△帝」である。

 隋と唐で「○帝」=諡号と「○宗(祖)」=廟号とで断絶している。
 
 後の史家は唐の皇帝の年代記を正史に残す際に「(高祖)武帝→文帝→……」というタイトルで本紀を綴ったであろう。
 
 ところが、ここで「諡号をリネームする」という大技をこのネーミングオタクとして定評のある女傑が使ってしまったことにより、若干それが混乱を招くことになった。」
 女傑って則天武后かいな。
 本間にええ加減にセイよ。
 つまり、「後の史家」が「滅亡した王朝の各代の諡号」に「帝」を送りますが、唐の「武則天」の時代では「宗」です。
 
 それに「称謂録」は「正式名称」の辞書ではなく、「通称・俗語」の辞書ですよね。
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/854628/s/~6b19cf0ce
 「武則天は改名を非常に好む人物であった。
 660年には皇帝と皇后をそれぞれ天皇と天后と改名している。
 本間に遊んでんとちゃうで〜〜〜〜。
 おめ〜のお遊びで天皇を作り出していたと有っちゃ。
 皇后として国政に容喙している実態を、皇后と皇帝を比肩するかのような名称に改めることによって追認させようとする狙いがあったとされる。
 他にも洛陽を神都と改めている。」
 やりたい放題だがな。
 こんなもん相手にせず、大唐を話し相手に選んだんだろな、日本は。
 
 宋美齢がうかんでくるは。
 蒋介石政府相手にせず。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%89%87%E5%A4%A9
 武則天(ぶそくてん、623年?-神龍元年11月26日(705年12月16日) 在位690年-神龍元年1月24日(705年2月22日))は中国武周朝の創始者。
 唐の高宗の皇后。
 姓は武。
 諱は照または曌(照に代わる則天文字。後述)。
 謚は則天大聖皇后。
 中国史上唯一の女帝となり武周を立てた。
 絶対、推古天皇に張り合っている。
 ヴぁかが〜〜〜。
 日本では則天武后の名前で呼ばれる事が多いが、この名前は、武則天が皇帝として即位した事実より、遺言により皇后の礼で埋葬された事実を重視した呼称である。
 最近の中国では即位した事実を重視して武則天と一般的に称されるようになってきている。
 やはり支那は死んでも後に罰されるのだな。引き摺り下ろされる。
 漢代の呂后、清代の西太后とともに「中国三大悪女」と称されている。
 ぶっほ〜〜〜〜〜〜。
 自分が天皇になりたいから旦那に天皇号を送るなどと。
 やはり、(天皇大帝ではなく)「天皇」と「天后」はネーミングマニアの武則天がつけたようです。
   あほや〜〜〜〜〜〜。
>「天皇大帝」にしても「皇帝天皇」にしてもチャンと「帝」がついているではないですか。

 「天皇大帝」も「皇帝天皇」も「道教の呼び名」であって、高宗が「天皇大帝」あるいは「皇帝天皇」と呼ばれたわけではありません。
 則天武后は道教の一介の士だったんだろう。
 占い師がウハウハ言って、好き勝手に名前つけているにすぎんは。
 太宗の崩御にともない出家することとなったが、額に焼印を付け仏尼になることを避け、女性の道士(坤道)となり道教寺院(道観)で修行することとなった。
 ちがいました、「なんちゃって道士」でした。
>このように「天皇」あるいは「天王」のインフレ時代がすでに到来していたということです

 それをいうなら「皇帝」を名乗る数の方が多いですよね。(三国時代など皇帝が3人ですし。)
 みながわれに天命が下ったと勘違いしてんだろうが。
 それが「革命だ」などと片腹痛いは。
 つい最近までやってましたからね〜。大陸は。
>淵源の古い「天皇」という称号を4世紀や6世紀になって日本の古代王朝が模倣して用い始めても何の不思議もありません。

 日本(倭国)で「天を祀ってきた」のは、遅くとも「伊勢神宮以前から」ですし、「皇帝」号を発明したのは秦の始皇帝であって、「皇帝を名乗る」こともできたはずですがそうはしませんでした。
 嘘の位なんて名乗る必要が無い。
 始皇帝もネーミングウマニアだったんだろうな。
 センスないが。
 始めての皇帝は俺様だ〜〜〜〜〜。
 はいはいはい。
 いってろよ。
 
 「天」の文化を継承している日本にとっては、「皇帝」ではなく「天の皇」でなければならなかったということです。

 (「伊勢神宮」の「いにしえの文化」をいまだに守り通すことから見ても、それは「模倣」ではなく「正統の伝承」でしょう。
 また模倣は「外側(表面)」に「文化のピーク」ができますが、伊勢神宮では「内側」に「文化のピーク」があります)
 そもそも知らないことは真似できない〜〜〜〜〜〜。「我流」じゃ。
 秦のえい政が「三皇五帝」から思いついたのが「皇帝」であり、三皇とは天皇・地皇・人皇のことです。
 始皇帝は「採用」したのか。
 ごめんね、ネーミングセンス疑って。
 でも始めての皇帝って思ったからなんでしょ。
 
>一方、多利思北孤の国書では、「隋帝が天子(皇帝)を名乗るなら、イ妥国の王者が同等の天子(皇帝)を名乗ってもいいではないか」という気概がうかがえる。
 あのね〜、皇帝なんていくらでも名乗ればいいんだよ。

 日本は歴然と天皇と名乗りますと知らしめているだけだが?
 
 「東の天皇、敬(つつし)みて西の皇帝にもうす」「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」も「同じ発想」ですね。
 いかにも公式文書、と本音文書って感じですね。
 それに「それを隋帝に出したのが多利思北孤(の使い)」ですよね?(多利思北孤の国書の内容は?)
 ないない。
 
 小野妹子さんの思いつきだから。
 
 うまい!!
 
 いい人思いつきましたね〜。
 
 
 
 

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