反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。これは左翼が、勝手に方向転換させたような気がするが。 これに対して岸信介は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内の「アイク歓迎実行委員会」委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暗黒街の親分衆の会合に派遣。はは〜〜〜〜〜。児玉さんか。 松葉会会長・藤田卯一郎、錦政会会長稲川角二、住吉会会長磧上義光、「新宿マーケット」のリーダーで関東尾津組組長・尾津喜之助ら全員がデモ隊を抑えるために手を貸すことに合意した。山口組が入ってない?? 関東系ばっかなの? しかしすごいな。 この時三島が闘争していたら、「治安出動」できたのにね。 自衛隊の。 やっちゃんのお力を借りたとはな〜〜。 確かに、「ソ連バックのブ左翼」相手じゃ仕方ないかもね〜〜〜〜。 左翼だってやくざと一緒だもの。 同じくらいのものを用意しないとな。 さらに、三つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。 一つは岸自身が1958年に組織した木村篤太郎率いる新日本協議会、右翼とヤクザで構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会である。右翼とヤクザって言いますけど、特攻崩れの人とか、本気で日本のために命かけた人たちも入っていたからね。 左翼とヤクザが同義語なんだよ。 ヤクザの恫喝は、許せなくて、左翼の「粛清っていう殺人」は容認できるんだからね、知識人はこれだから困るよ。 当時の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」には「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。すごいだろ、これって。 映画になるよな〜〜〜〜。 誰も作らないだろうが。 映画っていうのは「左翼が作る」と相場が決まってんじゃないのかな。 完璧なる「左翼の敗北」を映画にできるわけがない。 東条がおそれた「日本の赤化」を岸が阻止したんだ。 完璧だ。 安倍ちゃんが左翼に嫌われるわけだよ。 最終計画によると1万8000人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。 岸は創価学会にも協力を依頼したが、これは断られたという[2]。断ったぁ〜〜〜〜?? ふんだ。 学会は本当に使えないね〜〜〜。 ていうか、これで本当に「日本のことなんか考えてない」こと暴露してるじゃんか。 彼らは政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれている。 岸は、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。 私には『声なき声』(サイレント・マジョリティの意)が聞こえる」と語った。いつの世も、「うるさいのは左翼」だからね〜〜。 まともな保守は皆黙っているのだよ。 サイレント・マジョリティーだ。 最近久々に動いたのが、安倍政府だったのにね。 しかし、東久邇、片山、石橋の3人の元首相が退陣勧告をするに及び、事態は更に深刻化する。 前列左から2人目がJ・ハガティ報道官(1955年7月29日、NASAでの記者会見) 6月10日には東京国際空港(羽田空港)で、アイゼンハワー大統領訪日の日程を協議するため来日した大統領報道官(当時は新聞係秘書と報じられた)ジェイムズ・ハガティ(報道は「ハガチー」表記)が空港周辺に詰め掛けたデモ隊に包囲され、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救助されるという事件が発生(ハガチー事件)、すげ〜。 6月15日には、ヤクザと右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出し、警官隊が国会議事堂正門前で大規模にデモ隊と衝突し、デモに参加していた東京大学学生の樺美智子が圧死するという事件が発生する。これが神戸の人だろ。 「デモに行けば死ぬ」っていう刷り込みみたいなのされてるよな。 追記:ぶっちゃけさ〜〜、これって左翼の女子大生ひとりも、左翼の男子は守ってくれないことの証左みたいな事件ですよね。 国会前でのデモ活動に参加した人は主催者発表で計33万人、警視庁発表で約13万人という規模にまで膨れ上がった。 このように激しい抗議運動が続く中、岸は15日と18日に、防衛庁長官赤城宗徳に対して陸上自衛隊の治安出動を要請した。出た〜〜〜〜「治安出動!!!」 三島は、この時何していたんだろう。 東京近辺の各駐屯地では出動準備態勢が敷かれたが、国家公安委員長石原幹市郎が反対し、赤城も出動要請を拒否したため、「自衛隊初の治安維持出動」は回避された。ぬわ〜〜〜〜、何で拒否するんだ。 この時、左翼に立ち向かっていれば、自衛隊もまともに軍隊になれたのに。 追い詰められた岸は、実弟佐藤栄作と共に自決を覚悟した。マジですか。 戦前の人は違う。 本当に違う。 命かけている。 15日の惨事を議会政治の危機(言い換えれば、社会主義革命、共産主義革命への導火線)とみたあのね。 左翼が「普通の市民」の上に乗っかってんだよ。 自分たちが革命起こしているような、錯覚起こしてんだよ。 ヤクザにぶんなぐられて、ちょうどなんだよ。 広告代理店の電通の吉田秀雄、朝日新聞社の笠信太郎らが主導となり、在京新聞社7社[3]は、6月17日に共通で「議会政治を守れ」としたスローガンを掲げた社告を掲載。出たよ、朝日だよ。 国会デモ隊の暴力、社会党の国会ボイコット、民社党との過度の対立を批判した(七社共同宣言)。??? 朝日新聞が革命もどきに便乗しなかったの?? この七社共同宣言は、「流血事件は、その事の依ってきたる所以を別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。(中略)いかなる政治的難局に立とうと、暴力を用いて事を運ばんとすることは断じて許されるべきではない」とあり、岸政権が批判を受けた「所以」を不問に付した。 従って、安保闘争に冷や水を浴びせ、政府にとって有利な内容であった。そうだよな。 岸さんは切腹まで覚悟していたんだから。 そのため、警察側の暴力を不問にした、議論の本質を「暴力反対」にすり替えた、といった批判が当時なされ、「新聞が死んだ日」とも評された[4]。あははは…確かに死んでいる。 お前はもう死んでいる…ってこのためにあるようなセリフだな。 朝日新聞が「革命」もどきに乗らなかったんだからな〜。 やっぱクオリティ新聞とは言い難いな。 だって、完璧にすり替えジャン。 この物事の本質は?? 女子大生一人が亡くなったことなのか? それが、この安保闘争の本質か?? ちゃうやろ。 自分たちの、やりたかったことを、真の市民がやりかけてたのに(ぶ左翼は、ここに便乗してるだけだろ)。 「本当の市民」が動いたのが気に入らないの?? 妙な嫉妬だね〜〜〜。 安倍政権の時もそうだったが。 あれは、ファッショが議会をつぶすとか言って、あおったんじゃないの? 今の戦国が、ファッショじゃなくてなんなんだよ。 空き缶頭に、何でもかんでも一人で勝手に決めてるんだぜ?? 条約は参議院の議決がないまま、6月19日に自然成立。 またアイゼンハワーの来日は延期(実質上の中止)となった。 岸内閣は混乱を収拾するため、責任をとる形で、新安保条約の批准書交換の日である6月23日に総辞職した。 岸は辞任直前に暴漢に襲撃され重傷を負った。ほんま、この人命かけてますよ。 大したものです。 私ごときに言われたくはないだろうが。
「60年安保闘争」は空前の盛り上がりを見せたが、戦前の東條内閣の閣僚でありA級戦犯容疑者にもなった岸とその政治手法に対する反感により支えられた倒閣運動という性格が強くなり、とにかく日本人の「戦争アレルギー」が飽和状態に達したんだよ。 左翼は、その尾尻に乗ったに過ぎない。 朝日もそれに気づいたのか? 案外賢いね。 安保改定そのものへの反対運動という性格は薄くなっていたため、そもそも、反米とかじゃなくて「戦争が嫌ぁ〜〜〜〜〜〜!!!」っていう国民のサイレント・マジョリティーが動いたんだ。 山が動いたんだ。 そこをこそアメリカが、怖がったんだよ。 岸内閣が退陣し池田勇人内閣が成立(7月19日)すると、運動は急激に退潮した。東条さんの亡霊が、岸さんに乗り移っていたんだろうな。 お気の毒に。 東条さんも岸さんも、みんな「日本人を守ろう」と一生懸命だったんだよ。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2010年12月05日
全1ページ
[1]
|
NHKの意図はなんだ?? あれじゃ〜、もう沖縄は、あきらめろと言わんばかりだ。 国民を二分するのが一番最悪のやり方だろうが? 本気で日本が軍隊持つのかよ?? 持たないなら、沖縄は放棄できないんだって。 アメリカも追い出せない。 富士山も打たれっぱなし。 安保闘争(あんぽとうそう)とは、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり、日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)に反対する労働者や学生、市民が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争であると同時に、火炎瓶や鉄パイプで暴力を振るう暴動・紛争という側面も持っていた。アメリカが、そこまで、そこまで、この闘争(安保世代の方・1959-60の方)を怖がっていたとはな。 そのほうが、驚いたは。 ただのあほ左翼じゃない、「市民」が大量に入っていたことに驚いたんだよ。 2000万人が署名したっていう。 安保条約 [編集] 1951年(昭和26年)9月8日に、アメリカのサンフランシスコにおいて、アメリカやイギリス、中華民国をはじめとする第二次世界大戦の連合国49ヶ国と日本の間で、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されたが、これがヨーロッパ同士の戦いなら、これですべて何でも返してもらえるはずだけど?? どうして日本だけぐだぐだと、いろいろ取られたまんまなんだろうね。 主席全権委員であった吉田茂は、同時に「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に署名した。 この条約によって日本を占領していた連合国軍の1国であるアメリカ軍は、「在日米軍」となり、継続して日本に駐留する事が可能となった。けったいな話やな。 結局、日本を赤化させないためにだろう。 昭和天皇もアメリカが帰ってしまうことを恐れておられたのかもしれない。 日本に徐々に帰ってき始めた、ソ連の強制労働組の成果で、日本共産党の議席が飛躍的に伸びたらしいし。 彼らは、強制的に共産主義を植え込まれたんだよ。 イデオロギー変えなきゃ帰国させない、ってオームもまっつぁの、思想教育を彼らに施したんだからな。 極寒の地で。 それで朝日新聞使って日本を赤化させたかったんだよ。 なお、当時冷戦下でアメリカやイギリス、フランスなどのいわゆる「西側諸国」と対峙していたソビエト連邦は、西側諸国主導のサンフランシスコ平和条約に対立の意思を示し、49カ国の条約締結国には入らなかったソ連入ってないんだよねこれに。 上に、自国を事実上の仮想敵国とした日米安全保障条約に対しても激しく非難を行った。からからからから、北方領土も勝手にとってしまうロシアを敵国と思わないなんておかしいだろうが。 あんたたち、戦前も旅順も奉天も勝手にとっているじゃないか。 1951年(昭和26年)に締結された安保条約は、1958年(昭和33年)頃から自由民主党の岸信介内閣によって改定の交渉が行われ、岸氏の孫、麻生さんは子供で、家の中を安保反対って言いながら走り回っていたそうだけどね。 1960年(昭和35年)1月に岸以下全権団が訪米、大統領ドワイト・D・アイゼンハワーと会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意。 6月19日に新条約が調印された。 新安保条約は、 1.内乱に関する条項の削除 2.日米共同防衛の明文化(日本を米軍が守る代わりに、在日米軍への攻撃に対しても自衛隊と在日米軍が共同で防衛行動を行う) 3.在日米軍の配置・装備に対する両国政府の事前協議制度の設置 など、安保条約を単にアメリカ軍に基地を提供するための条約から、日本国中にアメリカ軍基地があったんだって。 それも驚きだね〜、私らの世代はほとんど知らないだろう。 日米共同防衛を義務づけたより平等な条約に改正するものであった。日本って条約結ぶたびに「不平等条約」なんだね〜。 それを平等にするために、どれほどの犠牲を払わなければならないのか。 それにしても、アメリカっていう国は…。 日本人騙さないと気が済まないわけ?? ほんま人種差別よね。 安保がなければ、っていうか、開国してなければ、本当に付き合いたくないが、ほかのお友達っていっても、支那とかおロシアでしょう?? EUは壊滅状態だし(爆)。 英国最近おとなしいね〜〜。 やっぱアメリカとおつきあいするしかないんだよね。 一般市民はとにかく「戦争に絡む条約」に反対していたってことらしい。
戦争アレルギーなんだよ。わかります。 日本人は金輪際戦争と名のつくものはしたくないってこりごりに懲りてしまったんだ。 岸が帰国し、新条約の承認をめぐる国会審議が行われると、安保廃棄を掲げる日本社会党の抵抗により紛糾する。出たよ、社会党。 また締結前から、改定により日本が戦争に巻き込まれる危険が増すなどの懸念により、反対運動が高まっていた。ここに反応したんだろうね。 一般市民は。 スターリン批判を受けて共産党を脱党した急進派学生が結成した共産主義者同盟(ブント)が主導する全日本学生自治会総連合(全学連)は「安保を倒すか、ブントが倒れるか」を掲げて、総力を挙げて、反安保闘争に取り組んだ。でも、ほぼ「もう戦争に巻き込まれたくない」っていう市民が大半だったんでしょう。 まだ第二次世界大戦終結から日が浅く、人々の「戦争」に対する拒否感が強かったことや、東條内閣の閣僚であった岸本人への反感があったことも影響し、東条は最後まで朝鮮半島を憂慮してましたよ。 アメリカに頼むとまで遺言しているんだ。 それもこれも「日本人のため」ですよ。 「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込むもの」として、多くの市民が反対した。 これに乗じて既成革新勢力である社会党や日本共産党は組織・支持団体を挙げて全力動員することで運動の高揚を図り、左翼が便乗したといっていいだろうな。 総評は国鉄労働者を中心に「安保反対」を掲げた時限ストを数波にわたり貫徹したが、全学連の国会突入戦術には皮相的な立場をとり続けた。 とりわけ共産党は「全学連=極左冒険主義のトロツキスト集団」のレッテルを貼り、激しく攻撃した。 一方で、全学連側は既成政党の穏健なデモを「お焼香デモ」と非難した。アメリカがおそれたのはあんたたちじゃない。 モノ本の一般市民を恐れたんだよ。 なお、ソ連共産党中央委員会国際部副部長として、日本をアメリカの影響下から引き離すための工作に従事していたイワン・コワレンコは、自著『対日工作の回想』のなかで、ミハイル・スースロフ政治局員の指導のもと、ソ連共産党中央委員会国際部が社会党や共産党、総評などの「日本の民主勢力」に、「かなり大きな援助を与えて」おり、安保闘争においてもこれらの勢力がソ連共産党中央委員会国際部とその傘下組織と密接に連絡を取り合っていたと記述している[1]。ソ連が工作していたのは確実だな。 なんたって共産党の志位のおじさんはKGBだろうが。 共産党の金はどこから出てるんだ??政党助成金(日本の税金)ももらわないで、どこの金で活動してんだよ。 国会議事堂5月20日に衆議院で新条約案が強行採決されると、「民主主義の破壊である」として一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲み、闘争も次第に激化の一途をたどる。私ら、1968前後の団塊の闘争しか見てないんだけど。 こっちが本当の闘争ですよね。 |
全1ページ
[1]



