>いえ、偶然の一致ではなく「東西南北が極めて正確」であるのは間違いありませんし、それどころか「すでに発掘されていた正門や前段の小建築物」から「正中線」を設定し、正門内部の各建物の間隔を想定した結果、 そこにどんぴしゃり「近年まれにみる大きな建築物(おそらく本殿)」が「想定した通りに見つかった」ものです。http://www.youtube.com/watch?v=bYFu4Z-9HYo&feature=related でかい、半端なくでかい。 これが邪馬台国って言うイメージがしないんですが、余りに近代的大規模すぎて。 余りにも整然とだだ広く建てられている。 私の行った回ではないようですが、現地説明会を撮影していた人がいたようです。 ちなみに、講演会では割合はっきりとこの方(とこの方の先代の主査)は、巻向遺跡が邪馬臺国という説に否定的であることを表明されましたが、奈良県も橿原市も近鉄・JRも邪馬臺国ブームにあやかろうとする中、不特定多数のいる「現地説明会」では(もちろん調査半ばですし)中立的に答えていました。何も、でてないんですからね〜。 (それで最初は「当然この人も畿内説派だろうな」と見ていましたが、この場でも個別の質問の際に割合はっきり否定的だと答えていました)そんなものなのですね。 何度も言うが、何で新聞にでかでか出たんでしょうね〜〜〜不思議すぎるは。 九州にあったらまた何かまずいことでもあるのか?? |
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2010年08月23日
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>>私が「本来の五十鈴川」と考えているのは「宮崎県の日向灘に注ぐ五十鈴川」です >横ですが。私も同感。同調者が〜〜。やはり宮崎でしょうね。 >>(九州でニニギノミコトと出会ったサルタヒコが帰った「伊勢国の五十鈴川」も、およそ「本州の伊勢」とは考えられません) >これにも同感。天孫降臨は北部九州から宮崎に進出した事の反映。猿田彦も宮崎の五十鈴川の者でしょう。手塚も猿田彦は九州の人間で書いてなかったっけ。 いや〜猿田博士は別だよね。 土地柄を丹念に調べ、記紀の記述を(「本州の伊勢に決まっている」という)固定観念なく読めば自然にたどり着く帰結ですよね。宮崎は重要地だ。 「ニニギ代の記述はずっと九州内部」なのに、サルタヒコが何の説明も無くいきなり「本州の伊勢」まで帰ったと考える方がどうかしていると思います。(その後も九州(と出雲)の話が続いていますし)そら飛びすぎですね。 >ところで阿邪訶(あざか)で比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死んだことになっているが、このアザカって何処なんですかね。いろいろ探してはいるが九州では今の所、見つからない。何のことだっけ?? 本当小学校で覚えないとこんなものすぐ出てきませんのよ。なさけないったら。 いい加減復活させたらどうなの。 日本神話のお勉強。 邇芸尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
ニニギノミコトを先導する神ね。お鼻の大きい。その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。 そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。 その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのであった。 猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村(現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。
猿田彦の最期の場所か。この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神様が生まれた。 やっぱ九州でしょうね。 『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。
猿田彦の時代から伊勢神宮はあるんだよ。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。 山ゆかば知ってんだろうね〜この辺の事はもちろん。 伊勢ヶ浜沖の日向灘だとは思います。 (私も探しましたが分かりません) 比良夫貝はシャコ貝と考えられており、沖縄などのサンゴ礁に今も生息して いますが、2千年近く前には日向灘にもあったのではないかと思います。 ちなみにサンゴ礁は今でも日向灘(日南海岸あたりまで)にかろうじて残っています。http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?itemid=10193&catid=342&blogid=16 これもう死んでます〜。残念。 しかし貝に手を挟まれて亡くなるなんて…何の象徴だろう。 宮崎は神話が多くていろいろ読んだんだがな〜。
この辺りは「古くからの縁日の三大お面スター」である「ひょっとこ」「おかめ」「きつね」がでてくる歌舞伎が残っている土地で、「縁日のお面を通じて何かを後世に伝えようとしているのだろうか」と気になっていました。 (特に「ひょっとこ踊り」が有名です)http://www.city.hyuga.miyazaki.jp/sightseeing/history_hyotoko.html ひょっとして「おかめ」「ひょっとこ」とは芸能の神である「アメノウズメ」と、「サルタヒコ」となのか?「オカメ」って言うのは結構金運が良い顔相なのだとか。 ああいうべちゃっと丸顔の女将の方が、お金周りがいいんですよ。 ひょっとこは何を象徴するんでしょうね〜。 ひょっとこは「片手を挟まれ満ち潮に溺れつつある姿」なのかなどと想像したりもしましたが、どうやら今のところ別物のようです。そのまんま東に似てない事も無い。 宮崎災難でしたよね。 去年は神戸がえらい目にあったけど、毎年どこかに災難が舞い降りる。 |
また三輪巻向遺跡は大きく三層の文化が折り重なっており、 第一層は「縄文時代からあると見られる土着の文化」 第二層は「建物の方向が地勢に合わせてまちまちの区画」の「弥生系文化」 そして第三層が、「方位が極めて厳密でかつ方形の区画がきっちりした文化」であり、そして「出雲や四国、北陸までの土器が一堂に会した文化」です。凄いですね。 金閣寺もそうなんですけど、階毎に文化が違う。 規模もまったく違うんですが。 何かまとめたい時に、リーダーはこう云う事をするのかも。 しかも農耕などはほとんど行われていない「政治に特化した地域」です。象徴的に作ったんでしょうかね。 これは祟神天皇代の「磯城瑞籬宮」すなわち大和朝廷の記述・言い伝えと場所も各王権もほぼ一致しています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%AF%E5%9F%8E%E7%91%9E%E7%B1%AC%E5%AE%AE 磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)は六国史日本書紀に記載されている崇神天皇王朝の都。
都の後??現在、磯城瑞籬宮は奈良県桜井市金屋にあったとものと推定されており、志貴御県坐神社には大正年間に「崇神天皇磯城瑞籬宮跡」の石碑が建てられている。 本宮の北側には三輪山(大神神社)が鎮座する。 周辺には纏向遺跡をはじめとする古墳時代前後の遺跡が存在し、箸墓古墳やホケノ山古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵、垂仁天皇陵などの巨大前方後円墳群が点在する。 神社はやはり何かを顕している。 ただし記述と異なるのは「年代」であり、それは「邪馬臺国の卑弥呼の時代」にほぼ一致しています。 すなわち「本州グループが(祟神天皇を中心に)巻向に集結」した背景に「九州の邪馬臺国」の存在があったと考えられます。?? だから日巫女の墓にしたいと?? 祟神天皇代を無視したいんでしょうか?? (時代が一致することだけから、「ここが邪馬臺国」と主張するグループもありますが、邪馬臺国を指向する手掛かりはいまだ何一つ発見されていませんし、巻向遺跡発掘の主査自身がそれには否定的です。)主査とコンタクトとって居られる!!! 何で、あんな新聞にでかでか出たんだろう?? 時代が完全に一致しているからか〜。 確かに奇妙な一致ですね。 |
今日のn_o_i_s_e_m_a_n 氏【彼らの祖先神話には「ヒトを造った」という人造人間神話さえあり、それも「丁寧に造った貴重な人々(貴人)」と「大量生産した粗野なできそこないの人々」を造ったとあ】
>水生稲作民族は自然観察や応用能力に富んでおり、鉱石や生物、天文などの自然科学分野での開発が突出しています。 太古、「現在中国と呼ばれている地域」に「超人的な品種改良民族」が住んでいたのは確かでしょう。 (現在、そこを席巻しているのは別種の「文化パクリ民族」であり、もちろん民族名までパクっています) 現代水準から見ても舌を巻くほど高度なバイオテクノロジー科学技術を持つ彼らは ・「直立しノギ(トゲ)の大きな陸の野生稲」を魔改造して、ノギはごく小さく、粒が大きく多く頭を垂れるほどたわわに実り、しごくだけでポロポロ簡単に実がとれる「水生稲」を造った。 ・さらに品種改良してインディカ米よりモチモチして栄養価の高いジャポニカ米を造った。 ・「キジ科の鳥」を魔改造して、「肉質が良く卵を延々と産み続け、ほとんど飛ばず暗い室内で飼えるニワトリ」を造った。 ・「頭が大きく尻が小さく肉質の固いイノシシ」から「頭が小さく腹尻が大きく柔らかく多産で高床式住居の軒下で残飯で育てられるブタ」を造った。 ・「オオカミ」を魔改造して「人間に友好的で羊の番にも使えるイヌ」を造った。 ・もともと「繭を煮て食べる虫」から糸を取り出し「絹織物」を造った。 ・「絹くずや竹の繊維」から最初の「紙」を造った。 ・「ツバキ科の植物」を魔改造して「茶」を造った。 さらにコウジ菌の発酵食品が大好きで大好き〜〜。 ・豆をコウジで発酵させてミソやナットウを造った。 ・米を発酵させて(日本酒のような)醸造酒を造った。 ・野菜を発酵させて漬物を造った。 ・魚を発酵させて魚醤を造った。 彼らが「一から創ったもの」など何もなく、全ては「すでにあるもの」を「原形をとどめないほどまでに高度に品種改良」した、いわば一種の「ミュータント」ばかりです。凄すぎる。 後付け加えるなら「河豚を食べられるようになった」とか。 これだって何人も死んでるんですよね〜きっと。 そして「彼ら以前にニワトリやブタがいなかった」と考えれば、彼らこそ「ニワトリやブタの創造主」といっても過言ではありません。び〜〜〜んご。 (彼らの祖先神話には「ヒトを造った」という人造人間神話さえあり、それも「丁寧に造った貴重な人々(貴人)」と「大量生産した粗野なできそこないの人々」を造ったとあります。)ありえますね。 あれだけロボット開発にいそしんでいるのは「人間を作りたい」からです。 問題は、現在でもこの「超人的な魔改造民族」の子孫が、「世界中のどこか(おそらくはアジアの片隅)に暮らしているはず」であり、 その超人的な品種改良能力を隠しきれるはずもなく、 今もどこかで「原型を遥かに超える品種改良品」を生み出し続けているはずだということです。ここしかないです。 (どこかで「さらにおいしい米」や「原産とは比べ物にならないほど甘くておいしい果物」などを造り上げているかもしれません)糖度検査がある国なんてほかにあるかな?? |
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わが国最初の正史(せいし)『日本書紀』(にほんしょき)の伝えによりますと、
皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、 と称えられ、 皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して 豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、 是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。 宜しく爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。 行矣(さきくませ)。 宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。 上は勝手に私が引用して来ました。 美しい言葉ですから。 というものですし、 用明天皇の皇女が伊勢神宮の斎宮になっていますし 大海人皇子(後の天武天皇)が戦勝を祈願したのも伊勢神宮です。 いつもいうように史実は事実とは限りませんが、それを否定するにもそれなりに「根拠」が必要とされます。山行かば否定しているのか?? なにを???? (例えば「トロイ」がただの伝承に過ぎないまま遺跡が発見されなくともそれだけでは「無かった」ことにはなりません。NHK的には「無かったことにしたい」のでしょうが)NHKはまったく。 何を隠してるんじゃ。 トロイは見事に見つかりましたね〜。 >>もともとこの地にいた神ではない。 大陸から渡ってきたんじゃろ?? 大陸に神社が残ってないんだから。 倭姫命は、第11代垂仁天皇の皇女です。
これを遍歴というのか??第10代崇神(すじん)天皇の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の後を継いで「御杖代(みつえしろ)」として皇大御神(すめおおみかみ)に奉仕され、皇大御神を戴いて大和国をお発ちになり、伊賀・近江・美濃等の諸国を経て伊勢の国に入られて、ご神慮によって現在の地に万代不易の皇大神宮をご創建されました。 美しいから伊勢に決められたのじゃろ?? 山ゆかばは何に反論しトンじゃ、まったく。 「御杖代」とは皇大御神の御杖となって、ご神慮を体して仕えられるお方の意です。
斉王も問題になってたみたいだが??倭姫命から後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わして皇大御神に奉仕させられましたが、このお方を斎王(いつきのみこ)と申し上げます。 これですね。 ? ひょっとしてこれですか? 「天照大御神が遍歴する説話は、『常陸国風土記』の筑波山の話に登場する祖神や民間説話の弘法大師伝説に類するもので、一般の神社の縁起でも鎮座地を求めて神が旅する話は多いので、「旅する神」の典型的な類型であるとされる。」 これは「天照大御神神話」のことではなく、その中の「天照大御神が"遍歴する"説話」についてですよ。「旅する神」?? 伊勢には落ち着かれるべくして落ち着かれたのだよ。 |
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