涙せずにいられない25人のエピソード 話題作『空気は読まない』 いい本やな〜。読んでませんけど。 題だけで、いい本だな〜。 いい加減、他の人のブログ覗いてみたけど、いい加減にしてのいい人ぶりだ。 ブログぐらい好きに書いても、いいんじゃないかい。 空気が読めない人をKYと呼びさげすむ傾向があるが、本当に空気を読む必要があるのだろうか。肌荒れも「自分の事だけ考えたほうが」治るらしいよ。 医師でありながら、いまや“人気作家”のように本が売れる著者の鎌田實が2月末に出版したのが本書だ。 鎌田が患者や仕事仲間として、出会った夢のある人たちの行動が語られる。 「好奇心」より「空気を読む」のを優先… 「風景のうしろにある歴史や風土は、この年になってこそ見えてくる。死ぬまで旅はやめないよ」と語るのは還暦を過ぎても世界を旅する作家の戸井十月。 がんに冒され余命いくばくもない34歳の若い父親が、思い出を残すために決行した子供を連れての命がけの東京ディズニーランド旅行。 末期がん患者の病室へ出向き、演奏したチェコのチェリストや全盲のカメラマンら25人のエピソードがつづられている。 涙せずにいられない話ばかり。そういうことか。 3月、東京で行われた講演会では中高年300人が集まり感動話に聞き入り、サイン会では多くの人が列をつくった。 鎌田は本書で世の中の人が「空気を読みあって縮んでいる」と指摘。ネット内でもそうですね。 「不況の半分は、空気がつくっている」とし、「空気は読まない」宣言をした。私もネットじゃ読まない。 外界はそういうわけには行かないので。。。。。 あんたが空気読んでいるのか、といわれそうだが。 そして「空気に流されるな、空気をつくり出せ」と読者にエールを送る。ふ〜〜〜む…。 作り出そうか〜〜〜。 それは言えるかも。 登場する人たちは、みな他人の目を気にして生きていない。 死期が迫っても一日一日を前向きに生きている。 それゆえ読み手も励まされる。ある意味死期が見えたら、絶対、読まないね、空気なんて。 初刷で4万部。 すでに半分は売れたそうだ。 編集担当の集英社学芸編集部の吉村遥編集長はその売れ行きを「名もなき普通の人々が“命”を精いっぱい生きている姿が、温かい目で切り取られているから」と分析している。それ以前に、皆様、命削って生きていますから。 読後には感動とすがすがしさに包まれる。 (鎌田實著・集英社・1000円)=渋沢和彦ま、ちょっといい人本でも有るのだが、題がなかなかいいじゃないか。 この時代に、潔くって。 子供なんて携帯持たされて、最近じゃ家でまで空気読んでるんだからね?? そらアトピーにもなるよ。 携帯もよしあしだな〜〜〜。
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漫画・本
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わたしの好きな大人手塚ナンバーワンは、「アドルフに告ぐ」なんだが、これはその下敷きのような「黒い手塚」って言う気がします。 『奇子』(あやこ)は、手塚治虫の漫画作品。1972年から1973年まで小学館ビッグコミックに連載された。しかしこれを少年誌で〜〜〜〜??? 1970年代。さすがのエログロナンセンス時代というか。 びっくりしますね。 当時の少年が読んでいたとなると。パタリロの作者は男子ではパタリロは理解できないとか言っていたと思いますが、これだって充分過ぎるくらいぶらっくなネタですよね〜〜。 遊びがないし。 下山事件をベースにされている小説です。
なんか下山事件の本も本屋でやたら目に入ったし、NHKの手塚治虫特集でも、フジのハスのウテナでやたら紹介されていて、とうとう買ってしもうた。 こら、すごいな。 さすが手塚先生。 『GHQの闇』には当初から触れておられたのですね。これ読んでから「白洲」ドラマ見ないと、白洲がなにと戦っていたのか判りませんよね。 これはきっと、差し止めかかっているな〜というような終わり方だと思う。 まだ書き足りない感じ。 昭和24年、戦争から復員した天外仁朗はGHQの工作員になっていた。 ある時、命令で共産主義者の男の殺人(通称 淀山事件)に関与する。 その男は、自分の妹の天外志子の恋人であった。 さらに事件関与後、血のついたシャツを仁朗が洗っているとき、知恵遅れの少女お涼と、自分の父親と 兄の嫁との間にできた少女 奇子がそれを見てしまう。 仁朗はお涼を口封じのため殺し逃亡する。 奇子は一族の体面のために急性肺炎で死亡したことにされ、天外家の土蔵の地下室に幽閉されたまま育てられるが…まさに横溝ワールド〜〜〜。 息子の嫁と寝る地主(この辺地主批判大いに入ってますが、地主の言い分も充分伝わるところはある)、妹との近親相姦ありの、土蔵に監禁して少女を育てるだの、猟奇を通り越した、ま、戦後日本の闇(これもブサよくのプロパガンダカナと思わないでもない。あのころの小説家は皆この路線だもんね)とでも言うか。 そこそこ年いったし読めるようになったけど、やっぱ手塚先生は凄い。 そこ行きますよね当然。 もっと生きていていただきたかった、情報開示がありますからね〜。 東京軍事裁判の。 下山事件(しもやまじけん)とは、連合国の占領下にあった1949年(昭和24年)7月5日朝、日本国有鉄道初代総裁・下山定則(しもやま さだのり)が出勤途中に失踪、翌日未明に死体となって発見された事件。 事件発生直後からマスコミでは自殺説・他殺説が入り乱れ、警察は公式の捜査結果を発表することなく 捜査を打ち切り、その後も真相が不明のまま様々な憶測を呼び今日に至っている。 「戦後史最大の謎」と呼ばれ、下山事件から約1ヵ月の間に立て続けに発生した三鷹事件、松川事件と合わせ、「国鉄三大ミステリー事件」とも呼ばれる。労組が起こした革命騒ぎだと思っていたが? はっきり言ってこの時代(占領中)も戦争中と変わりませんよね。 平和なように映っていただけで。 [編集] 事件のあらまし 1949年6月1日に発足した日本国有鉄道(国鉄)の初代総裁に就任したばかりの下山定則は、7月5日朝、午前8時20分頃に大田区内の自宅を公用車で出た。出勤途中、運転手に日本橋の三越に行くよう指示。 三越に到着したものの開店前だったため、一旦、東京駅前に戻って千代田銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に立ち寄るなど、複雑なルートを辿った後で再度三越に戻った。自分でも狙われているって判っていたのかな。 そして午前9時37分頃、公用車から降りた下山は、「五分くらいだから待ってくれ」と運転手に告げ、急ぎ足で三越に入りそのまま消息を絶った。 普段、下山は午前9時前には国鉄本庁に出勤し、毎朝秘書が玄関に出迎えていた。 失踪当日は、国鉄の人員整理をめぐり緊張した状況にあり、午前9時には重要な局長会議が予定されていたため、自宅に確認したところ「普段通り公用車で出た」との回答に国鉄庁内は大騒ぎとなり、警察に連絡。 失踪事件として捜査が開始された。 翌7月6日午前0時30分過ぎに国鉄常磐線・北千住駅〜綾瀬駅間で汽車に轢断された下山の遺体が発見された。手塚筋で行くとこれは仕返しなんだな。 [編集] 失踪後の足取り 失踪後、下山総裁らしき人物は、まず三越店内で、次に営団地下鉄(現・東京地下鉄)銀座線の浅草行き列車内で目撃された。 三越店内では、数名の男たちを伴っていたとの目撃証言もある。 午後1時40分過ぎに、轢断地点に近い東武伊勢崎線五反野駅改札で改札係と話を交わした。 その後、午後2時から5時過ぎまで、同駅に程近い「末広旅館」に滞在。 午後6時頃から8時すぎまでの間、五反野駅から南の轢断地点に至る東武伊勢崎線沿線で、服装背格好が総裁によく似た人物の目撃証言が多数得られた [1]。替え玉かもしれん。 今もって替え玉の意味が分からんのだが? 何で替え玉作る必要があるんだろう? [編集] 生体轢断か死後轢断か D51(同型)下山総裁は、東武伊勢崎線ガード下の国鉄常磐線下り方面(水戸方面)線路上で、付近を零時20分頃に通過した下り貨物列車869レ(D51 651号牽引)により轢断されたことが判明[2]。 遺体の司法解剖の指揮を執った東京大学法医学教室主任の古畑種基教授は、回収された下山総裁の遺体に認められた傷に「生活反応」が認められない事から、死後轢断と判定した(解剖の執刀は同教室の桑島直樹講師)。 また、遺体は損傷が激しく確実な死因の特定には至らなかったものの、遺体及び轢断現場では血液が殆ど確認されず、「失血死」の可能性が指摘された。雨で流されてんだよ。 加えて遺体の局部等の特定部位にのみ、内出血などの「生活反応」を有す傷が認められ、該当部分に生前かなりの力が加えられた事が予想され、局部蹴り上げなどの暴行が加えられた可能性も指摘された。 一方、現場検証で遺体を検分した東京都監察医務院の八十島信之助監察医は、それまでの轢死体の検視経験から、既に現場検証の段階で自殺と判断していた。 遺体の局部などの特定部位にみられた内出血などの「生活反応」を有す傷については、轢死体では頻繁に生じる事象であり、血液反応が僅かなことも、遺体発見時の現場周辺で降った雨に流され確認できなかったもので、他殺の根拠にはなり得ないと主張した。 更に慶應義塾大学の中舘久平教授が生体轢断を主張(ただし中館教授は下山総裁の遺体を実見していない)。 自殺の根拠となる「生体轢断」と見るか、他殺の根拠となる「死後轢断」とするかで見解は対立。 1949年(昭和24年)8月30日には古畑教授、中舘教授、小宮喬介(元名古屋医科大学教授)の三人の法医学者が衆議院法務委員会に参考人招致され、国会、法医学界を巻き込んだ大論争となった。 法務委員会委員の質問に対し古畑は、「解剖執刀者桑島博士は、いまだかつて公式には他殺、自殺のいずれともいっていない。まじすか? 死後轢断という解剖所見を述べているだけである。 研究は継続中であり、研究結果も知らない者が勝手に推論することは、学者的態度ではない」と述べた[3]。もはや推理作家の領域。 |
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