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愛にはふたつあるの。 愛する愛 と 愛される愛 愛し愛されたかったら、まず自分を愛する あなたの中にある愛が100あるとしたら、半分の50で自分を愛する。 のこりの50で、あなたの大切な人を愛する。 100あるうちの50あげてしまうと、半分になってしまけど 半分の愛で大切な人を愛したら、その大切な人が50返してくれるから・・ 全部で100になって満たされる。。 でも、愛する分と愛してもらったお礼を返してくれるから 愛は100になってかえってくるのね・・本当は・・ そしたら、愛した人に愛してもらったお礼をまた返せば 愛は・・・50・・100・・200・・400 どんどん育って重ねていくことができる。 二人の愛を 重ねていくと いつしかそれは・・・絆になる。 本当の愛は、そう簡単に壊れるものではないよ。 本当の愛は見えない絆となって切れない。 自分の大切な人が愛してくれる自分を自分でも愛して大切にすることは とても・・大切。 自分を愛して育てることが出来ない人は、人を本当に愛することはできない。 自分の大切な人が愛してくれる自分を大切にしなくちゃ 愛してくれる人に・・失礼よ(^_^) わたしは その絆を・・・暗くなりはじめた病室の中 壮絶な闘病をしていた父と寄り添う母。。二人の姿に教えられました・・・ |
エッセイ
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私は発達障碍を持つ子供の母親です。 子供を通じて、あらゆる珍しい病気を経験しました。 子供が障害児であるということがわかったのは、4歳のとき。 けれど、それまで子供の不可解な反応、言動は 「育て方が悪いだけ」と、誰からも言われいつも苦しんでいました。 子供の父親でさえ、俺知らない・・という態度。 毎日、ご近所さんに怒鳴り込まれ、土下座のしっぱなしでした。 子供の発達障碍は、見た目どこも悪くみえません。 いかにも賢いことを口にする子でもありましたから、どこが病気だって? と、いうかんじ・・ 体のどこかが不自由なわけでもなく、元気なのですから 障碍があるといっても、理解してもらえませんでした。 理解してもらうどころか、毎日、毎日、中傷され なんでこんなに苦しまなくちゃいけないの?と 逆に子供を叱り続けたり、殺してしまおうかと憎くなってしまったり・・ けれど、酷く叱った後、 子供が泣きじゃくりながら寝てしまった寝顔をみるたび なんて恐ろしい事考えたんだろ。。 私がこんなふうにしか産んであげれなかったばかりに・・ と、いつも、いつも、 寝ている子供に、ごめんね、、ごめんね・・と、謝り続けていました。 猛烈に障碍についても勉強しました。 どうしたら、一人でも多くの人に、障碍を持つ苦しみを理解して もらえるんだろう・・と、そればかり考えました。 日々の中で、私はすべてに疲れてしまい離婚しました。 けれど、子供の障碍を受け入れて、共に生きていく事を 考える中、理解してくれる方も、アドバイスくださる方も得て 私はだんだん、知識も経験も得てきました。 離婚という経験の中で、障害児をかかえて離婚するという 過酷な条件の中で、精神的な手助けが必要な方とも たくさん知り合いになりました。 一番はじめは、その時ですね・・カウンセラーになりたいな・・と 思ったのは。。 けれど、私自身、まだまだ問題をたくさん抱えていて 人様にアドバイスしてあげれるような状態ではないな・・と、 感じたものですから、そこではカウンセラーになろうと思わなかったんです。 月日がたって、私は再婚しました。 けれど、再婚してから再婚相手が年々、おかしな行動、言動が 出てくるようになり、気分の起伏が大変激しくなってきたのです。 そのうち、再婚相手の浪費、浮気、ネットナンパ・・ 酷くなってきました。 なんだかよくわからないまま、私は振り回されっぱなしでした。 浮気をみつけては、怒ってました。攻め立てたりもしてました。 すると開き直られて大喧嘩です。 そんな中、次には、二番目の子供が登校拒否になりました。 私も安定剤を服用する日々になっていました。 障碍を持つ子も、再婚相手の問題行動に腹をたてては 取っ組み合いの喧嘩をしていました。 家庭内ボロボロでした。 疲れ果てて、何度も、何度も離婚を考え伝えました。 カウンセリングにも行きましたし、精神科にも相談にいきました。 たくさんのカウンセラーに相談もしてみました。 ほとんどのカウンセラーに離婚を勧められました。 そのとき思ったのですよ、別れようとすぐ決断できるなら わざわざお金払って相談しないのよ・・・ってね。 そして、心理学の本を手に取るようになりました。 私が気に入ったのは、アドラー心理学とヴィジョン心理学です。 そんなとき、ケアストレスカウンセラーという資格を知って 自分に知識をつけて、対応できるようになりたい!!と 思うようになったんです。 けれど、日々のストレスの中で勉強はなかなかはかどりませんでした。 私は、とっても長い時間をかけて勉強しました。 ある日・・・再婚相手の行動が 教科書に書いてあった「躁病」にすべての項目が 当てはまることをみつけたんです。 え?・・・・まさか・・・ と、驚きました。 けれど、認めざるを得ない症状なんです。 それで、躁うつ病についてを調べはじめました。 次々と出てくる、症状・・これはどうしたものか・・ そんなふうに思っていたとき、本人が 「もう、僕だめなの・・・病院に連れてって・・」 と、泣き出したんです。 そして、精神科に行きました。 双極性障害と診断されました。 そこから、半人前のカウンセラーである私が 再婚相手を通じて、双極性障害を理解するための勉強が始まりました。 けれど、どうしても理解できないもの、不安・・ それがぬぐいきれず、医師からはハッキリしたアドバイスも いただけないような・・感じで 次にはネットの中で、情報を入手すべく検索をはじめたのです。 双極性障害に向き合っている家族やご本人をたくさんみつけました。 その中で、快く返事をくださる方もいました。 私が一番、不安だったのは、衝動的な浪費と、性的逸脱だったんです。 どう理解したらいいのか? 病気が収まれば、やらなくなるものなのか? 不安が募っていたときに、 浪費も、性的逸脱も、躁うつ病の病相のひとつであって 本人の意思だけでは、抑えることはどうにもできないこと・・ もしも、逸脱行為をしそうになったときは、 早急にお薬を使ったり、入院させるなどの処置をしなければ どうにもならないことなんだ。。。という事実を知ったとき 今まで自分が、攻めてきてしまったことに愕然としました。 そして、本人が持っていた占いの本に 「浪費注意」「異性関係注意」「不倫」という部分に イヤというほど、赤線が引いていあるのを見つけたときは もう。。本当。。なんともいえない気分でした。 本人も、自分がどうなってしまったのかわからない。 いけないこととわかっているのに、してしまう・・ それが、どうしてなのかわからない・・と、誰にも言えずに苦しんでいたんです。 まさに、病気に踊らされてしまい犯してしまった過ちに 正気になったときにはいつも なんで?ほんとに?俺が???やったのか??? と、いつも、いつも、絶句するしかないというのです。 双極性障害が、かなり酷く発祥していたので入院治療もしました。 けれど、そんな中で、私は必死で自分に知識と力をつけていくこと。 発達障碍を持つ子供を育ててきたという経験年数と 障碍を持つ方の経験談やアドバイス・・ それらはすべて私の宝。私がカウンセラーとして活動するための 大切な宝物となっています。 私は、自分がカウンセラーになったのは、偶然ではなく必然だと思っています。 そして、私が出会ってきた障碍を持つ方たち、私の子供、再婚相手。。 この人たちは、私をカウンセラーとして育ててくれた とてもありがたい存在の方ばかりです。 わたしは、これからも、多くの方がたから、多くのヒントをいただいて 育てていただけると感じています。 そして、それらを、悩み苦しんでいる方たちへの 救いの手、癒しの手になればと思っています。。 近年、メンタル疾患や発達障碍に対しては目覚しいほど 理解に向けての活動が盛んになっています。 私が取得した、ケアストレスカウンセラーという資格も その目的のひとつでもあります。 私の経験と私自身の持ちえた魂が、みなさんを癒せますように。。。 出会ってきた皆様に感謝。 みるふぃ |
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