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型稽古こそ

昨日もまた仕事だった.
どうも最近忙しく,先週も5時間を越えて
睡眠時間をとることができなかった.
今年の目標のひとつは,
睡眠時間を毎日6時間はとることだったのだが,
なかなかそれも難しくなってきている(お肌の調子が悪くなる(笑))

このように忙しいとやはり武道の稽古に出るのは難しくなってくる.
となると,もう稽古が恋しくて恋しくてたまらなくなってしまうのだ.
ぁあ,仕事を放り投げて道場に駆け込みたい.
思いっきり心と身体を動かしてみたい.
そんな衝動が突然訪れたりするのである.

一般に武道の稽古は,古来型稽古が中心に行われることが多かった.
現在の柔道や空手などの競技が進められるようになって,
それを中心とした練習体系にシフトしてきたように思われる.
剣道においても,試合形式が普及し始めたのは,
防具が発達した江戸時代中期から後期と言われていて,
それ以前は型稽古が中心であった.

しかし,どうも逆転してしまって,試合の方が主となり,
武術としてみても型と試合は遊離しまっているようだ.
剣道においては,形などはたぶん審査のときにしか練習しないだろうし,
それは柔道の形においても同様であろう.
かろうじて空手においては,型試合が行われているが,
型の中の技が試合の最中に現れることはめったになく,
また組手競技と型競技との上位入賞者が同一であることは,
大会が大きくなればなるほど,難しいことになっている.
だから空手において選手は,組手競技と型競技と専門化することになってしまう.

私はそれで良いのかと疑問に思う.
型というのは,先人たちの智慧の結集した形であり,
それを効果的に稽古することによって,技術の上達が可能となる
優れたシステムであったはずである.
なぜそれを無視して,武道といえるのだろう.

組手競技は,ルールがあるから,そのルールの中で最大の効果が得られるように,
稽古がなされるのである.
例えば,伝統空手であれば,速さやタイミング,
そして審判への技のアピールといったテクニックを磨くことになる.
素面のフルコンタクト系であれば,
相手のボディや脚に効果的にダメージを
蓄積させることができるようなテクニックになるだろうし,
マスクをつけるフルコンタクトであれば,
マスクの死角をうまく利用するようなテクニックになる.
つまりは,ルールによって技が決まるのである.
ボクシングとムエタイの選手の構え方の違い,
伝統空手とフルコンタクト空手の構え方の違い,
こうしたものはルールによるものである.

一方,型というのはルールが無いことを想定しているわけで,
いろいろなテクニックが集積されている.
例えば空手の型では,急所への攻撃,投げ,関節技など,
組手競技では出すことのできない実戦技が隠されている.
この「隠されている」というのがポイントで,
どうも陽にはそれが示されていないように思う.
そしてそうした具体的な技よりも,身体の遣い方こそが
型稽古によって練られるべきものなのだと思っている.
型というのは,技よりもむしろ身体の用法を身につけるための
訓練体系であると思うのである.
といっても,これは私だけが言っているわけではなく,
もうずいぶんと前から多くの人がそれを指摘している.

なぜ古来は試合形式の稽古がなされてこなかったかというと,
別に防具がよくなかったからだけではなくて,
試合形式だと試合に勝つためのテクニックだけに終始してしまい,
実戦で有用な技の理合というものが学べないということが
最も大きな理由であったという.
確かに技が乱れやすいし,勝つことが目的になって,
技を磨くのは二の次ということになりやすい.
型こそその流派の真髄を身につけるための方法論だったのである.

これだけわかっていながら,
いまなぜ型稽古がおざなりにされているか,
ということを考えてみると,
結局のところ,型の重要性を教えることができる先生が少ない,
ということではないかと思う.
空手を習いに来ている人は,空手の競技に勝つことが目的ではなくて,
強くなることが目的なのではないだろうか.
ならば,強くなるための理合を学ぶことのできる型こそ
一生懸命に稽古するのではないだろうか.
私なんて,そうした理合こそ学びたいと思うのだが.
現在の道場は,そうした要求にこたえることができるだけの
指導者が少ないのではないかと思うのである.
単に型の順番を教え,ちょっとした分解動作を教えて終わり.
そんな指導が多いのではないか.
それだけではちっとも型は遣えないのである.
流派の理合を教え,型の意味を教え,そしてその魅力を伝える.
例えば空手において
単に殴り合い,蹴り合いのテクニックを教えるだけであれば,
キックボクシングと変わりがないのではないかと思うのである.
空手は深い術理が秘められているように思う.
(これまでのいろいろな情報を総合すると)

こうした型の魅力を伝えられる指導者を見つけることができるかどうかが
武道の修行においては大きな分かれ道である.
三年かかっても良き師をさがせ,とは全くの至言である.
(とはいっても,初心者にはどれが良いのかわからないのだけれど...)

#型稽古の重要性についてはまた稿を改めて.

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人は,コミュニケーションを
会話の内容だけで行っているわけではない.
たとえ電話であっても,その口調,声のトーン,間などによって
伝えられる言葉以外の情報をやり取りしている.

電車の中で隣に人が座ったとする.
この人をAとする.
まず私の外見から,私に関する基礎情報を
Aは得ている.
性別,年齢(あくまでも外見だが),身体の状態など.
また,私の表情から,私の性格をAの過去の経験から推定する.
そして,これが大切なのだが,私のAに対する関心を推定する.

私のAに対する関心というのは,通常であれば
ほとんどなく,電車で隣に座った人というものであろうが,
私が泥酔者や変質者であれば,Aは危険信号を感じるだろうし,
そうでなくとも,不穏な雰囲気(”雰囲気”!これこそが
非言語的な情報を表す言葉であろうけれど)を感じれば,
安心して隣に座っていられないだろう.
この情報は,Aの安全に関わる大事なものなので,
それが通常は無意識に(あるいはごく短時間に)
判断されているものではあるだろうけれど,
決して無視はできないものである.

話が逸れるが,こうした周囲からの情報は,
自分の安全のために非常に重要である.
特に電車の中のような密接した空間では,
それを誤ったり,無視したりすると,
大変なトラブルに巻き込まれる可能性がある.
そうであるのに,最近は耳にはデジタルプレーヤ,
座ればすぐに携帯電話,という風に,
全く周囲に気を配らない人が多い.
彼らがトラブルに巻き込まれる可能性は高いだろう.
日本だから,なにかあった場合には,
相手が悪いなどといえるけれど,
海外であれば,気をつけない自分が悪いということになる.
少し,そのあたりの感覚がずれてきているような気がする.
(実は私もデジタルプレーヤを愛用しているため,
良く耳をイヤホンでふさいでいるけれど,
駅に着くたびに周囲には気をつけているつもりである)

話は戻って,私の隣に座ったAの話.
彼は私に注意を払うわけでもなく,携帯電話を開くとする.
さて,私は彼の精神状態に影響を与えることができるだろうか?
もちろん可能である.
彼が嫌がることをすれば,彼は怒り始めるだろう.
これは彼を興奮状態に導いたことに他ならない.
しかし,それでは意味がない.

では,Aの心理状態を良い方に持っていくことは可能だろうか?
もしも,Aと会話ができるのであれば,
彼の情報を入手しながら彼の精神状態を導くことができるかもしれない.
例えば,心温まるようなストーリーを話題にする.
彼がもともと普通の心理状態であったのであれば,
気持ちが良くなるかもしれない.
営業マンが顧客と商談の前に,こうした人情話をして引き込み,
話を断れない雰囲気にするというのもひとつのテクニックである.

では,会話ができないのであればどうするか?(通常はそうである)
会話以外の情報を伝達することによって,
彼の心理状態に影響を及ぼすことができるかもしれない.
まず私がリラックスしている雰囲気を伝える.
逆にもしも私の身体を緊張させていれば,
彼はそこはかとなく,居心地が悪くなるかもしれない.
相手の精神状態の防備を解いていくことが大切である.
次に,彼の身体的信号に自分を同調させていく.
例えば,最もわかりやすいのは呼吸である.
相手の呼吸を感じ,自分も同調する.
うまく同調できれば,Aが無意識のうちに
私がリードすることもできるだろう.
そのコントロールのタブは呼吸だけとは限らない.
相手の種々の感覚に,いろいろな信号を与えることによって,
(そして,それは相手が意識できないところで与えることが好ましい)
相手の心理状態を導くことになるだろう.
しかし,これがどこまでできるだろうか?
自分の心の中のイメージによって,
相手の心の状態を導くことができるだろうか?
研究してみたい.

こうした技術は,日常のいろいろな場面に応用できるはずである.
電車で乗り合わせたAよりも,
日頃コミュニケーションを交わしている人の方が
基本的にそうした技術を適用しやすいはずである.

そうした技術は武道を通して学ぶことができると考えている.
自分を殺そうとする相手に直面するという究極の状況で,
こうした技術は適用可能なのだろうか.
もっと精進していきたい.

追い突き!

今日も仕事だった.
さすがに睡眠時間が少なくて,
週末も仕事だとちょっとしんどい.
まぁ,眠れば万事OKだろうけど.

さて,今回は久しぶりに武道の話題.
私が初めて武道に触れたのは,
俗に言う伝統空手であり,
高校時代はこれでも地方大会で入賞したりしたものである.
(へへへ.ちょっと自慢.
形では優勝,組み手では3位だった.
しかし,インターハイ予選では残念ながら,
全国大会に届かなかったけれど...)

といっても,自分が強くなったとは
全然思えなかった.
同級生に,極真空手の道場に通っているヤツがいて,
自分の突きでそいつを倒せる気がしなかったものである.
さらに極真では,私の住む地方道場の黒帯が
本部からきた茶帯に全然歯がたたなかったと聞いて,
自分はどれだけ弱いのだろうと思っていたものである.

大学に入り,現在の武道を稽古するようになって5年くらい.
ようやく自分の突きでも人が倒せるかと思うようになったけれど,
それでも大道塾の稽古生と並んでサンドバックを打っていると
自分の弱さを実感したものである.

では伝統空手は弱いのか.
そんなことは無いと私は思っている.
私がいつか研究してみたい空手家に,江上茂氏と青木宏之氏がいる.
江上氏は,人を倒せる突きを追求するために,
人に自分を突かせていたというから,
(そしてほとんどの場合,失望していたという)
結局どのような突きに辿り着いたのか,非常に興味がある.
青木宏之氏は江上氏の一番弟子で,
激しい修行の末,新体道を創始している.
新体道というのは武道界における現代芸術のようなものなのだが,
(ちょっと見では,武道とは思えないくらい)
修行者の突きを見る限り,こぶしを腰元からすりあげるように突くという
非常に特殊な突き方をしていて,"突き切る"という印象に惹かれる.
これが江上氏とともに研究した成果なのかと興味津々である.
体重と馬力で突くような突きももちろん威力があるだろうけれど,
それでは,ゴリラが一番強いということになってしまう.
武道には,理にあった身体用法があるものと信じているのだ.

少し以前に,伝統空手オタクがよろこびそうな映画があった.
「黒帯」
2007年に作成された映画らしいのだが,
私は残念ながら観ていない.
しかし,あちらこちらで動画が紹介されていて,
そこで見た追い突きの一撃で人を倒すシーンに心を奪われた.
空手家が,軍人が刀を振り上げる瞬間に
ずいぶんと離れた間合いから一拍子に飛び込んで
追い突きを決めて倒すのである.
これが本当に素晴らしい.

調べてみると,黒帯に出てくる主要な登場人物は
みな本当に空手をやっている人で,
私が感動した追い突きを放った人は,
日本空手協会の師範である中達也氏であることがわかった.
今月号の雑誌「秘伝」でも特集されている.
現在は,「ハイキック・ガール」という映画が撮影中で,
そこでも中氏は出演されており,
突きを放つシーンが動画にある.
これが本当に素晴らしい突きで,
私もかくありたいと憧れるようなものだった.

こうした突きは伝統空手特有の身体用法であり,
なんとか,いつか身につけたいと心から思うのである.
しかし,この中氏の追い突きを見ることができて,
私も目標ができた.
修行でうれしいのは,次の目標ができることなのだろうと思う.

今年は目に見えないものに重きを置くと
考えていて,そのうちのひとつが
コミュニケーションにおける態度
(非言語的コミュニケーション)ということなのだけれど,
また別のひとつは,人間の心理的現象についての
考察とその実践である.
と,自分で書いていても何の話かわかりにくいことだと思う.

もっと平たく言うと,
暗示,催眠,健康である.
すなわち,人間の心理に影響を与えることによって,
自分のパフォーマンスを向上させること,
人のパフォーマンスを向上させること,
そしてできれば健康まで改善させることである.

(ここから先は私の考えの整理でしかないので,
もっとひどい文章になります,すみません)

この目的の背景は,
人間はこの実世界で生きているが,
高度に発達した脳は,この実世界とは別の
それぞれの情報空間を構築している.
そしてこの情報空間において,私たちの心と身体は
もうひとつの生を送っているのである.
という考え方に基づく.

この情報空間は,簡単に言うと
脳というハードウェアの上に
プログラムとデータベースによって構築されたシステムで,
実世界からの情報・信号のやりとりによって
常に更新されていく.
このシステムは外部との信号の入出力によってのみ
書き換えがされるのではなく,
内部で自動更新がなされるシステムであるところが特徴である.

また信号の入力ははっきりと認識されるものもあるが,
無意識的に入力されているものも多く,
それが複雑さを増す原因になっている.

またこの情報空間と身体,心との関係は密接で,
この情報空間のプログラムを書き換えることによって
身体や心の病気を治療することもできるはずである.
これは自分に対しても,他人に対しても.

他人の情報空間を書き換える技術は
暗示,催眠,洗脳につながる.
その手段は言語に限らず,
非言語的なコミュニケーションによっても可能である.
一方でテレパシー的に感じられる意思疎通も可能となる.

また集団において,ある情報がやりとりされることによって,
たとえ実世界では存在していなくとも,
ある体験を共有することができる.
各人の情報空間に,実世界に存在しなくても,
存在する共通のものが存在しうる可能性がある.
すなわち幽霊,妖怪などが存在しうる可能性がある
(心霊写真,心霊ビデオはこの仮説で説明できない).

たった一節の音楽を聴くだけで,
情報空間の内部システムの状態が大きく変わることもある.
すなわち,そうした大きな結果を与えるKeyとなる信号を
有効に使うことによって心理状態をコントロールすることが可能となる.
ただし,それは無意識的に与えられるほど効果的となるが,
その技術は無意識的に与えることができるほど高度となる.
相手を,相手が認識しないうちにトランス状態に導き,
心理状態を導く技術が必要である.
また,まず自分をトランス状態に導くことによって,
他人を同調させる技術も可能である.

自分の情報の書き換えも容易に行えるような
技術が必要である.
そのロックを外すキーとなるアンカーを自分に設けるようにする.
印,呪文等がそれにあたる.
呪文は,情報空間の障壁に穴を開ける技術である.

以下,別記事にて.

態度で示そう

今年の目標は,
仕事上のシビアなものもあるけれど,
プライベートのものもいくつかある.

そのひとつが多読で,
またひとつがダイエット.

そして今年最も気をつけているのが,
目に見えないものを大切にするということ.
といっても,残念ながらオカルトな世界ではない.
(そちらについても今年はいろいろと考え,
そして試してみたいとは思っているのだけれど.
この話はまた記事を改めて)

人というものは,非言語的なコミュニケーションで
大きく支配されている.
例えば,ある心理学の報告によれば,
プレゼンテーションの印象などは,
その内容で決まるのは10%以下だという.
その他は,話し方や声のトーン,目線や表情,姿勢,
そうした非言語的なものによるのである.

確かに私の経験からもそんな気がする.
例えば,初対面の人の印象などは,
話している内容よりも,その人の表情や目線,
姿勢などで決めているようである.

初対面の印象だけではない.
日頃の人とのコミュニケーションにおいても,
そうしたことって,ずいぶんと大切ではないだろうか.
言葉と裏腹な心を,その人の態度から判断することも多いし.
私なんて正直者だから(笑),態度に全て出てしまう.

つまりは,今年の目標は態度で示すということだ.
態度をもっと相手の心に届くように
コントロールすることが今年の目標なのである.
ただコントロールするのは,態度ではなく
心だということが厄介なのだけれど.

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