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人は,コミュニケーションを |
思考のあしあと
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今年は目に見えないものに重きを置くと |
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今年の目標は, |
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日曜日の今日もなぜか仕事. 明日が締め切りの報告書を仕上げるためである. もっと早くやればよかったのに,といつも思うのだが, そうもいかない事情もある. (今回もデータがそろったのは先週末ギリギリだし) 研究は,ある程度チームで行っている. 私のそのプロジェクト管理がまずかったということなのだろう. これは深く反省したい. もっと良いやり方があるはずである. もっとオン スケジュールで, もっとストレスレスで, もっと楽しく進める方法がきっとあるはずである. カイゼンという言葉は, 自ら精進し,変革をしていくという姿勢が出ていて 私は好きだ. 某企業はこの言葉で大変有名になったけれど, ちょっとやりすぎな感じがして,企業のやり方自体は 私はあまり好きじゃない. でも,私の武道の教えにもあるのだけれど, "万物は生成流転し,瞬時たりとも留まるを知らず"ということが 真理であるならば, どうせ変わるならば良い方に変わればよいと思う. 出勤途中に,別の人格に 突然変わることができるかどうか,考えてみた. 仕事がよくできるという人格を自分で生成し, そこに合わせるのである. 人間は,玉簾不断の生を生きるのであれば, 一瞬一瞬の自分はまた別であっても不思議はない. こう考えれば,私が変わることだって不思議はないのだと思う. 自分がなりたいと思う人格を想像する.
そして自分をそこに合わせていく. そうすることによって,また違った私をマージできるのだろう. 仕事の進め方も変わるに違いない. |
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連日,自然災害の甚大な被害について 報道がされている. ミャンマーのサイクロンでは, 死者の数が10万人以上に, そして中国四川省の大地震では, 5万人以上に達すると発表されている. 映像で流れるそれらの悲惨な被害は 目を覆うばかりである. 自分の目前に子供が埋まっているというのに, 親がなにもできないという状況. 私たちはどのような言葉を彼らにかけることができるだろうか. 何万人などという死者の"数"は, 確かに被害の甚大さを表す一つの指標ではあるけれど, こうしたひとりひとりが抱える悲しみやつらさは, そこに覆い隠されてしまう. "数"だけが一人歩きするけれど, その"数"は全く個人的な心情をすくい取ることはできない. 今日も日本では,多くの事件が起きている. 例えばその中のひとつの殺人事件の報道に目を向ければ, 断面的ではあるけれど,私たちは その被害者や加害者,背景というものに 思いをいたすことができる. しかし,今回のような大規模な惨事となると, その"数"の大きさに私たちの想像力は 途端に貧しいものとなる. 何万人の死者,いや何百万人の被災者に それぞれの事情があることを つい忘れがちである. だが,繰り返すが, ひとりひとりに悲しみがあり,つらさがあるのだ. そうしたことを,
倒壊した校舎を前に ただ泣きながら立ち尽くしている 親たちの姿を見て思ったのである. |




