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音楽の話

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東京出張の帰りにデジタルメディアプレーヤで

John Cage,"In a Landscape"

を聴く.

美しく,言葉を失う.

この録音は,私の愛聴盤のひとつで,
折に触れCDプレーヤに載せられるのだけれど,
今日は久しぶりに耳にして,やはり美しいと感じた.

ピアノがシンプルではあるけれど,
ゆらめくような美しい旋律を繰り返していく.

以前に紹介したチェンバロ曲"Ground in C minor(パーセル)"
美しいと感じるのだけれど,それとは異なる美しさである.
"Ground in C minor"の美しさには,可憐さ,はかなさ,といったものが
混在していて,したがっていくばかりかのの人為的なものを感じる.
修飾することによる美しさである.
(それが悪いというわけではなく,それはそれで魅力的なのだけど)

一方,この曲の美しさというものは,
そうした人為的なところがない.
「風景の中」で,というタイトルにあるように,
自然の中に自分が溶け込んでいるような感じである.
しかし,そこに浮かび上がるのは,
あくまでも非常に個人的な心象なのではないかと思う.
ある風景の中にいて,心の中に自然に溢れ出てくる想いが
この曲には描かれている.

何をこの主人公(ケージ?)は見ているのかはわからないけれど,
寂寥とした風景の中で,移り変わる心象を
私たちははっきりと感じることができる.
その心の移ろいは,とどまることも無く,
いつしか自分を離れて,別の世界に行ってしまうようだ.
そうした心を私たちは美しいと感じるのだろうか.

ケージの初期の曲(1948年作曲)ではあるけれど,
すでに透徹した境地が感じられる.
ひとり,耳を澄ます音楽である.

私の愛聴盤は,
"In a Landscape," Stephen Drury, BMG Catalyst.

YouTubeなどでも複数の動画がUPされているようなので,
知らない方は曲を聴くことができます.
CDを整理していて気づいたのは,
マーラーの交響曲第8番が8セットもあること.
われながら意外であった.
この第8番は好きといえば好きな曲ではあるが,
ここまで集めた感じはしなかったのである.

どうしてなのだろうと考えてみる.

結局のところ,この曲がどうも腑に落ちなかったせいではないかと思い当たった.

まず初めに聴いたときから,この曲は全然わからなかった.
合唱,大きなオーケストラ.
それらが混沌として発散する.

第7番のオーケストレーションも複雑でなかなか手ごわかった.
しかし,それなりに聴いていて心の中で納得することができた.
だが,この第8番はどうも捉えどころがない.

最初に聴いたのはバーンスタインの録音.
はじめからオーケストラが爆発している.
だが一体,どうしたものか,すっきりとしない.
その後もこの録音を何度も聴いているのだが,
わかった気になったことは一度もなかった.

そして先日,CDショップへ足を運んでみると,
ブーレーズの新録音があった.
ブーレーズがマーラーの録音を進めているのは知っていたけれど,
この8番の録音は正直意外だった.

「あれ,ブーレーズも8番も録音するんだ」

そう思って,購入してしまった.
(こうやって,いつの間にかCDが増えていく)

早速,その晩に聴いてみた.
まず,ゆったりとしたテンポに驚いた.
ブーレーズは淡々と演奏を進める印象があったのだけれど.

そしてブーレーズらしく,その内声部がはっきりと聞こえる.
ゆっくりとしたテンポだからこそ,
これまで聞こえなかった部分が良くわかる.
そして,こうだったのか!と初めて理解できた.
そうした部分がどれほどあったことか.

私は,このブーレーズの録音で初めて8番が理解できたといえる.
(と,私は思っている)

これまで,新しいCDを買うたびに,
この録音こそが私に第8番を納得させてくれるのではないか,
そう思って封を開いてきた.
だが,いつまでも「これは」という録音にめぐり合わなかった(らしい).
そして「次こそは」という想いがずっと残っていた.
それがこのCDを最後にしばらくは収まりそうな感じである.

今後は,誰が8番を録音するのか.
そしてその録音が私の興味を惹くに足るものであれば購入する.
それだけになりそうだ.
良かった.
(8番の録音は幸い,あまり行われないのだけど)

マーラー 交響曲第8番
ピエール・ブーレーズ
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
(ユニバーサル ミュージック クラシック,2007)
デジタルメディアプレーヤをもって最近はよく外に出かける。
音楽を聴くときの環境というのは思いのほか,
その音楽の印象に影響する。

先日はバスの車窓から流れる景色を
ぼんやりとみつめて音楽を聴いていた。

パーセル(あるいはW.クロフト)作曲によるチェンバロ曲
グラウンド ハ短調 (Ground in C minor)

外は晴れていた。
しかし秋の気配は強く,
どうも陽射しによる草木の陰影が強いように感じられた。

それが心理的影響を強く及ぼしたのか,
この曲が,切なく,とても切なく響いた。

バスの中だったからノイズはひどく,揺れも大きい。
しかし,この曲に吸い込まれるように耳を傾け,
しばしの時間,自分がどこにいるのかもわからなくなった。
こうした瞬間は,音楽を聴いているときにしばしば訪れる。

チェンバロというのは,絃をツメではじいて音を奏でる。
ハンマーで絃を叩くピアノとは本質的に構造が違う。
これが切なさを加速させる。
バロックというのは,「歪んだ真珠」というのが語源であるといわれているが,
真珠が机の上にパラパラと散らばるような音のイメージが
チェンバロにぴったりだと私は思っている。

美しい。
チェンバロの響きの中に奏でられるこの旋律は,
切なく,甘酸っぱく,そして純粋である。
いつまでも胸にそっと残るような,そんな優しさがある。

私はこれまでこの曲を部屋のステレオセットで何度も聴いてきた。
しかし,これほどまでに胸に響いたのは初めてなのである。
音楽では,良い音で聴く,ということは
それほど感動に直結しないのかとも最近思っている。

それよりもむしろ聴くときの周囲の状況や,
タイミング,それらが重要であるようだ。
そして音楽を持ち運ぶデジタルメディアプレーヤは,
その感動の機会を私に増やしてくれているようだ。

素晴らしい機会を与えてくれたこの技術に感謝するとともに,
胸に残ったこの切なくも美しい音楽の余韻に,
私はただじっとまた耳を澄ますのである。


■私の愛聴盤
Harpsichord Recital
Gusutav LeonHardt
Philips

リヒテルに憧れる

ひと目見て,その魅力のトリコになるという人がいる。

その一人が私の武道の先生の先生。
先生の先生の映像がYouTubeにあがっていたりするけれど,
本当にその輝くばかりの雰囲気(オーラっていうのかな)に
ぐっと惹かれてしまう。
実際にお会いしたときも,人間の大きさというものが感じられ,
「格」というものが存在するのだと思い知らされた。

そして,今日ビデオに録画しておいた番組を観始めた。

「謎(エニグマ)〜甦るロシアの巨人」

1997年に亡くなったロシアのピアニスト スビャトスラフ・リヒテル
死の2年前に行われたインタビューを中心としたドキュメンタリーである。

実はまだ最初の30分程度しか観ていない。
(なかなか家庭持ちというのは忙しくて時間がとれなかったりするのだ)
しかし,そのインタビューに答える80歳のリヒテルの姿は本当にカッコいい。
ひと目見て常人ではないオーラに包まれている。

一流の芸術家が持つ上品さがまず感じられる。
ソフィストケートされてはいるけれど,スレてはいない。
しかしその内部には確固たる技術と経験に裏打ちされた自信がみなぎっている。
それがひと目で感じられるのだ。

こうした人物に間近で触れることができたら,
それはどんなに素晴らしい経験だろうと思う。
最近思うのだけれど,一流の人に会うという経験は,
その後の人生に大きく影響を与えるのだと思う。

絵空事ではなく,リアリティをもって,
ひとつの"理想像"が目の前に存在する。
なによりもそれが説得力を持つ。
私はそのリアリティを一生追い続けることができる。

あぁ,リヒテルにあっていたら私の人生が変わったかもしれない,
などとも思ったりした。
しかし,こうして映像を通して彼に触れることもできるだろう。
彼のしぐさ,話し方,そしてもちろん演奏。
それらが私に彼の人格を感じさせ,それに憧れさせる。

最近,こんな魅力的な人物におめにかかったことがない。
リヒテルには残された録音を通じて触れてはいるけれど,
今回の番組でまたぐっと彼を深く感じることができそうである。
あのような老人に私はなりたいのである。

あぁ,リヒテルに逢っていたならば。
彼は,そう思わせる人物なのである。

吉田秀和という人

今日は出張で八戸に来た。
出張の移動中,デジタルプレーヤを聴く機会があった。
といってもFM放送を聴いたのだけれど。

そして,イヤホンを耳にして流れてきたのは,

「吉田秀和,名曲のたのしみ」

の聞きなれた一言。
あぁ,こんな時間に再放送をやっているのだと認識した。

吉田秀和氏は尊敬する批評家のひとりである。
彼のあの素敵な語り口も好きなのだけれど
(ラジオも文筆も)
なによりもその批評眼が素晴らしいと思う。
(音楽だけでなく,最近は絵画などについても
ずいぶんと評論をされているが)

たとえば,今では最も人気があるピアニストの一人であるグレン・グールド。
彼の録音が出たとき,日本国内の批評家たちによる評判は散々なものだったらしい。
それを吉田氏は初めから良いといっていたのだという。
私の体験から言えばアンジェラ・ヒューイット。
彼女のバッハが素晴らしいと知ったのは,やはり吉田氏のラジオだった。
本当に彼女のバッハは清潔で上品で,そしてチャーミングなものだった。
吉田氏は自分の信じるところによって批評している。
自分の批評眼を信じている。
それが素晴らしいのだと思う。

彼については,NHK教育テレビで特集があり残念ながら私は見逃してしまったのであるが,
そのインタビューの一部が「考える人 夏号」(新潮社)に紹介されている。
(グールドの話もちらりと書いてある)
彼の批評に対する考え方など,ますます好きになった。

本日の放送では,チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
もちろんこの曲は知らぬ人がいないほどの名曲中の名曲。
私はこうした名曲というのは,すでに半分聴き飽きて,
新たな感動が少ない分,めったに聴かなくなってしまうのだけれど,
今回は,アルゲリッチ&アバドBPO(1994)の録音。
吉田氏の柔らかな声の紹介につられて聴き始めてしまった。

いや,まずピアノの音の粒が立っていることに驚いてしまった。
アルゲリッチの才気を感じる。
ちょっとはやめのテンポの中に,堂々とした旋律が現れる。
どうして彼女の音には勢いを感じるのだろう。
単に強く弾いているだけではないのだろうに,
そのひとつひとつが輝くようにはっきりと聞こえる。
彼女の息遣いも旋律から想像できるようだ。
これが天才というものなのかとしみじみと思う。
何かが違うのである。
彼女ははっきりと我々と違う場所に立っている。

吉田氏でなくともこの曲を選ぶと思うくらいの名録音だったのだが,
もう一曲,第1楽章の途中まで紹介されていた。
それはポゴレリチ&アバドLPOの録音。
これはアルゲリッチのものとは対照的にずいぶんとゆっくりのテンポで演奏されている。
吉田氏にしてみると,それでも曲の面白さを感じるのだという。
残念ながら途中から新幹線の中に電波が届かなくなり,
ポゴレリチの方はあまり聴けなかったのだけれど,
彼が感じる面白さを確かめてみたかった。

チャイコフスキーのこのピアノ協奏曲は当初
演奏者として想定されたピアニストであるA. ルービンシュタインに酷評され
演奏を拒否されたそうである。
吉田氏いわく,
「ピアノを知り尽くしているピアニストであっても,
これまでになかった新しいものに出会ったとき,
間違った判断をしてしまうものなのだなぁ」

「いままで批評家についていろいろ言ってきたけれど,
こう考えると… ま,それはそれとして」
(詳細は正確ではないですが)

いやいや,吉田さん。
私はかなりあなたを信頼しています。
御歳90を越えられているはず。
まだまだ頑張ってください。

と心の中でラジオの向こうの吉田氏に話しかけた私なのであった。

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