みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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江戸期のみさき道 (往路後半)

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       萬延元年(1860)「彼杵郡深堀 蚊焼村彩色絵図」(三和公民館蔵)

 長崎医学伝習所生の関寛斎「長崎在学日記」の脇岬観音詣では、文久元年(1861)4月3日から4日にかけての紀行記事である。
 佐賀藩深堀領であった長崎半島の他村の絵図は、長崎県立長崎図書館の史料にあったが、蚊焼村がわからなかったところ、三和町中央公民館(長崎市合併前の当時)展示ホールに郷土資料として展示されていることがわかった。

 萬延元年(1860)「彼杵郡深堀 蚊焼村彩色絵図」である。複写ものかA3サイズの小さな絵図である。原図がどこにあるかわからない。当時の村の様子と道がわかる貴重な絵図である。萬延元年(1860)は、ちょうど関寛斎の一行が旅した文久元年(1860)の前年に作成された地図となる。

 大籠村との村境から「みさき道」をなぞると、補正した黄線のとおりとなり、岳路上の高浜村・川原村境までほとんど現在歩く「みさき道」のそのとおりの道となっている。
 平山台から晴海台にかけての団地上の県道が、ほぼそのままの道を利用して作られていることが良くわかり、蚊焼茶屋と蚊焼峠の判断にもこの絵図が役立った。


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