みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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江戸期のみさき道 (帰路ほか)

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                   夜泣き地蔵(川原の森園地蔵)の昔と今

 三和町教育委員会広報誌「あなたと広場」平成2年12月No.103掲載記事から。これはまとめられて、高崎市郎さんの「ふるさとものがたり」として本がある。
 森園地蔵は、川原から徳道へ谷を上る道にかつてはあった。今は宮崎ダムの完成によって道は湖底に沈み、地蔵は展望台先の徳道、熊の岳へ登る車道脇に移転している。
 徳道の古写真は、平成2年11月「三和町 今昔2」53頁から。「吠え岩」とは、森園地蔵近くにあり、巨大な岩に近づくと得体の知れない食用蛙や牛の吠えるような音を出したらしい。何かの反響音と思われるが、これも遠い昔の話となった。

          郷土誌余聞 その12「夜泣き地蔵と吠え岩」  高崎 市郎

 為石の漁村をはじめ川原の人々も、御崎の観音参りは毎年の事で親族仲間などと、弁当こしらえで出かけていた昔の物語である。
 若くして夫を亡くし、娘の成長に夢を託した母親が、観音さまに願かけをしていたが、その夢もむなしく娘は年頃になって病死した。
 自分の信仰が足りなかったのだろうか?と、母親は毎日泣き暮らし、其の後も観音参りを続けていたが、いつの頃からか途中の険しい谷川のほとりで、しくしく女の泣き声がするようになった。
 母親はその泣き声が今は亡き娘の声に余りにも似ているので、村に帰ってこの話をした。
 為石若者宿の青年達は話しあいの結果、娘さんの霊は道に迷っているのかも知れないので霊を弔う意味で、其の地に地蔵尊を祀ることにしようと話が一決した。天保五年、今より一五六年前のことである。それ以後女の泣き声はしなくなったという。ちなみにこの道は茂木、為石方面からの御崎参りの道中で、しかも狐狸の出る谷と人々が恐ろしがった場所でもあった。
 時代が大きく変わりその道も現在では谷間の草に埋もれて当時を知る人も少なく、この記事をみて何人の村人が想い出してくれるであろうか。
 娘の母親もそしてこの地蔵を造立した青年宿の若者も今はこの世になく、遠い昔の出来事になってしまった。(郷土誌の森園地蔵を御覧頂きたい)…

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う〜ん、このような郷土に残る話はどのように残り伝わっていくのだろうか?沢山ある史跡と言い伝えを判りやすく説明してくださる方が
書物と共に紹介されると郷土を大切にする心が出てくると思われます。

2007/8/16(木) 午前 7:09 たけさん


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