みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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江戸期のみさき道 (往路前半)

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                  「みさき道」は、戸町の海岸を通らなかったか

  新地・松ヶ枝・浪の平あたりは、海で街道はなかった。現在の戸町に行くにも、必ず二本松から今の戸町小学校前まで下った。昔はここまで海岸線が入り、「杉の浦」というさびしい漁村であった。異国船の来航により寛永15年(1638)野母遠見番所が設けられ、この頃から各地の長崎警備が強化され、戸町番所が置かれ魚見や白崎に台場が築かれた。安政6年(1859)大村領だった戸町村は、交換されて天領となった。

 戸町から海側の山腹を小ヶ倉塩屋まで行く道はあったかも知れないが、魚見岳台場の二ノ台場付近を通る道となり、一般の通行はあまり許されなかったと思う。明治29年でも深堀森氏は小菅から源右衛門茶屋へ上っている。こちらの道が多く利用されるようになったのは、小ヶ倉柳の先が整備された明治の後年からであろう。磯道の海岸から小ヶ倉柳間に「柳渡し」の私渡一艘があったことは、明治18年「西彼杵郡村誌」に書かれている。

 平氏「肥前国深堀の歴史」によると、佐賀藩二代目藩主光茂が寛文12年(1672)9月16日、深堀巡見の際、「西泊・戸町番所を見廻ったのち戸町から陸路深堀に到着した」(光茂公御年譜)とある。これがこの小ヶ倉上揚を通っていた道と思われる。


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