みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                俵坂の「従是大村領」領界石  東彼杵郡東彼杵町

 国道34号線が、長崎県東彼杵町から佐賀県嬉野町との県境「俵坂」に登りきる切り通しの、すぐ手前となる右方のやや高い石垣上に、この領界石が移されて立てられている。車中からなら、よく注意して見てないと見過ごす。
 現地説明板は次のとおり。同じ所に立つ隣りの高い石は「地神」である。

                          領  界  石

 「従是大村領」の領界石は、元禄三年(一六九〇)ここより北西二百メートルの藩境(現在の県境)に建てられました。
 高い所に立つ五尺五寸(一・七メートル)の大村藩の領界石と、その北側の低い所に立つ「従是北佐嘉領」の二・八五メートルと背の高い領界石が、よりそって立つ姿は、当時の旅人たちの目を引く存在でした。
 明治の国道建設後、その所在がわからなくなっていましたが、昭和三十三年、俵坂バス停付近の土中に、上の部分が欠けた姿で発見され、ここに移しました。
                               東彼杵町教育委員会

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ごぶさたしています。今日、彼杵宿ー嬉野宿をさるきましたが、この「従是大村領」領界石の場所がわからず、ネットで検索しています。この小道を歩いたのですが、見落としました。登り際だったんですね。帰りのバスは、日没後で、まったくわからず。事前準備不足を痛感しました。

2014/11/23(日) 午後 10:29 [ onn*n*miyak**007 ]

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きょうは天気良く、彼杵宿ー嬉野宿さるきは快適だったでしょう。元気ですね。
HP「伊能忠敬測量による長崎県内の主な街道・長崎街道」に正確な地図があります。
「俵坂峠傍示石(国道の東に移設)」。これでしょう。
私も2〜3回出かけることが再三です。事前研究の必要性をいつも痛感しています。
http://www.geocities.jp/fb4wing/nagasaki.html#俵坂
『大村郷村記』に記された地名等
道租神の祠(さやの御前)…二の瀬川…大楠・千部塔…恵美須丸へ行く別れ道…鳥越の壱里塚…管牟田下千部塔…麻漬川石橋…坂本庵の谷溝川…俵坂下千部塔…釈迦堂…佐賀領嬉野境俵坂峠傍示石(国道の東に移設)

2014/11/24(月) 午前 0:27 みさき/michito

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事前の準備不足でした。鳥越の壱里塚は、藪の中でした。ネットでは、数年前の写真では、奇麗に竹や草を取り除いたようですが。

2014/11/25(火) 午後 5:54 [ onn*n*miyak**007 ]

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街道歩きの好きな人しか訪ねないので、最近はどこもそんなものでしょう。市町村合併で史跡が放置されることが多くなっています。

2014/11/25(火) 午後 9:31 みさき/michito

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さびしいもんですね。この大村領の領界石も国道建設で、偶然、発見されたようですし、明治時代も遺跡に関心が、薄かったような気がします。ところで、大村藩と佐賀藩の間では、境界線を巡っての争いがあったようですが、山中に藩塚がないんでしょうかね。俵坂に登る手前に、長崎新幹線のトンネルらしきものを見ました。城跡がある山のお腹に...

2014/11/27(木) 午後 8:39 [ onnanomiyako2007 ]

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ネットで、検索していたら、大村の大野原演習場付近にあるようです。
嬉野町に番合石、数個、見かけましたが、ネットで、以下を見つけました。

佐嘉 本藩 と蓮 池支藩 の
境界 紛争 と境 界石 (番号石) につ いて
古 賀 敏 明

2014/11/27(木) 午後 9:10 [ onnanomiyako2007 ]

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新道建設によって旧道を歩く人は少なくなり、次第に荒れて不明確になっていきます。
鳥越一里塚周辺は以前から竹藪になっており、街道を愛する人や地元の方の整備に頼っています。
ネットの写真では判りづらいかもしれませんが、小さな石柱の横に塚があり、廻り込むように進むと国道に出ます。
そこでは段差を下り、ガードレールをまたがないと進めません。
付近は歩道が無く、国道がカーブしている所なので、通行する車への注意が必要です。

2014/11/27(木) 午後 9:29 [ sat*mo*a*emo2*08 ]

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波佐見町「はさみ100選 ガイドブック」1987年刊65頁の説明には、次のとおりありますから、この辺りは調査してみてください。
44.境 石〜三領石(村木郷)…
波佐見は県境の町、以前から藩境の村でした。三領石は、村木峠から西へ入りみかん畑を通り、少し山を登ったところに建っています。高さ7尺1寸(2.15m)幅1尺(30cm)の三角形石柱で、正面に「此三領境東西峯尾続雨水分南大村領 彼杵郡(ごおり)波佐見郷」、右面には同じく「…東西・・・佐賀領 松浦郡有田郷」、左面には「…西北・・・平戸領 彼杵郡早岐郷」と刻まれています。
今から240年ほど前の寛保2年(1742)に三藩の役人が立ち合って建てた境石です。三領石から東へは野々川の一本杉跡の石碑を経て、小樽の仏坂の境石までは、分水嶺が佐賀領と大村領の境です。以前は大松が点々と並んで境を示していたが、境松のない所や枯れた松には、佐賀は角塚、大村は丸塚を交互に築きました。

2014/11/28(金) 午前 11:52 みさき/michito

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古賀敏朗著「くにざかいの碑−藩境石物語」のおもしろい記述は、私ブログ記事を見てください。
http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/24389384.html
私たちの長崎市三重や小が倉における藩境石塚の調査にたいへん役立った本です。先生はすでに亡くなられましたが、ご遺族の方から私記事に感謝のコメントをいただいています。

2014/11/28(金) 午前 11:53 みさき/michito

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> みさき/michitoさん
了解しました。

2014/11/28(金) 午後 7:26 [ onn*n*miyak**007 ]

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波佐見町村木郷の三領石から東へは野々川の一本杉跡の石碑を経て、小樽の仏坂の境石までは、分水嶺が佐賀領と大村領の境です。県道の3峠が越し、調査しやすいところと思います。尾根を間違わないように踏査すると、新しい発見となるでしょう。

2014/11/28(金) 午後 8:48 みさき/michito


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