みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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             シシトキ川銀屋町の橋名は「稲荷橋」  長崎手帖に記録

 前の記事は次を参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/37441919.html

 (追 記 平成20年6月19日)

 銀屋町公民館角のこのレンガ造橋の名前がわかった。史料はまた長崎楽会西山3丁目中尾氏が見つけてくれた。長崎手帖社「長崎手帖 No.13」昭和33年7月10日発行5頁の「茶のみ話」の中に次のとおりあった。長崎手帳編集者の田栗杢作氏文と思われる。
 長崎手帖によると、この橋名は「稲荷橋」と出てくる。川端に稲荷神社があり平成7年、鯱太鼓倉庫を兼ねた公民館をここに新築したため、稲荷神社は屋上へ祀り直したことを、私は職務上から記憶していた。
                         一 目 七 橋

 これは橋好きの私に、岩永さんがわざわざ明治二十一年刊行の長崎年表を見せて下さったものです。昔は編笠橋附近から川下の眼鏡橋の方を眺める石橋風景を「一目七橋」と言ったらしいので、見せて貰った年表の鍛冶屋町裏の屠鹿川に架った七つの小さな橋も、昔は一目におさまったのではないかと思って、表題を借りました。
 屠鹿川に架った橋は、その名はおろか姿すら薄くなっていますが、七橋とも鍛冶屋町に架って、上流から言いますと、磨屋町のは屠鹿(とろく)橋、銀屋町のが稲荷橋、東古川町のは川添橋、本古川町のは鍛冶橋、榎津町の孕(はらみ)橋、萬屋町のは斜(ななめ)橋、アーケードの下の東浜町から架っているのは浜口橋です。   (西古川町 金物店 岩永関夫氏)

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さるくで何度も通っているのに、レンガの槁が有ったとは知りませんでした。

2008/6/21(土) 午後 1:54 パソ親父

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さるく「中通り界隈」コースでシシトキ川を回りますが、コクラヤの昔の店前「通称・裏眼鏡橋」しかマップに紹介していません。
長崎年表から明治初期のレンガ造石橋と思われ、この橋の方が珍しいと思います。公会堂裏や女子商前の通りにも残っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/37028343.html

2008/6/22(日) 午前 10:14 みさき/michito

銀屋町の公民館はよく知っています。
こんなところにレンガの橋が隠れていたとは・・・。
岩永氏とは岩永金物店のご主人のことですか?
私の父とは懇意の仲だったと聞いております。
また、14年前西古川町の櫓太鼓には、稚児行列に愚息が参加させていあただきました。
今度、帰省した際には、この橋共々寄ってみたいと思います。

2008/6/22(日) 午後 9:42 takeppe

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今日昼から雨があがり、シシトキ川の暗渠を思案橋近くの合流点まで調べてみましたが、石橋はありませんでした。地獄川の栄町ー中央公園間もありませんでした。
この記事をもとに、石橋のことを地元の昔を知る人に聞いてもらえれば助かります。後ろの5枚の写真は今日のを追加しました。

2008/6/22(日) 午後 10:46 みさき/michito


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