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対馬市に残る石橋 (3) 金田城跡・和多都美神社・海神神社などの橋 |

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対馬市に残る石橋 (3) 金田城跡・和多都美神社・海神神社などの橋 |
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対馬の首長について、『先代旧事本紀』の「国造本紀」では「津島県直」と伝える。
古墳時代はヤマト王権がたびたび朝鮮半島に出兵し交戦を繰り返した時代であり、こうした状況は『日本書紀』、『広開土王碑文』、『宋書』倭国伝、『三国史記』の記載でも認められる。
このなかで対馬の具体的な地名が登場するのは、『日本書紀』において、対馬北端の和珥津(わにのつ、現在の上対馬町鰐浦)から出航した神功皇后率いる大軍が新羅を攻め、服属させたうえ、屯倉を設置したという記述である。
皇后が三韓征伐の帰途、旗八流を納めたとされるのが和多都美神社(現海神神社)であり、この神社が対馬国の一宮である。
また、朝鮮側の記録としては、12世紀に編纂された朝鮮最古の歴史書『三国史記』に、第18代新羅王実聖尼師今の治世7年(408年)に、倭人が新羅を襲撃するため対馬島内に軍営を設置していたことが記されている。
このように、対馬はヤマト王権による朝鮮半島出兵の中継地としての役割を担っていたことが知られる。
2012/10/11(木) 午前 4:48 [ 底質汚染 ]