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厳原・八幡宮神社社叢 対馬市厳原町中村 |

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厳原・八幡宮神社社叢 対馬市厳原町中村 |
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対馬にはまだ行ったことがありません。巨木が沢山あるんですね。歴史的にも大陸にに近く文化の伝道してくる窓口として一時は栄えたんでしょうね。対馬の歴史を勉強すれば本土の歴史もわかってくるのではと思ってます。
2008/9/26(金) 午前 7:04
対馬と八幡信仰
対馬には八幡信仰に関連する神社が2つある。1つが海神神社、もう1つが厳原八幡宮である。海神神社は海神(ワタツミ)が鎮座する地である。主祭神は豊玉姫命。
海神神社は、平安末期から明治になるまでは、「上津八幡宮」と呼ばれ、日本の八幡神の発祥の地であるといわれた古社である。
対馬一宮としての威風を感じさせる神社である。神宮皇后が新羅征伐の帰途対馬に立ち寄り、ここに「幡八流」を奉納して神祭りをしたという伝承から、八幡神発祥の地とされたのである。
対馬では下津八幡宮(現在の厳原八幡宮神社)を新宮といい、上津八幡を本宮と呼んでいた。
中世には神仏習合となって八幡大菩薩をご神体として国家鎮護の神威をふるった。
明治4年に名称を海神神社に改め、表向きは八幡神とは一線を画したことになっているが、ここはもともと八幡信仰が広まる前には和多津見御子神社という海神信仰の中心地だったので、もとの姿に戻ったのだということもできる。
2011/12/23(金) 午前 10:25 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、対馬の清水山に行啓し、この山は神霊が宿る山であるとして山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったという。
655年(白鳳6年)、天武天皇の命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀ったのに始まると伝える。
対馬には上県郡と下県郡に八幡宮があり、上県郡のものを上津八幡宮(現 海神神社)、下県郡の当社を下津八幡宮と並び称した。戦国時代ごろから府中八幡宮と称されるようになった。
1871年(明治4年)、当社が式内名神大社「和多都美神社」に比定されて和多都美神社に改称し、また対馬国一宮であるとしたが、1890年(明治23年)に元の八幡宮に戻して地名から「厳原八幡宮神社」とし、現在は式内社・対馬国一宮と称していない。
明治7年に郷社に列せられ、1916年(大正5年)に県社に昇格した。
2012/10/18(木) 午前 3:00 [ 底質汚染 ]
前コメントのとおり。
2012/10/18(木) 午前 9:34