みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の風景・史跡 (県 北)

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                   今屋敷の防火壁  対馬市厳原町今屋敷

 厳原港から国道382号線により厳原の中央通りを行き、今屋敷の交差点から所在図の場所へ歩いて行くと、「今屋敷の防火壁」が見られる。
 Aが県指定防火壁の場所で、案内標識と現地説明板がある。
 Bの場所にも防火壁が残り、「嘉永二 酉三月日 町中 火切」(1849年)と刻んだ石があり、説明板がある。
 長崎県HP「長崎県の文化財」によるAの説明、及びAに設置されている現地説明板は次のとおり。
              今屋敷の防火壁  県指定有形文化財・建造物

  指定年月日 昭和61年1月10日  所在地 下県郡厳原町大字今屋敷705−1
  所有者 海地浮久恵
 この防火壁は、江戸時代につくられたものである。江戸時代、対馬藩の首都府中(現厳原町)は、しばしば大火に見舞われた。藩当局は種々その対策を講じたが、その一つとして天保12年(1841)以後防火壁をつくり、その延焼を防ごうとした。これら石垣によるものは全国的に類例が乏しく、貴重である。
 しかし、今日これらは自然崩壊、ないし屋敷地の改造等に伴い破壊に瀕している。よってそのうちの一つで、最も当時の姿を伝え、かつ天保15年(1844)正月という築造年月の陰刻の見られる本防火壁を指定した。
 
                          今屋敷の防火壁

  県指定文化財・建造物 昭和61年1月10日指定
 石垣は対馬の名物であるが、火災の類焼を防ぐため、火切として高く築かれた石垣の防火壁が、昔の町割の線に沿って設けられた。現在残っているのは数箇所に過ぎないが、最も状況が良いのが本例である。
 刻銘には、「天保十五年申辰正月 消防為 火切築え 高さ一丈三尺 根幅五尺」とある。石垣の全面に火に焙られた痕跡があり、府中(厳原)町屋の軒並を護った貴重な遺跡である。昔は江戸市中にも火切があったが、現在は跡形もなく消滅し、日本中で遺っているのは対馬の厳原だけという。                           厳原町教育委員会

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対馬人としては懐かしい限りです。対馬を離れて地元の良さってわかるのですね。

2009/8/8(土) 午後 3:19 [ みあ ]

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あら、うれしいコメント。私は駆け足の旅だったので、対馬の良さをまだ十分に伝えてないと思います。懐かしんでもらってありがとう。

2009/8/8(土) 午後 4:49 みさき/michito


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